タイトル長くてすみません。
エコロジーって実はいろんな視点があるでしょ。
で、現時点で、複数の視点からのエコロジー論が
それぞれぶつかって矛盾したりするわけですよ。
それはエコロジーに限ったことじゃなくて、
世の中全般、実は物事ってそうなっているんだけど。
だから、エコロジーを通して、
複数の視点の言い分を見てみて、
この矛盾をどうしたらいいだろう?と考えるということをしてみよう。
それが何に役立つかというと、
誰かが「これが絶対に良い」と言い出した時、
そして、世の中が「そうだそうだ、それが正しい」と同調する時、
「え、本当にそう?」と立ち止まることができるようになる。
例えば、「ロシアが悪くてウクライナが良い」という時。
「人質をとったハマスが悪いのだから軍事制裁すべき」という時。
この二つの例は、現時点で国際政治について良心的であることを
自任している人であれば、
「それはおかしい」と思うであろうもの。
でも、それが「わからない」時というのがあったのも事実。
その時に「大きな声が言っている善」に対して、
自分が確信を持てるまで立ち止まることも必要。
その練習として、
ちょっといろいろなエコの考え方を見てみよう。
*******
私は海で遊ぶのが好きなので、
エコロジーの中でも「水を汚さない」ことに力点を置いています。
何十年も前に小笠原のサーフショップ「RAO」さんで知った
「海へ…」という洗濯洗剤をずーっと使っています。
「RAO」さん私が小笠原に通っていた当時、
ドルフィンスイムのボート出していました。
思い出話はきりがないので今はしませんが、
「海へ…」は、湘南発祥のがんこ本舗さんが作っている洗剤で、
「水のエコ」言い出したらまず「海へ…」でしょ、
くらいのポジションです。
今はちょっと気の利いたお店ならどこでも売っているので、
気になったら調べてみてください。
洗濯洗剤としてはめちゃくちゃ高いですが、
シルク・ウール・カシミヤなどの獣毛や、
ダウンも洗えます。
なので、私がクリーニングに出すものは
コートやスーツなどのアイロンかけが難しいものだけ(笑)
編み物やる人にも最適です。
で、このがんこ本舗さんに限らないのですが、
「水のエコ派」が推奨している皿洗いの方法は、
基本的に「ふきとり」式。
食器や調理器具についた汚れをあらかじめ拭き取ってから
洗いましょう、というもの。
私の場合はアルカリイオン水(クリーンシュシュとか)を
スプレーして古布で拭き取ってから石鹸で洗う、という洗い方をしています。
(がんこ本舗さんの食器洗い洗剤は石鹸よりもエコですが、
私は今は石鹸使っています。)
まぁこの洗い方は、「水のエコ派」からすると
そう異論のあるものではないんじゃないかと思います。
一方で、別のエコの視点で、
「可燃ごみの水分をできるだけ減らす」という考え方があります。
可燃ごみを燃やすために化石燃料が必要になるので、
可燃ごみの水分を減らして燃えやすくすれば、
それだけ化石燃料にまつわる弊害を減らすことができる、
という考え方。
なおかつ、現在のゴミ焼却施設(清掃工場という言い方をするみたいですね)、
焼却熱で発電もしているので、
可燃ごみが良く燃えてくれれば、少ない化石燃料で発電もできて、
原子力発電所はもちろん
火力発電所の比重も減らしていくことができるわけじゃないですか。
比較的記憶に新しいところで、
日本の政治史の汚点に残るであろう「安倍のマスク」、
倉庫に大量に保管してあって費用もかさんでいたのをどうにかしろと言われて、
岸田が対処して「燃料資源として再利用した」みたいなこと言っていたじゃないですか。
要は「焼却処分した」っつーことなんですけど、
今の日本の焼却施設は発電してるから、
「電力供給のための資源として活用した」と言っても嘘にはならない。
でも「何の役にも立たないので燃やして捨てました」と言うべきだけどな。
