朝日新聞の1月8日(金)朝刊、鷲田清一氏による『折々のことば』、
台湾の若きIT大臣、オードリー・タン氏の言葉が紹介されていました。
以下、紙面より引用。
ルートが固定されているから、勝者と敗者が存在するんです。
オードリー・タン
学校ではみな同じコースで競争させられるが、実際の社会ではそんな勝ち負けで各人の能力が判定されるわけではない ~(中略)~
「命の赴く方向」は人それぞれ。人は私を「天才」と呼ぶが、それは同じ一つの判定基準という幻想から人より先に醒めたということにすぎないと。
出典は、アイリス・チュウ/鄭仲嵐の『AU オードリー・タン 天才IT相7つの顔』とのこと。
いや、仏陀の御言葉ですかね。
『人は私を「天才」と呼ぶが、それは同じ一つの判定基準という幻想から人より先に醒めたということにすぎない』とか。
目覚めし者ですわ。
宮本武蔵も自身の剣の奥義について、これは誰にでもできることである、と書いていると読んだことがあるのですが、これは出典確認してないのでちょっと置いておくにしても、
先のオードリー・タン氏の言葉には、あ~やっぱりそうなんだなぁ~という感慨を抱きました。
オードリー・タン氏の本買いたいけど、まだデカくて高いだろうなぁ(笑)
私は文庫になってから買いたい派なんで(本棚常にいっぱい)。
一方、昨年私が衝動買いした本で、すげぇなこの本、と思ったのが、
『あやうく一生懸命生きるところだった』
文・イラスト:ハ・ワン 訳:岡崎暢子,ダイヤモンド社,2020年
以下引用(P.9)
頑張って!(ハイハイ、いつも頑張っていますよ)
ベストを尽くせ!(すでにベストなんですが……)
我慢しろ!(ずっと我慢してきましたけど……)
(中略)
幸せになるどころか、どんどん不幸になっている気がするのは気のせいだろうか?
なんか身に覚えがありすぎますね(笑)
すごいなと思うのは、この著者がそう感じて自分からドロップアウトしたこと。
私もず~っとがんばれがんばれでがんばってきたけど、うつ病になって倒れるとかで、
主体的にドロップアウトできたためしがなかったなぁ。
この本によれば、韓国では2000年頃から、「お金持ちになってください」という言葉があいさつ代わりに使われるほど、みんなが「頑張ればお金持ちになれる」と思ってそれを目指しているのだとか。
景気が低迷というか下降線の一途をたどって30年の日本とは違い、韓国はどんどん景気がよくなって、活気にあふれているんだなぁといううらやましい気持ちと、
一方で、お金持ちを目指して熾烈な競争にまい進することのゆがみを感じていた、かつての私自身の記憶とがないまぜになって、複雑な気持ちになりました。
昨年メルカリで、すごくきれいなカッティングのシンプルな水着が出ていましてね、
ずいぶんお安かったので購入したんです。
イタリアのブランドで、最高級品ってわけじゃないけど、カッティングの美しさとか、バストを美しく見せるパッドの仕込み方とか、さすがだなぁと思ったのです。
未使用品で韓国語のタグがついていましてね、気に入ったので検索してみたら、
日本ではバッグの販売しかしていない。
でも韓国では水着含めアパレルも販売しているということなのでしょう。
それだけの購買力が韓国にはありるけど、日本では売れない、ということです。
ネトウヨの人たちとか、ずいぶん変な思い違いをしている日本人はいるけど、
このくらい経済規模が離れちゃっているんだなぁと思いました。
ただ、なんというか、かつて日本にもこんな時期があり、その時の雰囲気ってちょっと覚えているんですよ。
どこのCMだか忘れちゃいましたが、メールに動画を添付して送れる携帯かPCかなんかのCMだったと思うのです。
ママ友から、赤ちゃんが立った瞬間の動画が送られてきたのを見て、
「うちの子だって~!」と言って赤ちゃんが立ちあがった動画を撮って送り返す、
というのがありました。
機能が進化したことはいいし、赤ちゃんも可愛いけどさ、
最新の機器だけじゃなく、子供の成長まで、競争の道具にされること、
それをさも当たり前、みんながそうしている、みんながそれを望んでいることとして、
テレビで放送される気持ち悪さ。
このCMによってこの機器の売り上げが上がると考える売り手と、
このCMを見て買う購買側。
どっちも気持ち悪くないですかね。
ま、その後延々、お受験だの就職だの縁談だの出世だのマイホームだのと続くわけですよ、終わりなき競争が。
近年見て気持ちわりぃと思ったCMは、どこのだか忘れましたが、
なんかハイソな夫婦が娘さん連れて歩いていて、母親が「今夜何食べたい?」と聞くと、
娘さんが「マルゲリーター!!」と答えるというもの。
さすがに笑っちゃいましたよ。
マルゲリータとか、チーズとバジルとトマトソースしか載ってないピザ、
大人が食べたって物足りないのに、育ち盛りの子供が夕飯に食べたがるかっつーの!
