もうずいぶん前になりますが、ファミレスのデ〇ーズで
「シェフコブサラダ」というメニューがありました(今もあるかも)。
その後「コブ料理長のまかないサラダ」という名前に変わりました。
デ〇ーズ以外の一般では「コブサラダ」という名前で通っているかもしれません。
レストランの従業員用の食事(まかない)としてシェフのコブ氏が作った
ありあわせのサラダがすごく美味しくて評判になり、
はるばる海を越えて日本でも食べられるようになりました、みたいな感じですかね。
初めてこのサラダをデ〇ーズで食べた時は「こんなに美味しいものがあるのか」と
感動しました。
その後ずいぶん長いこと、デ〇ーズではこの「まかないサラダ」とパンという食べ方をしていました。
青野菜に、ゆで卵や炒めたベーコン、アボカド、エビ、豆類、トルティーヤチップスなんかが載っていて、濃いめのソースでいただくサラダ。
見た目にも彩り豊かで、いろんな食材がたっぷり入って、美味しくて健康的。
言われてみれば確かに、レストランの厨房で冷蔵庫に入っているありあわせのものをザクザク盛って、ソースでおいしくまとめました、という感じ。
私が通っていた江上料理学院でもレシピを学びました。その時の先生も、冷蔵庫のありあわせでサラダ作って、「〇〇(自分の名前)のまかないサラダ」にしていいんですよ、と冗談半分に仰っていました。
まぁでも考え方としては、そういうことです。
で、この「まかない(従業員用の食事)」に関しては、江上料理学院で学んでいる間におもしろいことが二つありました。
江上料理学院の副院長が仰るには、「和洋中」の料理の中で一番食材を無駄にしない食べ方をするのは、中華料理だそうです。
で、以前、その中華の一流ホテルの料理長をしていた方が、江上の先生はじめ料理関係者の方を招いて、おもしろいテーマのお食事会を開催したんだそうです。
「私たちは普段こういうものを食べているんですよ」と言って、「一流中華レストランでのまかない」を、披露してくださったそうです。
例えば、「北京ダックの舌を集めて作った料理」とか。
まぁ高級な中華レストランでは、北京ダックたくさん作るんでしょうし、でもお客様は舌なんか存在すら意識しないでしょうしねぇ……。アヒルの舌がどんな味かなんて考えたこともありませんでしたが、牛タンとかめちゃくちゃ美味しいですし、中華料理の技をもってすれば、きっととんでもなく美味しいものに仕上がるのでしょう。
他にもいろいろ聞いたんですけど、情報量とショックが大きくてほとんど忘れてしまいました。
また、江上料理学院でも、従業員用のまかない料理を作っているのですが、
料理の授業で出る野菜くずなども、物によってはスタッフさんが「回収します」と言って集めていました。
例えば、人参や玉ねぎの皮や根っこのところなどは、西洋出汁を煮出すために使います(これは、まかない用というより授業で生徒が使う出汁でもあります)。
芹を使った料理の時は、根っこのところを「芹鍋に」と言って回収していました。芹の生産地では、むしろこの根っこのところが一番美味しいというそうですが。
で、私が一番ショックを受けたのは、鶏ガラです。
私は長年虚弱体質だったため、東洋医学の養生食として、鶏ガラと生姜とクコの実のスープをよく作っていました。
なので鶏ガラは以前から扱っていたのですが、私は鶏ガラは「食用肉を取り除いた後の食べられない部分」と認識していました。その「食べられない部分」を煮出してスープを採ったから、「食べられない部分もきちんと再利用した」と思って、煮出した後の鶏ガラそのまま捨てていたのです。
それが、江上では煮出した後の鶏ガラを、「まかない用に」と言って回収(年に1回くらい授業でスープの取り方をやります)。どういう風に使うんですかと聞いたら、「骨の周りの肉をこそげ取ってサラダに載せるとバンバンジーサラダみたいになる」とのこと。
私ちょっと天地がひっくり返るくらいのショックを受けました。
いや、本当に食べられるんです、確かに。「私これまで食べられるもの無駄にしていたんだ」、と。