覚えてますか、皆さん。「安倍のマスク」。
カビてたとか虫が入っていたとか、とてもじゃないけど衛生用品として機能しない品質、
1世帯に2枚とかいう枚数、国から請け負ったとされる会社がペーパーカンパニーとしか思えないような辺鄙なところにある粗末な建物、莫大な税金、ミャンマーの軍事政権に金が流れたんじゃないかとか、その他もろもろ、
何にも解明されてないし決着もついてないのに、
いまだに自民党政権ですよ、この国。
「安倍のマスク」レベルの政治的汚点が目白押しで、
もう頭のメモリーパンクして無感覚になってるでしょ、日本人。
(っていうかこのブログ、海外の方がいつも見てくださっていて、
日本人ほとんど見ない(笑))
まぁちょっと皮肉を言いたかったんですけど、
要は、可燃ごみが良く燃えれば、
化石燃料の消費を削減できますよっつーことです。
私もそれには異論ありません。
で、この「可燃ごみの水分を減らす」エコ、
生ごみの水分を減らす、というやり方があります。
お茶殻とかティーバッグとかギュッと絞って捨てる、とか、
三角コーナーとか排水溝にかけたネットを、
しっかり絞ってから捨てる、とか。
手をかける方は、生ごみをベランダで少し乾かしてから出す、
という方もいます。
私も生ごみ絞って捨てる、はやるのですが、
その「生ごみの水分減らす」という考え方からすると、
私は、汚れた食器にスプレーで水分吹き付けて古布で拭き取って…という、
「生ごみの水分を増やす」洗い方をしているわけです。
でもほら、「水を汚さない」という観点ではそうするべき、というね。
まぁもちろん、生ごみを極力ぬらさないまま捨てる、ということもしてますけど。
野菜など食材を処理した時に出る生ごみを直接ゴミ袋に入れて、
三角コーナーや排水溝のゴミ受けは洗う時に出るものをキャッチするだけ、
というような使い方。
あと、そもそも論で「生ごみを出さない」という考え方があって、
コンポスト(段ボール版もあり)とか使ってたい肥にする、
というやり方も昔からあるんですが、
今の生活だとたい肥ができても使えないという家庭も
少なくないかと思います。
新築マンションだと、生ごみディスポーザーとかいって
生ごみを粉砕して下水に流すタイプのキッチンがあるようなのですが、
それは「論外」(笑)。
この「可燃ごみ焼却に使う化石燃料を減らす」という考え方を知ったのは、
かれこれ四半世紀近く前でした。
図書館で借りた本で読んだので、
著者もタイトルも忘れてしまったのですが、
ゴミ処理やリサイクル業をされている方が書いたものでした。
当時日本では「マイ箸」運動が盛んでした。
飲食店で割りばしを使わずに、自分の箸を持ち歩いて使い、
森林資源を保護しよう、という運動でした。
が、この著者はそれに否定的でした。
割りばしのような細かい木材は燃えやすいので、
ゴミの焼却施設で火力を保つのに役に立つ、と。
逆に割りばしのようなものがないと、
燃えにくい生ごみや質量の高いものを燃やすために、
化石燃料をたくさん使わなければならなくなる。
例えるなら、キャンプやバーベキューなどで火を起こすときに、
薪に直接火をつけても燃えないので、
枯れ枝などの細かくて燃えやすいものを集めて火を大きくして、
薪に徐々に引火していくイメージ。
それから、
割りばしは間伐材や建築材料としては使えない端材を使ったもので、
その端材が「割りばし」として商品価値を持つことで、
林業を経済的に支えることにもつながっている、と。
私はエコロジー意識が強かったものの、
こういうことを知らなかったので、かなり驚きました。
さらに、
リサイクルばかりが喧伝されているけど、
リサイクルに必要なエネルギーのことを計算しているのか、
といったことも言っていました。
各家庭からリサイクル資源を集めるエネルギー(人力・機械運送)、
