2023年12月23日土曜日

すべての殺戮の停止を

長い間文章が書けないまま、時間ばかりが過ぎてしまいました。
今も文章が書けないことには変わりはありませんが、
今年が終わる前に、一言だけでも書いておきたい。

すべての殺戮の停止を。

人を殺すことがお金になる人たちが仕掛けていること。
殺されている人たちはまったく罪のない人たち。

私は、アメリカの大統領がトランプ氏からバイデン氏にかわった時、
これでアメリカが良くなり、世界も良くなると喜んだことを悔いています。
トランプ氏が良い人物であるとはとても思えませんが、
バイデン氏を良識のある人物だと思ったのは、まったくの不見識でした。

ウクライナとロシアの戦闘が始まった時、自分の中で様々な葛藤が生じましたが、
なぜか、自分の意見を決定するのにストップがかかりました。
そして、時間の経過とともにその意味がわかりました。

ナンバー1でいたいアメリカが、ロシアを弱体化させたい。
そのためにウクライナをけしかけた戦争であること。
ゼレンスキー氏はアメリカに魂を売って、ウクライナを死に追いやっていること。

ガザへの侵攻にも、アメリカがついていること。

今、日本も、ウクライナと同じ状況に誘導されています。
中国を弱体化させたいアメリカが、中国や北朝鮮の脅威を煽って、
日本をウクライナのような捨て駒にしようとしている。
日本の憲法を無効化させて日本が戦争をしたり兵器を輸出したりできるようにしようとしている自民党・公明党(+維新)の政権は、
ウクライナのゼレンスキー政権と同じく、
自分の利益のために国を焦土にしようとしている売国奴。

こんなことのために、罪のない人々が死ぬことがあってはならない。

かつて、トランプ政権を応援するアメリカ人男性が、とても印象的なことを書いていた。
「アメリカは、勝って勝って勝ち続ける」、と。
これが諸悪の根源。
自分がナンバー1であり続けること。勝ち続けること。
そんなことのために、人が死んでたまるか。

競争原理では、何もできないことを、もう学ぶ時ではないのか。

「自分が勝つ」ために「誰かが負けることを望む」ことが、何を意味するのか、
もう学ぶ時ではないのか。
「誰かが負けること」が、あんな絶望的な死であることを、理解する時ではないのか。

すべての殺戮の停止を。
すべての戦闘の停止を。

そして、競争原理で成立する世の中を見直そう。
なぜ、「自分が他人よりも優れていること」を必要とするのか。
なぜ、誰かが自分よりも劣っていないと自分を保てないのか。
なぜ、物事や関係性を「上下関係」で見て、しかも「自分が上位」でないと許容できないのか。
そこに病の根源がある。