私は編み物が好きで、
手作りの作品を作って売るための宣伝として、
そして、編み物をする人が
もっと増えたらいいな、と思って、
このブログを始めました。
でも、私が編み物を通して
本当に伝えたいことは、
「ものを愛して大切にする生き方」です。
今私は、商品として、
あるいは学校の課題として、
新品の毛糸を使って一から作品を作る、
ということをしています。
まずは売り物を作って売らなければ
収入がない(笑)のと、
学校を卒業できないから。
でも、本当にやっていきたいのは、
もう使わなくなった
古いセーターやマフラーをほどいて、
毛糸を再生して、別な作品を作ること。
私が子供の頃、両親が共働きだったために、
祖母が手伝いにきてくれていました。
祖母はよく、古いものをほどいて
水につけて干した毛糸で、
また違うものを編んでいました。
私が小学校時代のセーターも、
何枚かそういうふうにして編んでもらいました。
私は、祖母からその生き方を教えてもらって、
本当に良かった。
ぎりぎり、昭和の文化を受け継ぐことが
できたことを、本当に感謝しています。
今時の小学校が
どういう雰囲気なのかわかりませんが、
編み直したセーターを着ていたら
バカにされてしまうのかな、
と心配したりもしています。
でも、汚れてしまったり、
サイズやデザインが合わなくなってしまった
古いセーターやマフラーにも、
それを使っていた時の思いは
たくさん詰まってます。
それをほどいて、かせにして、
一晩水につけて、干して、丁寧に手巻して、
そうやってまた違うものに再生していく。
その毛糸が、毛糸として生きている限り、
一緒に生きて行く。
本当はそんなことがしたいと
編み物学校で言った時、
当時の担任の先生も、
ほどいた糸で編み込みをして、
作り直すたびにその色の模様が
だんだん小さくなっていくんだよね、
と仰っていました。
次々と本や雑誌に新しい作品を発表する
プロの先生でも、編み物をする人は
そういう思いを持っているんだなぁと
思いました。
今は、安いニット製品が、
どこでもいくらでも売っています。
毎年毎年違うデザインで、
大量に売られています。
確かに若くて自分に自信がない人は、
「今年のニット」を着ていれば、
堂々としていられたり、
モテるような気がするのかもしれません。
でも、そんな風に使い捨てするニットに
愛着は持てません。
自分が持っているものを愛せないって、
実は全然自分を愛していないってことだなぁと、
年を取った私は思います。
他の人から見たら、
ただの古いニットかもしれない。
でも、自分がそれを着ていた時の
いろいろな思いを、大切にすること。
その毛糸が生きている限り、
愛おしんで、大切にすること。
最後まで使い切ること。
そういうことを、私は伝えたいのです。
本当は、そういうワークショップを
やりたいのです。
(知人にそう言ったら
「それ工数大変だね~」と言われました。
まぁ2時間のお気楽ワークショップでは
ありませんがね。)
そうやって、ものを愛して大切にすることが、
本当は、生きているすべてを
愛して大切にすることと、
イコールなんじゃないかな、と思います。
セーターとして使えなくなったって、
ほどいて編みこみ模様にすればいいじゃない。
帽子にすればいいじゃない。
手袋にすればいいじゃない。
毛糸の下着や、靴下や、ひざかけや、小物や、
いろんなものにできるじゃない。
そうやって、あなたがあなたである限り、
一緒に生きていこうよ。
あなたを愛しているのだから。
すべてのものに、そういう愛を持って、
生きて行きたいのです。
そういう愛に気付き、
実行するための技術を持った人が、
増えてほしいな、と思うのです。
別に、そのための技術が編み物だけだとは
思っていません。
裁縫の世界ではダーニングもはやっていますし、
料理でも、大工仕事でも、
いろいろなやり方があります。
経済は、停滞するでしょう。
物が売れなくなるので。
でも、物が売れることが
イコール幸せなのではないと、
感じている人はたくさんいる。
そして、ものに対してこういう愛情を抱く人が、
「人」を粗末にするわけはない、と思うのです。
ものを愛し、人を愛し、
どんなものも、どんな人も、
その時その在り方で、
最大限に大切にして生かしていく。
そういう世の中であってほしいのです。
私にとって、それを伝えるツールが、
編み物なのではないかな、と思っています。
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そして、そういう心根で
東京都を生き返らせてくれるのは、
#宇都宮けんじ さんだと私は思います。
誰も見捨てない、
みんなで生きて行く東京を作るために。
#宇都宮けんじさんを都知事にしよう