まぁ「スープ」はじめ煮出すものって、スープに栄養素が出ているので、もとの野菜だの肉だのにはもう栄養素が残っていないカスだという考え方があります。漢方薬とかもその類で、煎じ液だけ飲んで、もとの薬草だのは食べずに捨てます。お茶も同様です。
なので、スープ煮出した後の骨回りの肉に、栄養学的にどれくらい栄養素が残っているのかと言えば、よくわからないけどまぁずいぶん減っていそうだなとは思います。
でもこれ、飢餓状態にある人、食べ物に困っている人、あれば食べて生命をつなぐことができますよね。
私は日本に生まれ、たまたま今までは食べ物に困ることがない状態だった(貧乏でしたが)。だけど地球規模でみたら、まだ食べられる肉を捨てるのって、ものすごい傲慢。
本当にショックを受けました。
知らなかったんです。「そういう風に食べることができる」ということを。
で、その後、自分でも鶏ガラ出汁取った後の肉をこそげ取って食べるようになりました。
その肉をフォーにのっけてパクチー散らすと、インスタントのフォースープ使ったものでもちょっと本格的な感じになります(笑)(本来は蒸し鶏ですかね)
ただ、手間はかかります。
今の日本のように人件費が安くて長時間働かないと生活できない社会だと、難しい作業だなと思います。
まぁ本当に政治が間違っています。
「長時間働かないと生活できないから食べ物を無駄にする社会」って、それは「社会がおかしいだろ」と思います。(なので、今出汁取った後の鶏ガラの肉のことなんか考えられない、という人を悪いとは思いません。)
一方で、地球規模で考えて「肉を食べられる」ということがどういうことか、「生命をいただく」ということがどういうことか、をきちんと認識しないまま豊かになっても、かつてのバブルの時代のように、たくさんのものを無駄にするだけの傲慢な社会になってしまうのだろうな、とも思います。
しばらく前に、ドイツでは、大学の学食で肉や魚などの動物性たんぱく質の量を、食事全体の5%だったか、ものすごく少ない量にすることを決定したというニュースをツイッターで読みました。ちょっとパーセンテージ正確に覚えていないのですが、環境負荷を考えて、国内で安全に生産し続けられる割合にするというような方針のようです。
こういう長期的な視座に立って、持続可能な方針を選ぶというドイツの倫理的な姿勢は本当に立派です。
日本の社会もそういう方針を取り入れてほしいと思いますが、今現在の状況について言えば、日本人女性は、もっと肉や魚などの動物性たんぱく質を取っていただきたいです。
日本人女性の健康状態、本当に危ないです。
日本の社会のしわ寄せが女性に集中しやすく、女性は我慢をしすぎてしまいます。
経済的な事情だけでなく、倫理的観点から肉食をやめようと考える女性もいますが(私も一時期そう考えたことがあります)、一部の肉食が体に合わない人以外は、日本人女性が肉食をやめようと考えるのは、すべての日本人女性から生理痛がなくなった後でいいです。
その代わり、自民党や竹中平蔵の関係者にお金が流れないようにして、日本で「威張っているおっさん」たちが食べる肉が減れば十分です。
話はだいぶそれてしまいましたが、まぁそんなこんなで、江上では料理学校としてのカリキュラムが充実して素晴らしいのとはまた別に、スタッフさんからいろいろお話を聞いて、普通だったら捨ててしまうものを美味しく食べる工夫に満ちた「まかない」にとても興味を持ちました。
私がいろいろコネクションとか持っていたら『江上のまかない』という本を出版したいと思ったほどです。
前回の記事でご紹介した、京都の量り売りのスーパー「斗々屋」さんでは、レストランや総菜売り場も併設していて、調理スタッフが店舗の商品をチェックし、売れ残りそうな食材を使って料理を作って販売しているのだとか。
これ、いわゆる「まかない(従業員用の食事)」と仕組みは同じです。
レストランや販売店では、おおよその予測はつくとはいえ、実際に「いつ何がどれくらい売れるか」は、お客様の自由意志に任されています。
そのため、どうしても「売れ残って鮮度が落ちるもの」というのは発生します。
