2025年6月12日木曜日

食の話をいくつか ③味噌の諸々1

友人に味噌を仕込む人がいまして。
私ここ何年か調理の仕事をしていたのですが、
以前の職場の先輩です。
エコロジー界隈ではちょっと有名な店だったので、
何でも自分で作っちゃうような人たちが集まっていました。

昨年その方に誘われて、私も味噌を仕込みました。
すごくよい材料使っているからか、
ちょっとびっくりするくらい美味しくできました。
今年もお声がけいただいて、また仕込みました。

以前江上料理学院に通っていた時も、
単発で味噌の講座受けて1回仕込んだことあったのですが、
初めてだったので、なんかオタオタして終わった記憶があります。

ただその時も、この手の作業って、
「一人でやると作業量が多くてしんどい。
でも、ご近所さんや友達と集まっておしゃべりしながらやると楽しい。」
という類のものだなぁと感じました。

それで昨年、友達と集まってわいわい味噌仕込むの楽しそう!
と思って参加しました。


たぶん、本来は、生きるための作業って
全部そういうふうになっているんじゃないかと思います。

現代の個人の家庭で、「家事」としてやっていると、
孤独でしんどい。
でも、気心のしれた仲間と一緒にやると、
「労働」というより一つの「楽しみ」にもなり得る。

生きることって、本来は楽しくなくちゃやってられない。

「お日様の光」の記事のテーマとも同じなんですが、
実は、日常生活の楽しみを奪って
常に人を欲求不満の状態にしておくことで、
支配することができます。

自分の生活の中で楽しく満たされている人って、
支配できない。

自分の欲求不満を満たすために、
他の人から「すごい」と言われようとして
ブランド物買ったり、整形手術したりしないわけですよ。
勝ち組になろうとして戦ったりもしない。

電車の中でたくさんの人が
スマホでゲームやったり
通販サイトひたすらスクロールしたりしてるの、
欲求不満で何かで満たそうとしているからでしょ。
そういう状態だと、世の中がNISAだと言えば
素人が自分に適性があるのかどうかも考えずに
株買って大損したりする
(適性のある人って何事においてもいるので、
向いてる人は利益あげるでしょうけど。
よっぽど適性があると自負している人じゃない限り、
政府と維新が推進している時点で手を出さないのが
良識ってもんじゃないですかね)。

自分の生活が楽しくて満たされている人って、
広告に踊らされることが少ないわけですよ。
もちろん生活に必要なものは買いますけど。


過去の生活様式の中で、
女性が「嫁」という立場で
奴隷労働をさせられていたというような
ネガティブな要素を排して、
今だったら純粋に楽しくできることって、結構ある。
編み物記事全然書いてないけど、私の編み物もそう(笑)。

私に味噌づくりを教えてくれた彼女は、
以前から味噌の講習をやっていたんだけど、
コロナの自粛期間中はZoom使ってやっていたとのこと。
めっちゃ今どきだなと思いました。
コロナ自粛に限らず、そんなのもありよね。
友達と遠隔でおしゃべりしながら
いろんなもの仕込んだり作ったりするのも、
ほんと「あり」だと思います。


もう一つ、感心したのが、
彼女の人脈で「ふつーのルートでは手に入らない良質な材料」を
用意していただいたこと。
あるんですよ、そういうの、結構。
「一般人は知らない、買えない」っていうもの。
生産者さんも「いつも買ってくれるこの方の分は取り置きして
注文を待っている」みたいなもの。
一般市場に流すほど量がない、とか。

本当にいろいろなものが破壊されてしまっている日本の中で、
それでも個人個人のレベルで、
良いものを作りたい、良いものを維持したいとがんばっている人が、
いろんなジャンルでいる。
そういうのが、個人のコネクションという細い糸でつながって、
メインストリームからは見えない形で
密やかに流通している(別に秘密にしているわけでもないんだけど)。


以前、ネットで「台湾はすべて外食でおふくろの味というものがない」
というのを読んだことがあって、
台湾はよっぽど良い社会なんだろうなぁと思ったことがあります。
食事をすべて外食に頼っても、
健康的で経済的な食事が提供されている、という意味で。
今ネットで調べると、地域と世代と民族とでだいぶ差異があるようで、
完全外食なのは、都市部の共働きの世帯が中心のようです。
(女性の正社員率が98%くらいというのも読んだことがあります。)

かたや日本では、外食に頼ると
あっという間に外食産業の餌食にされてしまう。
自分の子供の頃の記憶をたどっても、
私の親は割と保守的で健康的な食事を意識していたけど、
小学校では人気者の元気な子たちがマックの話をしているので
マックのハンバーガーを食べてみたいなぁと思ってました。
子供っていうのはそういうものなんで、
経済至上主義の外食産業に惑わされるなっつー方が無理なんですよ。

日本の経済が強かったときは、
望めばいくらでも上質なものを食べられたけど、
経済が失墜した今、
コンビニ弁当の新たなメニューとして
ごはんに揚げ玉のっけただけの「揚げ玉弁当」なるものが
発売されたとかいうニュースを見る始末。

社会に基本的な良識とか倫理観がないと、
ひとたび経済が失墜すれば、このありさまですよ。
それに、社会に基本的な良識とか倫理観があれば、
日本経済がここまで失墜するっつーこともないのね。

こんなこともあるので、私は、
食は手放さない方がいいと思っています。
毎日自炊するべきとか言いませんし、
ファストフードもスナック菓子も食べるなとかも言いませんが、
自炊はできた方がいい。
自分を守るために。

お金持ちなら今でも良い食事はできるけど、
コンビニで揚げ玉弁当しか買えない経済状況でも、
自炊手放していなければ、
意外と「抜け道」ってあるんです。
良いものを知っている人脈通じて、
なんだかんだ流れてくるものってあるんです。

ただまぁ、X(ツイッター)でもいつだか言われていましたが、
「自炊ができる」「食材を無駄にしないで使い切れる」っていうのは、
誰にでもできるというものではなく、
それができるということ自体が「立派な文化的資産である」、と。

それから、料理自体はできる人が、
忙しすぎて自炊ができなくなることってあると思うんですが、
そういう状態って2~3年は持ちこたえても、
これから先何十年も続けていける生き方ではないでしょう。
自分の生き方、働き方、これでいいのかな、と見直すための
判断材料にもなると思うんですよね。
もっと大きく言えば、
日本の社会、これでいいのかな、と見直すことにも
つながるとも思います。

ちょっと長くなってきちゃったので、
「自炊ができるという文化的資産」を、
個人的にも社会的にもどうやって作っていこうかって話は、
また別の記事に譲りたいと思います。

あと、友人に教えてもらった味噌づくりで、
味噌以外の収穫もあったので、
味噌記事、もう1回続きます。