リサイクルするために必要な設備・エネルギー、
リサイクル品をリサイクル品として流通させるエネルギー、
そういったものすべてを勘案した場合、
使い捨てよりもリサイクルした方が余計に環境負荷がかかっていることの方が多い、と。
本当にこれ、四半世紀くらい前に読んで初めて知って、
頭殴られるくらいのショックを受けたんですよ。
で、さらに今、ゴミ焼却施設の性能が上がって、発電してるでしょ。
え、だったら燃やしちゃった方が良くない?って。
数年前に、X(ツイッター)でゴミ収集業者さんのポストがバズっていたのですが、
資源ごみの「雑紙」にある種の紙が混ざっていると再生紙が数トン単位でダメになるので、
こういう紙は資源ごみに出さないでください、というもの。
なんか靴の詰め物に使われることが多い紙とかなんとかだったような気がするのですが
忘れました。
ちょっと待ってよ、一般人知らないでしょ、そんなこと。
その業者さんも、「リサイクルご協力いつもありがとうございます!」と
気持ちの良い文面でそういうことを書いてくださっていたし、
それを見た人たちも「知りませんでした~!教えてくださってありがとうございます!これから気を付けます!」みたいなレスをしていて、
いや、美しいやり取りだったんですが…。
美しいやり取りだけに、ちょっとなんと言うかさ。
いや、無理でしょ、これ。
一般人知らないことたくさんあるもの。
レシートとか細かいものまでリサイクルに出している人、いっぱいいて、
それは私もかつてそうだったんだけど。
善意で日々努力して資源ゴミ分類して、
その中にフツーの人が知らない何かが混ざっただけで、
何トンもの再生紙ダメになるとか、
危なすぎて、ただの無駄でしょ。
え、だったら燃やした方が良くない???
細かい紙ごみ良く燃えて、焚火起こすときの枯れ枝の役割してくれるなら、
燃やしちゃった方がよっぽど良くない?
だって何をどうやったって、燃えにくいゴミ出るじゃん。
大きなものや質量の高いもの、
生ごみ水切らないで出す人だってフツーにいるだろうし、
コンビニ弁当食べてそのままゴミに出す人だっているでしょ、
汁とか食べ残しとかそのまま。
自分が何をどう努力していようが、
何も考えず何もせずにゴミ出す人なんて、
現時点で、フツーにいるでしょ。
だったら、「意識高い系」の人が人力というエネルギー浪費して出す
雑紙(資源ごみ)、燃やしちゃった方が良くね???
燃えにくいゴミ燃やすための化石燃料の使用を減らせて、
発電できて、
再生紙作るためのエネルギー全部節約して、
なおかつ、リサイクルした何トンもの再生紙を全滅させる博打も回避できるなんて、
そんなの燃やした方が良くね???
まぁちょっと私、文体が「煽り系」なんで、
極論に感じるかもしれませんが。
私が現時点で考える「この方が良くね?」という案は、
牛乳パックや段ボール、新聞紙、職場で出るコピー用紙のような、
品質とリサイクルルートが確立しているものだけを回収する、というもの。
牛乳パックは良質なバージンパルプを使っていて、分類もしやすく、
ティッシュペーパーへのリサイクルなど、ルートも確立している。
そういうものだけをリサイクルして、
あとは化石燃料を減らすための「燃料資源」として燃やす。
も、そういう安全なことだけやった方が、良くない?
あえて博打する必要、なくない?
さらに言うと、私はプラゴミのほとんども燃やした方がいいと思ってます。
特に「洗って乾かしてから出してください」と言われるようなプラゴミ。
あのさ、「水のエコ派」から言わせてもらうと、
水も資源で、金もかかってるし、
プラゴミリサイクルするために
水わざわざ汚してほしくないんですよ。
あ、まぁ「水のエコ派」の総意ではなく、
「水のエコ派」の中の一人である私の個人的意見ですがね。
洗って乾かす人力は無尽蔵だとでも???人力もエネルギーぞ???
