2020年8月8日土曜日

自然に負荷をかけないやり方

ずいぶん前に、郵便局の本局で
アルバイトをしたことがあります。
その時にすごく感動した知恵がありました。

夏の時期、外回りから帰ってきた担当者さんは、
ちょっとそっとの冷房じゃ熱をさますことが
できません。

それで冷凍のおしぼりを使ってもらっていました。

冷凍おしぼり自体もすごいなと思ったけど、
その扱い方が本当に秀逸。

段ボール箱にゴミ袋を敷いたものに、
使用済みのおしぼりを入れてもらう。
    ↓
翌朝一番にその箱ごと洗濯機にもっていき、
中身を洗濯機にあけて、スイッチオン。
    ↓
洗いあがったら、濡れたままのおしぼりを
くるくる巻いて、プラスチックカゴに詰めて
冷凍庫へ入れる。
    ↓
外回りの担当者さんたちが戻ってくる頃に
カゴごと冷凍庫から出して、
回収用の箱と並べておいておく。
    ↓
戻ってきた担当者さんがそれぞれおしぼりを
とって、顔や首を拭いたり冷したりして、
終わったら回収用段ボールへ。
    ↓
以下同じ。

無駄が一切ないし、手も汚れないし、
なんて頭がいいんだ~!!と
めっちゃ感動しました。


別な場所で働いていた時にも、
印象に残ったことがあります。

夏の時期、スタッフ用の冷蔵庫に、
2Lのペットボトルを入れている人がいます。
実用的で経済的だなと思います。

が、家で使うような冷茶ポットを持ってきて、
水出し麦茶を作っている人がいて、
すげぇ猛者がいるな、と思いました。

それを見て、結局のところ、
「昔の職場の在り方」が、
一番エコロジカルだったんだな、と思いました。

私が初めて就職をしたとき、まだ昭和の文化が
色濃く残っていて、女性は制服を着て、
お茶くみもありました。

私は女性がお茶くみをすることがよいとは
これっぽっちも思いません。
男性も女性もすればいい、と思います。

あの時代、女性蔑視だからと言って
なくなっていった仕組みの中に、
なくすべきではない大切な知恵がありました。

女性だけがお茶くみや給湯室の掃除を
しなきゃいけないことが悪いのであって、
職場で各自お茶を入れて飲んだ方が、
絶対に環境にも家計にも良いし、
美味しいものが飲める。

まだ世の中が未熟すぎて、男尊女卑の改善と、
ほかのことが全部ごっちゃになっていました。

結局女性だけがお茶当番をしなきゃならない
のを改善するにあたって、
男性もお茶当番をする、ではなくて、
ペットボトルとスタバが侵入してきました。

給湯室の掃除は、業者さんが入っているか、
心ある人がこっそりやっているか、
あるいは昔ながらに女性が当番回すかの
いずれかです。

最初に書いた郵便局のおしぼりの用意も、
アルバイトの仕事です。


給湯室を清潔に維持して、みんなが
美味しくお茶を飲める状態に整えること。
夏の麦茶くらいなら、
職場で共用のものを作っておいた方が
合理的です。

あるいは冷凍おしぼりを用意すること。

そういった仕事が「価値のないもの」と
見なされている。
それをする人は「劣っている人」と
見なされている。
そのことが本当に大間違いで大問題。

今の世の中の壊れ方を見ても、
そういう仕事こそが、
世の中を支える土台だと思います。

職場でお茶を入れられない代わりに、
お金を出してペットボトルを買い、
プラスチックごみを出さなければならない。
私たちが払わなかった代償、
大きすぎやしませんか。

ただ世の中を支える土台の仕事を、
「女のやることだ」と蔑んだために、
こんなに社会が壊れたのです。
あまりにも愚かすぎやしませんか。

男性の営業職が偉いですかね。
女性も人としての尊厳を保ちたいと思ったら
営業職で売り上げ立てないと
いけないんですかね。
そんな世の中の方がおかしいだろ、と思います。

