勉強しなおしています。
2020年放送の「旅するイタリア語」、
俳優の小関裕太さんがシチリアを旅するシーズンを、
ちょうど勉強し終わりました。
いろいろ興味深いことが出てきたのですが、
それが、ピスタチオとモツバーガー。
(ほかにもいろいろありますが。)
まず、ピスタチオ(イタリア語の発音では「ピスタッキオ」)。
シチリアのピスタチオは、
世界でもトップレベルの品質なのだそうですが、
その秘密は、シチリアの活火山エトナ山にあります。
エトナ山の溶岩の上にピスタチオ畑があり、
溶岩のミネラル分がピスタチオをおいしく美しくしているそうです。
っていうか、私が番組見ていて「おぉっ!」と思ったのは、
ほんとーに溶岩ゴロゴロゴツゴツした場所に、
雑~に(失礼)、ピスタチオの木が生えているところ。
いや、ほら、「畑」って聞くと、
そういうゴツゴツしたデカい岩どかして、
平らな地面を作って、均一に木や野菜が植わっている図を
想像するでしょ、日本人。
もちろん、テレビの映像にも、
「これはどかした溶岩をつんでいるんだな」と思われる
岩の寄せ集めみたいな場所もありました。
でも、なんか、岩の隙間にピスタチオの木が自由に生えているような
そんな景色もけっこう見られたのね。
え、これでいいの?というか、
むしろこれで世界最高品質のピスタチオができるなら、
その方が良くね?みたいな。
火山列島日本、溶岩ゴツゴツした不毛の土地、
たくさんあるじゃないですか。
重機入れて溶岩どかすことも難しいとか、
また噴火があったら台無しになるとかで、
放置せざるを得ない場所。
そういう不毛の土地で、
商品作物作れたらすごくいい。
いや、別にシチリアにケンカ売りたいわけじゃないんだけど、
溶岩どかすこともできない場所で、
溶岩そのまま、むしろ溶岩が栄養分となって、
高品質の作物がとれるって、最高じゃないですか。
ピスタチオに限らず、
ほかにもそういう作物あるんでしょうね、きっと。
そしてピスタチオメニュー盛りだくさんなバールでは、
常連の男性が「ピスタチオを食べると女性は美しくなるんだ」と
言っていました。
これ、私的にちょっとおもしろくて。
以前、生理痛についての記事で、
ミネラルが血液を作るのに必要な栄養分なんじゃないか、という
仮説を書いたことがあるんです。
出産直前の韓国の女性から、
「韓国では出産前後にワカメをたくさん食べさせる」と
聞いたことがきっかけで、
いろいろ思い起こしてみたのが、以下。
「出産・母乳育児には血液をたくさん消費する。」
「日本では産後、髪が抜ける女性が多い。」
「韓国では産前・産後にワカメをたくさん食べさせられる。」
「日本では海苔・ワカメなど黒いものを食べると黒髪が美しくなると言われていた。」
「東洋医学では『髪は血の余り』と言われている。」
あと、平安時代のやんごとなき姫君も
髪を最大限伸ばし、その美しさを競っていたというのも、
「髪が豊かで美しい」というのは、
その女性は血液が豊富で健康な状態であり、
ひいては妊娠・出産に適していることの証左なのではないか、と。
ワカメや海苔などに含まれるミネラルが血液を豊かにし、
月経や妊娠・出産・母乳育児で血液を失う女性の健康を保つことに
なるのではないか、という推論です。
と思っていたら、
エトナ山の溶岩のミネラルを吸収して育ったピスタチオについて、
シチリアの男性が「ピスタチオを食べると女性は美しくなるんだ」と
言っていたわけです。
イタリア男が女性について言うことは、
信頼できるでしょ(笑)
良いこと尽くしじゃん。
溶岩ゴロゴロの不毛の地で、
溶岩の上にそのままピスタチオ植えて、
溶岩のミネラル吸収して高品質なピスタチオができて、
それを食べたら血液豊富な健康体になれるとか。
日本ではピスタチオってあんまりメジャーなナッツじゃないけど
(アーモンドとかマカダミアナッツとか、胡桃、ピーナッツとかですかね、
日本で主流のナッツは)、
大量にとれたらとれたで、
なんか美味しい食べ方開発するでしょ、日本人。
そういうの得意じゃん。
女性に限ったことじゃなくて、
男性でも貧血っていうか貧乏神かと思うほど栄養状態悪くて、
エネルギーゼロな男性が時折いるんですが
(それが必ずしも経済状態によるものではなく、
自分で自分のケアができないということからきているように思われる)、
そういう人たちもさ、
女を獲得すれば幸せになれるとかいう世迷事を捨てて、
まず、ピスタチオ食え。
ピスタチオ食って栄養状態良くして、
心身を健康にして、
「女がいるから」という不純な動機で適性ゼロの趣味を始めたりしないで、
自分が本当に好きで夢中になれることを見つけ、
己の魅力を開花させろ。
すべてはそれからだ。
貧乏神みたいな風体で、女に近づいてくるな。
お前にやれるエネルギーなんぞ、女は持ち合わせていない。
女だって生きてるだけで精いっぱいだ。クソが。
(すみません、私怨が出ました。)
え~、何の話していたのかわからなくなりましたが、
私は、不毛の土地とか、デッドストックとか、
なんかそのままだと見捨てられてしまうような物事が、
やり方を変えることで役に立って世の中が良くなる、
みたいなストーリーが好きなんですね。
日本人的な発想だと
「溶岩をどかさないと畑(や工場など)を作ることができないから」
と放置されていた場所が、