冒頭の「コブ料理長のまかないサラダ」なども、こういった「鮮度が落ちてきたもの」「売れ残る可能性が高いもの」をまとめて料理して、従業員用の食事として使うことで、販売用に仕入れた食材の無駄をなくし、店舗内の素材の鮮度を保つ機能があります。
「カルボナーラ」とか「青椒肉絲」みたいに、特定の材料を特定の調理法で作る必要のある「名前が通っている料理」とは別に、こういった「その時ある素材」あるいは「その時手に入る旬の食材・地域の食材」などを組み合わせて、「名前のない新しい美味しい食べ方」を作り出すのも、プロの技です。
テレビ番組では、プロの料理人が地方に行って、地方の特産の食材を使って素晴らしい料理を作る、みたいなものも人気です(NHKで以前やっていた「キッチンカーが行く」など)。地方にはその土地で長年伝わってきた美味しい食べ方があるのですが、和洋中、様々なジャンルの一流の料理人もまた、違った視点で素材を見て、違った生かし方をする。
そこにまた、新しい文化が生まれ、豊かになる。
家庭から出る食品ロス問題に取り組む団体「フードサルベージ」の啓蒙イベント「サルベージパーティ」に、以前何度か参加したことがあります。
参加者が家庭にある賞味期限間近の食品をそれぞれ持ち寄って、集まった食材をもとに、料理人が料理を考え、みんなで作って食べる、というとても楽しくて画期的なイベントです。
多くの一般人は、一つの調理法しか知らず、「カレー」だったら「いわゆるカレー」、「焼きそば」だったら「いわゆる焼きそば」しか作らないので、「キャベツがないから焼きそばが作れない」と思って、焼きそば麺や豚肉をダメにしてしまう、みたいなことが往々にして発生します。
それを、「そんなことないよ、こういう風にしたら違う食べ方ができて、無駄にしないですむよ」という「発想の転換」を促すためのイベントです。
大変感銘を受けたのですが、ある回では、うどんと焼きそばと、麺類がかぶって集まってしまったことがありました(ちなみにうどんは私が持って行った(笑))。
その時の料理人さんは、うどんをパスタ風に調理して主食にし、焼きそば(生タイプ)は、麺をビニール袋にいれてめん棒などでついてやわらかくし、団子状に丸めてフライパンで焼き、一部はコーンなどを練りこんでソース味のおかず風に、一部はジャムなどを使って甘いデザート風に仕上げていました。
その料理人さんは、「材料が何かを考えると、どういう風に使えるか思い浮かぶ」と仰っていました。焼きそばだと小麦粉なので、パンとかお菓子とかと同じだなぁ、と。
これ、本当にすごいなぁと思いました。
料理であれ何らかの技術があると、目の前にある「余りもの」を、いろいろな形で生かすことができる。
私は、今の社会にこういう「知恵」がもっとたくさん必要だと思います。
「桜の花と、つつじの花と」の記事でも書いたのですが、
私が時折通りかかる個人経営の手芸屋さんで、ガーゼ布がセールになっていました。
昨年コロナ禍の初めに不織布マスクが不足し、たくさんの人が布マスクを手作りしようとしたため、その材料となるガーゼ布がたくさん流通したのです。
やがて不織布マスクが十分供給されるようになり、コロナが空気感染することが明らかになったことで、現在では布マスクではなく不織布マスクを使うことを推奨されるようになりました。
こういった背景で、ガーゼ布が過剰在庫になっているのだろうと思います。
オカダヤさんとか体力のある企業は、在庫抱えても大丈夫なようで、今でも定価で販売しているようですが、個人経営の店舗などでは「売れる見通しのない在庫を抱えられない」「現金化する必要がある」などの事情で、セールに踏み切っているところもあるのではないかと思います。
私も「家用のワンピースでも作ってみるか」と買ってみたのですが、もともとがマスク用のガーゼ布なので、すごく品質が良いし、マスクを手作りするような大人の女性が顔につけてもいいと思うような、素敵なプリントのものが多いです。
今はまだいろいろな点で不安定な世の中なので、こういったことは必ず発生します。
何かが発生して(それが疫病や災害などだけでなく、単純に流行という意味でも)、あるものに需要が集中すること、ということがあります。
