今の日本の社会、本当に間違ったまま、まだ立ち止まることができずにいます。
しばらく前に、そんな状態を象徴するような夢を見ました。
大きな歯車の怪物が大きな音を立てて、地面や周囲の自然を破壊しながら動き回っています。
私はだいぶ前にその歯車の怪物から振り落とされ、傷だらけのまま、地面に呆然と立って、歯車の怪物が動いているのを見ています。
その歯車の怪物、遠くから見ると、チャップリンの映画に出てきそうな鋼鉄の歯車が組み合わさってできているかのようなのですが、
よくよく見ると、全部生身の人間が組み合わさってできています。
歯車の真ん中の方にいる人は、割と楽ちんでいい思いができるのですが、
歯車の外側にいる人は、生身の身体で地面や他の歯車とぶつかり、傷だらけでボロボロ。
私もそんな状態になって、この怪物からこぼれ落ちました。しかも何回も。
「あの歯車に戻らなければならない」と思いながら、まだ体中傷だらけで、どう考えても歯車の一番外側にしか戻れないことがわかっていて、動けないでいる。
そして、歯車の怪物から離れたからこそ、「この怪物、もうだめじゃん」とわかる。
ギシギシギィギィ、今にも壊れそうな音を立てながら、方向性もなく、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、そのたびに周りの地面や自然界を痛めつけている。
ふと見ると、周りにも私と同じようなボロボロな人たちが、何人も呆然と立ち尽くして怪物を眺めている。
そして、「今、立っているこの地面で生きていけたらいいんだな」と思う。
そんな夢。
また、夏のオリンピックの頃だったか、「蟻のデススパイラル」という動画が流れていました(これも時折流れる動画ですが)。
蟻は、食べ物のある場所にたどり着いたり、巣に帰るために、仲間の通った後をついていくという習性があり(何かにおいの物質を出していたような)、
たまにそれがバグを起こして、集団で延々とグルグル回り続ける、ということが発生するそうです。
ひとたびそれが始まってしまうと、集団もろとも体力が尽きて死に絶えるまで、ひたすらグルグルと回り続ける。それを称して「蟻のデススパイラル」と言うそうな。
ただ、どういうわけか、周りの集団と同じことができない個体というのが蟻のような昆虫の世界にもいて、そういうのが周りのグルグルについていけなくなって脱落すると、習性でその後について行く個体が現れたりして、自然にデススパイラルが解体することがあることも観察されているのだとか。
その他の蟻と同じようにできない個体というのが、単に能力的に劣っているのか、人間の言葉でいうところの「怠け者」なのか、どういう存在なのかは私にはわかりませんが、
ともあれ、そういう異端者が、「死の行進」から集団を救うこともある、というお話。
ちょうど日本が東京オリンピックに向かっていて、開催反対を訴える声もたくさん上がっているにも関わらず強行されてしまう、このままでは日本はまた敗戦を迎え焦土と化すことになる、と危惧されていたようなタイミングでした。
「死の行進」「死の行軍」と言われるインパール作戦になぞらえる人もたくさんいました。
そういう集団の力、集団の過ちを止めることができなかった日本人だからこそ、
この「蟻のデススパイラル」を止める「異端者」の存在価値を、もっと認識する必要がある
よね、という趣旨のツイートでした。
歯車の怪物がヨタヨタしながらグルグル回り続ける様子と、
無数の蟻たちがどこにもたどり着けないまま、延々とグルグル回り続ける黒い渦巻とが、
同じものに見えました。
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私は大学では文化人類学を専攻しました。
そのゼミのOBで、東南アジアのジャングルで、新種だか亜種だかの蝶を発見した人がいました。
私が「すごいですね」と言うと、
教授は「すごくなんかない。あいつはそれしかできなかったんだ」と言いました。
まだ学生だった私には、その教授の言葉の意味がわかりませんでした。
でも、その後、いろいろな形で何度も社会からドロップアウトした今なら、教授の言った意味がわかります。
毎日会社に行って同じように働く。
上司や先輩の言っていることややっていることがおかしくても、毎日同じように働く。
自分のやっている仕事が、世の中や物事を良くすると思えなくても、毎日同じよう働く。
それが、できない。
「普通に働き、他の人たちと同じように生きる」ということが、できない。
そういうこと。
そのOBは、発見した蝶に、ゼミの教授の娘さんの名前を付けたそうです。
そのことを聞いた学生の時は、「あの人はよっぽど教授のことが好きなんだなぁ」と思いました。
でも今は、もう少し違うことを感じます。
「他の人と同じにできない自分をそのまま受け入れてくれたのは、あの教授だけだったんだ」、と。
私にとっても、そのOBにとっても、専攻したのが「文化人類学」だったことが幸いでした。
人間の生き方というのは、土地や時代や人種や社会によって変わる、というのを見つけてくるのが「文化人類学」なので。
「婚姻」だの「葬制」だのという概念も社会によって実に千差万別、そういう様々な例を見つけてきて、その文化はどういう背景や考え方によって発生したのか?という検証をする。