女の仕事、価値のない仕事、とされていたものに
世の中を壊さずより良くしていく知恵が
あります。

社会がそれを理解して給料を払えばいいのです。
そして「劣っている価値のない人が」ではなく、
全員がやればいいのです。
個人が当然やるべきこととして。
トイレで手を洗う、お風呂に入ると同じレベルの
個人が当然やるべきこととして、
全員が普通にやればいいのです。

それが、世の中を壊さず、自然を壊さず、
みんなが幸せに生きていくやり方ではないかと
思います。

無印良品の店舗で水を自由にボトルに詰められる
ステーションができました。
日本は水道水がそのまま飲めるので、
水とお湯が出る給湯室的な設備が
どこでも解放されていたらいいのに、と
いつも思います。
ペットボトルの売り上げがないことより、
世の中全体の損失ははるかに少ないと思います。

2020年8月2日日曜日

人生を踊ろう

東京 市ヶ谷に、
インスティトゥト・セルバンテスという
スペインの公的機関がありまして。
スペイン語やスペイン語圏文化の
普及を目的とした文化施設です。

ちなみにあのあたり、
その手の文化施設がゴロゴロあって、
飯田橋よりにアンスティチュ・フランセ、
九段下にイタリア文化会館があります。

音大出の知人が、イタリア文化会館で開催される
声楽コンクールに連れて行ってくれたのが
最初なのですが、
有料の語学講座や文化講座はもちろんのこと、
無料のすばらしいコンサートや講演会、美術展
などのイベントもたくさん開催されています。

私はお金がない時期が長かったので、
イベント情報アプリで
こういった無料or格安イベントをチェックしては
出かけていました。

*******

前置きの説明が長くなりました。

昨年春に、インスティトゥト・セルバンテスで
スペイン・マヨルカ島出身の
おもしろい金管バンドのライブがあったんです。
サクソフォビア・ファンク・プロジェクト
Saxophobia Funk Project
サックス2名、ギター、ベース、ドラムで
誰か歌ってたかな?

で、イベント案内にも「皆さんを踊らせます!」
みたいなこと書いてあったし、
ライブ前にも、セルバンテスの館長が
スペイン語で何て言ったのか、
通訳者が何て訳したのか忘れたけど、
日本語で言うところの
「今日は無礼講です!
 皆さん踊っちゃってください!!」
にあたるあいさつをしたのですよ。

私踊る気まんまんだったんです。

ところが、曲が始まっても
みんな椅子に行儀よく座ったまま、
誰も踊る気配なし。

2曲目までは何とか耐えたんですが、
3曲目で耐えきれなくなって、
ついに座席横の通路に出て踊り始めました。
(そうそう館長が挨拶の時に、
 席に立っても通路に出てもいいとか
 言っていました。)
いや、この音楽聞いて踊らないのムリでしょ。

で、私はずっと気持ちよく踊ってたんです。
でも誰一人立ちゃしねぇ(笑)

で、プログラム最後の曲が終わって、
アンコールになってはじめて総立ち(笑)
総立ちもだけど、手拍子して足踏みして、
みんな狂ったように踊ってんじゃん!!

っていうか、みんな、
本当は踊りたかったのよね。。
踊りたくて踊りたくてしょうがないのに、
なんか、立って踊れないのよね。。
日本人としてそれすごく良く分かるんだけど
(セルバンテスのスペイン系スタッフも
 ずっと座ってたけどな)、
「アンコールなかったらどうすんねん!!」

いや、ほんと、人生もこれと同じで、
アンコール、ないかもしれないんですよ?
踊れる曲を聴きに来て、
ずっと踊りたいと思いながら我慢して座ってて、
アンコールなら踊れるだろうと思って耐えてたら
ミュージシャンが
誰も踊らないことにがっかりして
アンコールやってくれないかもしれないんだよ?
ミュージシャンがやさしくて、
アンコールまでやる気でいてくれても、
途中で地震が起こって
ライブが中止になるかもしれないんだよ?

そしたら、踊れないんだよ???

人生も同じじゃないですか?