需要が間に合わず「粗悪品が高値で売られる」時期と、供給が満たされて需要が落ち「上等品・良品がたたき売られる」時期というのが、発生します。
中国では、昨年パルスオキシメーターが大量生産され過剰在庫になったようで、少し前には中国の通販で1個100円くらいで売られているという情報も流れていました。
コロナ対策が遅れ、政府があてにならない日本で、たくさんの人が個人輸入したようです(私は買いそびれました)。
日本でマスク用に流通したガーゼ布については、今「上等品・良品がたたき売られる」タイミングです。
私は単純に「こんなに良いものが、こんな状態でワゴンセールされていてもったいなぁ」という気持ちと、「みんなが困っているときに必要なものを供給してくれたお店が、過剰在庫で困っているなんて申し訳ないなぁ」という気持ちが動いて、なんとかできないだろうかと思いました。
日本人の悪いところとして、何かの流行とか必要が発生すると、みんながわぁ~っと同じものに群がるのに、その流行が終わると後はみんな知らんぷり、というのがあります。
四半世紀前のナタデココブームとかもそうだし、需要に合わせて生産・供給体制を拡張したのに、ブームが去ると見向きもしなくなって、誰かが負債を抱えても我関せず、新しいブームを探す、というようなことを繰り返しています。
私はこういう軽薄で無責任な態度、社会としてすごく情けないし、申し訳ない。
で、このガーゼ布をどうやったら有効に使えるかなぁと考えて、先の「家用ワンピース」のほかに、2枚重ねにしてフェイスタオルサイズに縫ってみました(ダブルガーゼの2枚重ねなので、ガーゼは4枚重ね)。
私は自律神経系が弱くて、大量に汗をかくことがあるので、冷え防止もかねて、家では首にタオルを巻いていることがよくあります。
更年期障害の場合でも、「ホットフラッシュ」と言って、急に上半身が暑くなってバケツで水をかぶったように汗をかく、という症状があるのですが、私は長年そういう状態。年齢的には更年期障害といったほうが通りが良い年ごろではあるのですが、私はこれ、もともとの自律神経系の弱さからくる長年の症状。
今の日本人女性、こういう症状抱えている方、少なくないんじゃないですかね。社会が不安定で、女性がたくさんのストレスを抱えているので、自律神経系が乱れてしまう方、多いと思います。
ま、そんなわけで、私はもともとフェイスタオルを大量に使っていました。
それで、セールになっているガーゼ布をタオル替わりに使うのもありだなぁ、と思いました。もちろん「使える部分で」の話ですが。
私は髪が長くて多いので、洗髪には地厚でしっかりしたタオルが必要です。
が、枕に敷いたり、首に巻いたり、食器を拭いたり、洗面台やトイレにぶら下げるタオルとしてなら、私にとってはガーゼで作ったものでも十分。
なんかこういう、「十分に必要を満たす」というレベルで、社会に発生するロスを防ぐ使い方をすることができないかな、ということを考えています。
もちろん個人的な感性も関係するので、全員に強制したりするようなものではありません。「タオルの感触が生活に必要」という感性の方もいるわけで。
考え方としては、「まかない」に近いです。
「カルボナーラ」や「青椒肉絲」ではないけど、これはこれで美味しくて必要を満たす。
場合によっては「コブサラダ」みたいに、それ自体が素晴らしいと称えられるものができる可能性もある。
今私の目に留まって気になったのはマスク用のガーゼ布だったけど、
社会の中で、ほかにもいろいろなものがそんな状態にあるはず。
例えば、タピオカとかもそんな状態なんじゃないかと思います。
私はたまたまガーゼ布をタオル替わりに使ってみるか、と思ったけど、
人によって、「何が余っているか」、「どういう風に使えるか」、気が付くもの、思いつくことが違うのではないかと思います。
私が毛糸を仕入れている中古サイトでも、超高品質な工業用糸がアパレル工場から半端品として出品されることもある一方で、あんまり高く売ろうとしないで「とにかく売ってしまいたい」という感じで段ボール箱に4キロとか同じ毛糸を詰めて販売しているところもあります。まぁ、産業廃棄物として経費をかけて処分するくらいなら、事務手数料分くらいの金額で売った方がいい、というような感じなのかもしれません。