そうしてみると、一見奇異に思える文化や風習にも、それぞれになるほどと思わせる道理がある。
そういう例をたくさんたくさん見ていくと、
「今目の前にある社会が、唯一絶対の社会ではない」ということがわかる。
「今この社会の常識が、唯一絶対の真理ではない」とわかる。
今この社会に適応しない人にとっては、それは本当に救い。
当時のOBにとってゼミの教授は、「今この社会に適応しない」ことをもって「あいつは人間失格だ」と断じない唯一の人だったんじゃないかな、と思います。
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私が大学卒業後初めて就職したのは、ぬいぐるみメーカーでした。
デザインから自社でやっている会社だったので、デザイナーも本社に勤務していました。
デザイン部部長の娘さんもデザイナーとして働いていたのですが、
ある時「インドで哲学を学ぶために留学する」と言って退職することになりました。
事務所に挨拶にいらした時に、
私が「インドに哲学を勉強しに行くなんてすごいですね」と言ったら、
その方は「全然すごくないんです。私からしたら、毎日きちんと会社に来て、きちんと働いている皆さんの方がよっぽどすごいんです。私はそれができないんです」と言いました。
私は(それを言っちゃぁおしまいだよ……)と思いました。
私だってできませんよ。
毎日きちんと会社に来て、毎日同じにきちんと働く。
私だって辛くて辛くて、叫びだしそうなほどです。
でも、その時の私は「私会社勤め向いてない」から「インドに行って哲学勉強してくるわ」ができませんでした。
まぁ今思うと、あの時それができていたら、その後私はあんなにも長く苦しむこともなかったな、とも思います。
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本で読んだのかネットで見たのか忘れましたが、戦争に行って戻ってきた元兵士で、
重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいる人の言葉を読んだことがあります。
上司の絶対命令に逆らうことができず、罪のない人々をたくさん殺戮した。
そのことによって、心を病んでしまった、と。
自分は本来、情けのない人間ではない。でも、戦場では上司の命令でたくさんの虐殺行為をしなければならなかった。そのことが思い出され、罪や恥の意識に苛まれる。
そして、自分は本当は善良な人間なのだと改めて思った、と。
本来善良で、人々や自然界に対して愛情や優しさを持つ人が、
特殊な状況で命令に逆らえずに、自分の意に反する残酷なことをしなければならない時。
そのことによって、心を病み、自我が崩壊してしまう、というのは、
それは、その人の弱さではない。
その人の過ちや未熟さではない。
ある社会の強制力によって、自分の良心と合わない行動をさせられ、
そのことによって心を病んでしまうこと、その行動を続けることができなくなること、
これを「弱さ」と言うのは間違いだと私は思う。
病んでしまえば、回復するのに時間がかかる。
場合によっては、生きている間に回復することができないこともあるかもしれない。
その病んでいる間、今動いている社会の中で役割を果たすことができない自分を、
「役立たずだ」「社会のお荷物だ」と責めてしまうことが往々にしてある。
(うつ病の人は大概そう。)
けれども、本当にそうだろうか?
戦場で虐殺行為をさせられることのように明白なことでなくても、
「この社会はおかしい、この方向性はおかしい」と感じながらも盲目的に従事することを強要されれば、人は、どこかに変調をきたしてしまうのではないだろうか?
過去の日本の戦争、先日のオリンピック、原発政策、嘘偽り・人権侵害がまかり通る政治や社会……。
そういったものの中で、「おかしい、自分はこんなことをしたくない」という思いが昂じ、
耐えられなくなることは、「弱さ」ではないと思いたい。
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NHKで放送されている「美の壺」という番組で、染色家の志村ふくみ氏が登場していました。
私は石牟礼道子全集を持っていますが、その全集の表紙は、志村ふくみデザインによるもの。
番組内では、石牟礼道子による新作能「沖宮」の衣装を志村ふくみが担当していることなども紹介されていました。
草木染作家である志村ふくみ氏は、以下のように語っていました。
「こんな時代になって、植物が一生懸命、
人間・人類に語り掛けているような気がする。
それなのに、人間はちっとも耳を貸さないで、
もうまったく逆方向に向かって進んでいるのが、
たまらないほど悲しいけど、
でもきっと、草木のそういう本当の声を、
聞く人には聞こえてくると思う。
受け止める人は受け止めると思う。
私はそれを信じています。」
私は、「植物たちの声を聞く人」。
今の日本社会の、人間社会の進路が誤っていることを知り、
植物はじめ自然界が発している警鐘を、聞く人。
でも、その声を聞き、そして自分がボロボロになるまで今の日本社会の過ちを体験し、
その上で、今、どうすることができるのか、まだわからないでいる。