家の中に干すのも目障りだし、
外に干して風で飛び散って近所トラブルになるとか、
一般人の生活、なんだと思ってる?
昔はプラスチック燃やすとダイオキシンが発生するから不燃ごみで出していました。
でもいまや、焼却施設の性能が上がって、
プラスチック燃やしてもダイオキシン発生しません。
リサイクルに不向きな汚れたプラスチック(古い文房具とか「おまる」とか)は、
可燃ごみに出してください、とわざわざ書いてある。
だったら堂々と燃やせばいいじゃん。
プラゴミ再生させるために化石燃料使って、
ゴミ焼却のために化石燃料使って、なら、
プラゴミ燃やせばそのまま「化石燃料」よ???
プラゴミからプラスチック製品再生するにしろ、石油的なエネルギー源に再生するにしろ、
そのまま燃やせば、良く燃える「化石燃料」よ?
まぁプラゴミが良く燃えすぎて、高温になりすぎて炉を傷める、とか、
そういったことは私は今わからないので、
また専門家の意見を聞かないといけない部分ではありますが。
ただ、エコとかリサイクルとかいう時に、
そういう視点でものを考える人いないのかなと、いつも思うのね。
新しい技術は開発するべきだし、
その新しい技術が社会に定着するまでの不安定な期間っつーのは確かにあって、
石油資源に当たるようなエネルギー源へ再生する努力を、
私は否定しません。
ごみ焼却施設で発電できるようになったのも、技術開発あってのことだし、
何でも「こんなことができたら、今よりもっと良くなるんじゃないか」と思うことを
研究開発して、社会に定着させる努力は必要です。
なんだけどもさ、「エコと言えばリサイクル」で思考停止してませんかね?
リサイクルした場合と、しなかった場合、
社会全体、地球全体でのエネルギー効率ってどうなってんの?
それ考えないで「何か一つが絶対に良い」と妄信して、
結果、全体の帳尻が合わないのって、馬鹿らしいにも程があるんですけど。
それをどこかで確認する作業が必要じゃないかと思うんだよね。
素人の私が、化石燃料の代わりにプラゴミ燃やした方が良くね?と思っても、
実はプラゴミをリサイクルして、化石燃料投入して可燃ごみ燃やした方が
地球全体ではエコなのか、それとも違うのか、実際には私にはわかりません。
でも、「リサイクルするのがエコ」が常に絶対に正しいとも思えない。
これ、わかりやすい例で、
どこかの県庁で、冷房の設定温度を28℃にするのをやめて、
24℃だかだいぶ低めの温度にした結果、
電気代は確かに少し上がったけど、残業代が桁違いに減り、
県庁全体の出費としてはものすごい削減になった、というものがありました。
どこの県だかも、金額も忘れましたが、
電気代が上がった分と、残業代が減った分、
二桁くらい違って話にならないくらいだった(笑)
で、その金額の比較も、
あくまでも「限定された期間」の「県庁の出費」であって、
快適な温度で仕事がさくさく進み、効率の悪い残業が減る、というのは、
「人件費」だけの問題じゃなくて、
働く人の心身の健康、家族や地域社会との関係性、生きる喜び、とか、
数値化されないことがたくさん含まれているのね。
そもそも何のために生きて、働いているのか、とか。
でも、「電気代」だけに着目すれば、確かに上がっているんですよ。
それがポイント。
エコロジー(に限らずすべてのこと)考えるうえで、
何か1点に焦点を当てて「この数値がこれだけ削減されたからエコになった」と言うことに、どれだけの信ぴょう性があるのか、ということ。
「電気代が上がったんだから、やっぱり28℃にするべき」と言うことはできてしまう。
でも、「人件費」も考えあわせれば「28℃よりも快適な温度に設定するべき」と言うことができるし、
さらに、「人件費」で測ることのできない人間が人間として生きて社会を形成することにおける価値みたいなものも考えれば、もっと見えるものが変わってくるわけで。
と、いうような視点を変える話をもう少し続けます。