2025年4月12日土曜日

怒りのゴジラ

私、ゴジラってどういうわけか好きじゃなかったんですよ。
映画とかあんまり見たくない。
テレビでやっていたのを、1回だけ見たんだけど、
なんかやっぱりゴジラの存在がよくわからなくて。 

で、1年前だか、海外の方がゴジラに関してとても興味深いポストをしていて、
「あ、そういうこと?」ととても腑に落ちたのですが。
曰く、ゴジラは戦争に関する日本人の自責の念の表れである、と。

ゴジラが核爆弾を表している、というのは何度か読んだことがあったのですが、
その方が言うには、第二次世界大戦で核爆弾を落とされるという形で敗戦した日本人が、
こんなひどいことが起こったのは、何か自分たちが悪かったからなのだろう、
という言語化できない罪悪感を抱えていて、
それがあのゴジラという形でもって何度も日本の大衆娯楽の世界に現れている、と。

ゴジラは日本人の自責の念であるがゆえに、
核爆弾を落としたアメリカにやってきて自由の女神やNYの摩天楼を破壊するのではなく、
銀座などの「日本の繁華街」「日本の都市」に現れて、
戦争の苦しみを忘れたかのようなきらびやかな日常を、暴力的に破壊していく。

(元ポストの趣旨は、ゴジラは日本人の言語化できない自責の念の表れなので、
日本人以外の人が、ましてや核爆弾を落としたアメリカ人が、
ゴジラ作品を作るべきではない、というものでしたが。)

この方の解釈、私はとても深く納得しました。
私は母が典型的な毒親だったもので、長い間母に対する罪悪感を植え付けられていて、
それが私の人生を本当にむしばんでいました。
それゆえに、私は「自責の念」を恐れ、
「日本人の自責の念の表れであるゴジラ」をずっと避けていた。


ここ何年か、問題ばかりだった私の家族(両親・兄弟)の諸々と、
もうこれが最後と思って向き合って清算することをしてきたのですが、
典型的な毒親である母だけでなく、
父にも、父の心の中でどうにもこうにも機能していない箇所があって、
それがどういうことか長い間わからずにいました。

で、父の父(私の祖父)が戦時中、海軍の軍曹だったということを、
つい1年ほど前に初めて聞きました。
「それか!」と、父の不可解な心の状態の理由が初めて理解できました。

海軍の軍曹って、一番暴力的。
「じゃぁ大変だったでしょ」と言ったら、「大変だった」と。

父は直接戦争に行く年齢ではなかったけど、
暴力的な軍曹だった祖父に、さんざん苦しめられて育った。

そして、戦後の日本には、その精神的外傷をいやす術がなかった。
父は、自分が何を嫌だと感じていたのか、それがどういう感情だったのか、とか、
そういった部分が石のように固くなって、まったく動かない状態でいる。
言語化もできない。
本当に石のように、血も通わず、動きもしない。


母は母で、戦中戦後の苦労の中で、夏休みなどの長期の休みの時に
口減らしとして決まって一人田舎に送られていた。
兄弟3人いるのに、いつも自分だけが田舎にやられる、と、
母は結婚して家庭を持ってからもずっと苦しみ続けていた。

私の経験上、母は、もとから重度の発達障害であったように思われる。
生活苦の中で、祖母は、母の難しい性質に対処できなかったのだろう。
その当時は、発達障害などという概念も、対処法も存在しなかった。

そして、父と同じく、母の精神的外傷をいやす術もなかった。
両親の世代にあったのは、窓に柵のついた精神病院だけだった。


私はここ数年、スペイン語の歌曲を勉強していて、
その過程で妙なことに気づいた。

ベネズエラの名曲「モリエンド・カフェ(Moliendo Cafe)」、
これ、こっちが死にたくなるほど暗い歌詞なんですが、
日本ではこの曲「コーヒールンバ」として知られています。

私はほとんど邦楽聞かずに育っているので、
実は「コーヒールンバ」も知らなかったのですが、
この日本語版は、
恋を忘れた年老いた男にコーヒーを飲ませたらたちまち若い娘と恋をして幸せになった、
みたいな歌詞。