むしろ溶岩が要因となって良いものを生み出す、
それも、溶岩をどかすとか整えるとか
そういう余計な労力をかけることなく、
失敗しても大きなロスが出ない形で始められる、
というのは、とても魅力的だな、と思います。
「がんばって、がんばって、がんばる」みたいな、
昔の日本人的発想じゃないところで、
ネガティブ要因と思われていたこと(溶岩ゴツゴツ)を、
ポジティブ要因にとらえなおして、
より良いものを作っていけたらいいよね、と思っています。
そして、モツバーガー。
パレルモ近郊、モツ料理が根付いているそうで、
番組内では、小関さんたちも
店先でモツバーガーとコップ酒(ワイン)を楽しんでいました。
で、そのお店のご主人が、
「この地域には昔ユダヤ人が住んでいて、
彼らが(モツ料理を)やっていたんだ」というようなことを
言っていました。
それを見て「ユダヤ人にはモツ料理の食文化があるんだな」と
思うこともなく思っていたんですが、
改めて勉強のためにテキスト読み込んでいたら、
まったく逆の真相が出てきました。
桜田香織さんによるシチリアの食についての連載記事より。
パレルモにはおそらく5世紀頃からユダヤ人が住み着いていたと言われ、その彼らが15世紀頃は食肉処理を請け負っていました。しかしその作業に対する報酬はお金ではなく、内臓で支払われていたのです。宗教上の理由から内臓を食することを禁じられていたユダヤ人は、
それを調理してパレルモ人に売っていました。
ユダヤ人は自分たちが口にすることを許されていない内臓で支払いをした
パレルモ人に、しっかりと頭を使って策を練り、
調理したものを売ってちゃんとお金を得ていたのですね。
(『旅するイタリア語 2020年5月号』p.23)
そうか。
そうなのか。
なんか、私たちの中にあるこの「底意地の悪さ」、
どうやったら、いつになったら、手放せるのでしょうね。
私たち、というのは、「人類」という意味ですけど。
誰か他者を作り出して、
その他者に自分たちがやりたくない仕事やらせて、
その報酬も、まともに支払わないどころか、
当人たちが食べることを禁じられているもので支払う。
パレルモ人にとっては内臓は価値のないもの、
その上、ユダヤ人にとっては、宗教上の理由で食べてはいけないもの。
食肉処理という、自分たちが生きていくうえで必要な仕事をした人たちに、
価値がないばかりでなく、本人たちが禁忌としているもので支払うとか、
どうして、人はここまで冷酷になれるかな、と思います。
いやこれ、このユダヤ人たちはたまたま頭が良かったからお金を稼げたし、
おいしいモツバーガーがパレルモ名物にもなったけど、
こういう才覚に恵まれなかった人々は
ただ滅びて忘れ去られたわけですから。
で、それがこのかつてのパレルモ人だけでなく、
手を変え品を変え、現代でもやっているわけじゃないですか。
日本も本当にたくさんの恨みを買ったし今でも買っている。
広く知られているものでは、技能実習生という形で奴隷労働をさせるとか。
他の国も、また違う形で、そういったことをしている。
他者とは、他国や他民族に限らず、
「妻」「嫁」「娘」、「非正規雇用者」、尊重されない職種や、
病人、障がい者、貧困家庭であったりする。
介護職の女性が、
自分の収入を「そんな糞尿にまみれた金」と馬鹿にされたと嘆くツイート(ポスト)を、
かつて見たことがある。
バスの運転手がさんざん給料が高すぎる態度が悪いと叩かれて、
給料が減り、結果、今運転手不足で回っていないバス会社が山ほどある。
看護師も然り。
3K(きつい、汚い、危険)と言われた建築業は、今外国人が担っていることが多い。
そのうちまとめて書くけど、中年女性が担うことが多い調理の現場の
社会的扱いのひどさ(でも中年女性はまじめに働くので現場は回る)。
シチリアには古代ローマの遺跡も残っていて、
円形闘技場の遺跡に小関裕太さんが実際に入って、
「ここでみんなに見られながら、闘うんだ」「死ぬかもしれないんだ」
「どんな気持ちだったんだろう」と、つぶやいています。
他者が、死に至る苦しみを、娯楽として楽しむこと。
かつて、日本にもその目的のためとしか思えない
残虐な刑罰がたくさんありました。
それは、世界史で学んだヨーロッパも同じ。
フランス革命の時には恐ろしい言葉として語られた「ギロチン」でさえ、
元はと言えば、受刑者が苦しまないように人道的見地から医師が開発したもの。
絶対的な弱者に苦しみを与えて、それを楽しむ、という人間の性。
もちろん、時代は変わり、進歩はしている。
そう思わなければ、やりきれない。
でも、私たちは、いつになったら本当に手放せる?
他者を作り、他者の痛みを感じようともせず、
他者に優越することで、己を満たす愚かさを。
戦争について語るとき、
環境破壊について語るとき、
もちろん、今、緊急の危機に
即座に対応しなければならないのはもちろんなのだけど、
どうして何度も何度も同じことが繰り返されるのかと、
思わずにはいられない。
今流れている血は、止めなければならない。
今、けが人の止血をしている人が、
尊い存在ではないという意味では、決してない。
デモや抗議行動が意味がないとは決して思わない。
けれども、なぜ、
いつまでもいつまでも、同じことを繰り返す。
場所を変え、言葉を変え、やり方を変えて。
その根源を、どうやって治すことができるのだろう。