だから館長が親切にも
「今日はブレイコーで
 席に立っても通路に出てもいいから、
 踊っちゃってください(意訳)」って
始めに言ってくれたんだよ?(笑)


受付にチラシがあって
(フライヤーっていうんですかね)
他の会場でもライブやるっていうんで、
新宿の会場に行ってみたんです。

カフェなのかクラブなのか
よくわからないところでした。
ライブ始まるまで近くにいた人と立ち話してたら、
このライブツアー企画した人がいて、
「あの時通路で一人で踊ってた子か~!!」と
えらく喜んでくれました。
(私「子」とか言ってもらえる年じゃないけど
 突っ込まないでおいた)
あとでバンドメンバーが来た時に
あの時踊ってた子だよ~と紹介してくれました。
メンバーも喜んでくれました。

で、まぁここの客は、みんな最初から最後まで
狂ったように踊ってましたよ。
これが同じ日本人&一部外国人かと思いましたよ。

なんか同年代の女性としゃべっていたら、
彼女とそのお仲間は、このプロデューサー企画の
イベントが好きでよく来るとのことでした。
その彼女もこのバンドで踊らないとかありえないと
言ってました。

*******

今でこそ、一人でも踊れるようになりましたが、
その昔は、踊りたいのに
どうしていいのかわからなくて、
ずっと壁際に突っ立っている人でした。

大学の時のクラスメイトに、
帰国子女でジャズを歌う友達がいて、
彼女のライブをよく聞きにいっていたのです。

ある時老舗のクラブで歌うというので
出かけたのです。
その大学のクラスメイトでもう一人、
六本木で黒人から「Hey, Brother!」って
声をかけられる背が高くてナイスバディな
友人がいるのですが、
その彼女が広いフロアでのびのびと自由に
踊っていて、なんとも格好良くて素敵だった。

カッコつけでもなく、異性を意識するでもなく、
本当に、自分が踊りたくて
身体が勝手に動いている。
健康的な長い手足が、
のびのびと喜んで動いている。

素敵だなぁ、かっこいいなぁと思いながら、
私は自分がとてもみっともないような気がして、
壁際で足でリズムを取るのがせいぜいでした。

だから、まぁ、セルバンテスの皆さんが、
立って踊れなかった気持ち、よくわかるんです。

でも結局、アンコールでは
みんな立って踊ってたじゃん?(笑)
誰が上手いとか、誰の手拍子がずれてたとか、
誰も考えもしなかったじゃん?
踊りたくて踊りたくてしょうがなくて、
踊れてうれしくて、
みんな壊れて踊ってたじゃん?
多分、踊りたい気持ちが1mmもない人は
あのライブ来ないと思うんだ。

私がいつから、どういうわけで、
踊れるようになったのか、覚えていません。

ただ、今その時にある、そのことを、
喜ばずにいることが
あまりにももったいなくて、
じっとしていることに耐えられなくなった
のかもしれません。

インスティトゥト・セルバンテスのライブの日、
その直前に私は恋人との別れを覚悟しました。
過去にすごく傷ついたことがあって、
長い間恋愛をすることができなくなっていたあと、
ようやく10年ぶりに恋人ができました。
でもお互い歳を取ってからの恋愛は、
いろいろな事情が重なるもので、
始まったばかりの恋だけど、私から
終わりにしようと伝えなければならないだろう、
と決意しました。
それがライブの直前でした。

どんな愛も、どんな喜びも、
今、目の前にあるその時に受け止めて、
愛し、喜ばなければ、
そうできるときは、もうないかもしれない。

歳をとって、たぶん、
そのことがわかるようになったのだと思います。

だからもし、
目の前に愛することができる人(もの)がいるのなら、
ただ、愛してほしい。
今喜ぶことができることがあるのなら、
ただ、喜んでほしい。

たぶん、そうできるときにそうしないで、
その機会を失った後悔は、
とてもつらいものだと思うから。

私は踊ることや歌うことが好きだけど、
好きなものは、人それぞれ。
自分が本来やりたいこと、やりたかったことを
思い出して、えいやっ!ってやってみたほうが、
多分、いろいろ楽しいと思う。

【追記】
すみません、「人生を踊ろう」って
あくまでも比喩なので、
コロナ収束するまで
ライブやクラブで思いっきり踊ろう、は
ご遠慮ください。
名古屋のクラブでクラスター発生とか
ツイッター流れてましたね。。