イタリア人みたいにピザの他にメインになる肉料理も食べるならマルゲリータでいいだろうけど、日本人そういう食べかたしないじゃん(笑)
マルゲリータしか食わんじゃん。
ピザだのパスタだのって、炊き込みご飯相当で、子供が食べたがるメインって別だよね。
でも、「ハンバーグ!」とか「から揚げ!」とかありきたりなこと言わない(間違っても「サンマ!」とか言わない)、こじゃれたイタリアンを食べたいという子供がいる、
普段からオサレな生活をしているハイソな私達、を目指している人たちを狙ったCMなんだろうなぁと思いました。
まぁ切りがないですわ、こういうの。
で、子供は親の期待に応えようとして一生懸命頑張って、燃え尽きて、どこかの段階で倒れる、という一連のコースをたどった日本の社会と、
景気が良くて前向きで、希望があるのは素敵だけど、なんかかつての日本と同じ兆候が見えなくもない今の韓国と、なんともモヤモヤした気持ちになりました。
まぁできたらかつての日本の轍は踏んでほしくないし、うまいやり方を見つけて、うまく行ってほしいなぁと思います。
で、この本の著者ハ・ワンさんは、「もう無理!」とこの終わりなき競争から降りた人。
全編ゆる~くて(イラストも)、ダメダメ感にあふれているのだけど、
「みんな一体、何に向かって頑張っているのさ?」と見抜いて、
「じゃあほかにどんな生き方があるんだろう?」と自分で見出そうとしているすごい人
(でもがんばらない)。
中でもすごいなと思ったのが、
『「仕組まれた欲求」に惑わされるな』の項。
男性向けの雑誌を読んでいるとなんかモヤモヤすることについての考察。
以下引用。
ガチガチに決めたくない日の、無造作に羽織れるブラックカーディガン
120万ウォン(約12万円)
ああ、僕は翻弄されている。100万ウォン以上するカーディガンを、本当に無造作に羽織れるというのか?
その前に、カーディガンに100万ウォンも出すやつがいるって本当か?
(P.248)
そうだ、雑誌の目的は読者に挫折感を与えることだ。
そしてその挫折感の正体は、高度に計算されたマーケティング戦略である。
多くの人がブランド品への欲望を抱く理由は、簡単に購入できないからだ。そんな挫折感がブランド品の価値を高める。
挫折感は、みなの欲望をいっそう煽り、ようやくそれを買えた人たちは、挫折感から抜け出せた喜びを享受する。と同時に、まだ入手できていない人たちにまた別の挫折感を抱かせ、持てるものはほんの一瞬の優越感を味わう。
しかし、そんな喜びもすぐに消えてしまう。挫折感は休みなく降りそそぐからだ。
金持ちにだって”挫折マーケティング”は有効だ。彼らにとって大切なのは、自分の挫折ではない。他人の挫折だ。高価すぎて誰も買えないという事実だけでも、彼らは財布を開く。
ある学者もこう言っていた。富の真の目的は「誇示」だと。
(p.250)
この作られた競争に気付き、降りること。
今私が気になっているのは、
この『挫折マーケティング』、要するに優越感中毒なんだけどさ、
多くの人にとって経済的に豊かになるのが難しいと感じられる今の日本では、
ネット上のマウンティング競争になっているように感じるんだよね。
特にネトウヨというか、自民公明維新支持者、PCR抑制論者、アンチフェミ、レイシストのツイートって、支離滅裂なんだけど、とにかくその場で相手を黙らせて「自分が勝った」と感じられさえすればいい、という印象を受けます。
すべての人の健康とか、尊厳をもった生活とか、科学も文化も経済も含めた全体的な発展とか、公正さとか正義とか倫理とかもぜ~んぶぜ~んぶ投げ捨てて、
今この一瞬、相手を黙らせて自分が勝ったと感じられればいい、その1点だけ。
それはただの中毒なので、一瞬の快感以外に、誰も幸せになりません。
正直言って国を滅ぼします。
ちょっと話が重くなりました。
大事なことなので、また違うタイトルで書きたいと思いますが。
で、この本、著者ハ・ワンさんのダメダメ感あふれる文章もイラストも秀逸なのですが、
翻訳がすごい!
日本語翻訳 岡崎暢子さんですが、この方はきっと本当に韓国が好きで、韓国語も大好きなんでしょうねぇ。
そして、日本語の語学力が本当に素晴らしい。
こんなに素晴らしい翻訳、久しぶりに読みました。
原著がどんなに良くても、翻訳だめだと全部だめになります。
ここ数年、そういう本が無駄に量産されていて、新刊本を読むことに疲れ切っていました。
翻訳についてもいろいろ書きたかったのですが、もうだいぶ長くなっちゃったので、
翻訳や日本語の取り扱いについては、また改めて書きたいと思います。