でも原曲は、コーヒー農園で夜中に恋の痛みに苦しみながら一人コーヒー豆を挽いている、みたいな、救いのない歌詞。

原曲と日本語訳とでこんなに意味が違うよ、という話を父にしたら、
「トロイカ」もそんな風だとのこと。

日本語版の「トロイカ」の歌は
「走れトロイカ今宵は楽しい宴」みたいな歌詞だそうなのだが、
原曲は金持ちに好きな女性を奪われた貧乏な若者の嘆きの歌とのこと
(どっちもよく知らない)。


私は、戦後、日本人は心の傷と向き合うことができなかったんじゃないかな、
と思いました。
もう、苦しいことは見たくない、感じたくない。

だから、暗い歌詞の歌も、全部明るく能天気な歌にしてしまう。
でないと、自分の心の傷が開くから。

戦争が終わった時に、すべての苦しみは終わったんだ。
今はもう、どんどん良くなっていく明るい世の中になったんだ。
暗いことも、悲しいことも、考えなくていいんだ。

そう思いたかった。

戦後の復興と、高度経済成長、バブル経済という右肩上がりの時代が続いた。

自分ががんばりさえすれば豊かになり、
そして多少の虚栄も張って、自分を大きく強く見せて、
勝ちあがっていくことができる、と、日本社会全体が思っていた。

私は10代の頃がバブル経済の時代だったので、
私も大学生・OLになったら、シャネルのバッグを持ってディスコで踊るんだろうと
思っていた。
(その前にクラブブームが来たのとバブルがはじけたのとが重なったけど)


私は、10代の頃から母との軋轢がひどくなって心を病み、
20代以降は、ずっと心と身体の治癒を模索していた。
その過程で、母親が、自己実現を子供に託して子供をつぶしていくパターンを、
たくさんたくさん見ることになった。
私の世代、団塊ジュニアの世代は、引きこもりやうつ病に悩まされた世代だった。
アダルト・チルドレン、インナー・チャイルド、虐待の連鎖、といった言葉が
精神衛生の用語として語られ、
自分の苦しみの源泉はどこにあるのだろう、とたくさんの人たちが模索していた。

実際、私と私の兄弟の人生は、
親の抱えた精神的負債を清算するためだけに消費されたようなものだった。

そういう家族が、日本中いたるところに存在する。

そして、そのことを理解していない家族もたくさん存在する。

私は、20代の前半で、「虐待の連鎖」という言葉を知り、
この連鎖を、私の代で断ち切ると決意した。
でも、そのことすら知らず、
自分の受けた傷を下の代にそのまま流すことをしている人たちが、
日本中にたくさんいる。

例えば、なぜ日本中にパワハラ・モラハラがはびこっているのか?
セクハラもパワハラの一種であることを思えば、
どうして日本中で、自分よりも弱いものを痛めつけて喜ぼうとしている人がいるのか?
吉本のあの芸風、自民党・公明党・維新・国民民主党・立憲民主党・N国・参政党、
諸々の大企業から中小企業に至るまで、
自分が強くなって、自分より下の奴をいたぶってやろうという、
この日本中にはびこっている風潮、これは何なのか、と。

男性の比率がものすごく高いのはもちろんだけれども、
女性でも、嫁姑問題や、毒親のように、
自分よりも弱い立場を作っていたぶろうとする人は存在する。


私は、今、日本がありとあらゆる点で没落の一途をたどっていることを、
悲しく思う。
でも、戦後、日本社会全体が心の傷と向き合うことができないまま築いた経済的繁栄は、
やはり砂上の楼閣だとしか思えない。
バブル経済時代の日本人の浅ましさは、見るに忍びない。
日本の社会が良くなってほしいと切に思うが、
あのバブル経済の時代が再び来てほしいとは思わない。人として恥ずかしい。

心の問題を根本から治療するには、時間がかかる。
そして、本当の叡智がいる。
そのことを認める勇気がいる。