よっぽど気に入った糸でなければ、私のように個人でちまちま作って売っているような者には手を出しにくい形態だなぁとは思っていました。
が、先日「ウール90% ナイロン10%」という糸がそういう形で売られているのを見て、
「この材料の割合は靴下にちょうどいいんだよなぁ」と思いました。靴下は強度が必要なので、ウール100%より少し化繊が入っていた方が長持ちしてよい、と言われています。
色味も濃いめだったので、さらに靴下にはちょうどいいし、と言って、こんなにたくさん一人では作れないし、うーん、と悩んでしまいました。
まぁ、すでに私が靴下を商品化するために、ウールとアンゴラ、アルパカ、シルクなどの高品質な糸をたくさん仕入れている、というのもあります。
ただ、なんというか、私が「Mermaid Knit」でやろうとしている「最高の材料を使った最高のニット」という路線とは別に、
「過剰在庫でこのままではロスになってしまう可能性のある良質なもの」を使った「十分に必要を満たす」、「まかない」路線の商品というのも、今の世の中の一助になるんじゃないかなぁ、と思いました。
とはいえ、私の人件費を考えると、「まかないだから安い」ということにはできずいろいろ悩ましいのですが。
例えば手編みの靴下が3000円で売っていたとして、普通は「靴下に3000円?高っ!」と思うと思います。量販店では3足1000円が相場ですからね、化繊とはいえ。
でも、靴下手編みする方はおわかりかと思いますが、仮に時給1000円で換算しても、靴下1足3時間では編めないんです。まぁぶっちゃけ材料費なんてどうでもいいくらい、人件費としてペイしません(笑)すでに固定のお客様がついているニット作家の知人も「コンビニでバイトした方が儲かる」と言います。まぁそんなもんです。
ガーゼを使ったタオルも、「質の良いガーゼだから、これ商品にしたら売れるかな?」と思って市販のフェイスタオルの値段を調べたら、今、日本の物価が本当にとんでもなく下がっていて、「安さ」ではとても競争することはできません。
「そこそこ品質の良いものの世間一般の値段」を調べる時に、私はよく無〇良品のサイトをチェックするのですが、フェイスタオル290円でした。
まぁこの値段じゃちょっとどうしようもないですね。
ただ、社会としてそれでいいかというと、「こんな社会を維持しちゃいけない」と思っています。
ある程度まっとうな品質のフェイスタオルが290円とか、どれだけ原料を買いたたき、どれだけ安い人件費で作らせているの、ということなので。そんなことが長続きしちゃいけないし、また、そういう不均衡は必ず何らかの形で崩壊すると私は思います。
また、「少し良いものであってもその値段じゃないと買えない」ほど、庶民が貧困に苦しんでいる、という社会が、これ以上続いていいはずはありません。
(まずは、来る衆院選で自民党・公明党政権を終わらせて、政権交代しましょう。
「比例は共産党」で。)
なのでまぁ、「まかないだから良いものをお安く」は成立しないけど、
でも、「このままだと廃棄されてしまう可能性のある良いものを使って、必要を満たす」という社会の調整弁としての意義を考えて、その方向性での商品も作ってみようかなぁと、今考えています。
ハイクラス・ニットとしての『Mermaid Knit』とは別に、『まかない屋』みたいな名前を付けてみようかなと思ったりしています。
私は編み物が得意分野なのでニット製品が多くなるとは思いますが、先の段ボールに4キロ5キロとか入っているような毛糸を、小巻にして、社会的意義を感じてくださる方向けに販売するのもいいかもしれません。
編み物グループとか編み物教室とかがあれば、そういう格安で仕入れたものをみんなで分け合って使う、ということもできるのですが、コロナ禍のために編み物教室を始めることができませんでした。日本のコロナ対策本当におかしいので、まだ当分難しそう。。
でも、「思いついたこと」で「できそうなこと」はやってみよう、と思います。