2025年4月22日火曜日

食の話をいくつか ②安くて簡単なレシピをちょっと

食について、
概念的なことや長期的な変革が必要なことグダグダ書く前に、
すぐに役に立つ実用的なレシピをちょっとあげておきます。

今、劣化の極みの政治・経済によって、
たくさんの人が倒れてしまう前に、
踏みとどまれる人が一人でも増えるならと思って。


【油揚げとかいわれのサッと煮】
材料
・油揚げ 1枚
・かいわれ菜 1パック
・麵つゆを水で割ったもの 1/2~1カップ

作り方
①油揚げをざるに入れ、熱湯をかけて油抜きする。
②油揚げの長辺を1/4に切ったものを、細い拍子切りにする。
③かいわれ菜を洗い、根本を切り落とし、半分の長さに切る。
④市販の麺つゆ・出汁つゆ等を、「煮物」の分量で水で割る(薄めの方がおいしい)。
⑤油揚げと麺つゆを鍋で煮立たせ、火を弱めて2分ほど煮る。
⑥かいわれ菜を加え、蓋をして軽く蒸し煮にする。


このレシピ、もともとは
オレンジページの『毎日のおかず大全集』に掲載されていた
「油揚げと貝割れ菜の煮びたし」というきちんとしたお料理なのですが、
このレシピ本がもう絶版で紹介できないので、
私が普段作るときの『手抜き版』をご紹介しました。
オリジナルのレシピでは、
油揚げを半分に開いてから切ったり(味を含みやすくなる)、
煮汁も、だし汁とみりん・しょうゆできちんと味付けしています。

見てわかる通り、メインの材料が油揚げとかいわれ菜という、
スーパーでいつも安く手に入るものだけ。
私が買い物する場所だとかいわれ菜は60円くらい。
油揚げは選ぶものによりますが、国産大豆の手作り風が2枚で120円くらい。
麺つゆ・出汁つゆは、今はどこのスーパーでも手に入ります。

10年くらい前に、私は江上料理学院で料理を勉強したのですが、
悪天候で野菜が高くなった時期があって(今ほどじゃないですが)、
「野菜が高くて買えないんだけど、どうしたらいいですか?」
と先生に聞いたら、
「スプラウト類(発芽野菜)は天候関係なく価格が安定しているから、
葉物(レタスとかほうれん草とか)が高い時は
スプラウト類を使うといいよ」
と教えていただきました。
しかも発芽野菜は栄養価も高いとのこと。

ただ、発芽野菜の種って輸入していると思われるので
(もやしの緑豆とか輸入に頼っている)、
日本経済の悪化によって、最終的には
発芽野菜も高くなるんじゃないかなとは思ってます。
ま、とりあえず今を乗り切るために。

食べてみるとわかるのですが、
出汁の優しい風味に、かいわれ菜のピリッとした辛味、油揚げの油の甘味、
と、味のバランスが良くて、疲れている時や食欲がない時でも食べられます。
そして、大豆の植物性たんぱく質と、かいわれ菜の野菜の栄養が両方入っています。
仕事で疲れて悲しくなった時や、朝食欲がない時でも、
私はこれなら食べることができて、
食べると、ほっとして心が落ち着きます。

麺つゆ・出汁つゆはお好みのものを使っていただければよいのですが、
まぁできたら化学調味料入っていないものの方が良いですね。
日本でみんなから拒絶された食用コオロギ、
「『アミノ酸等』の表示で入れればいいだろ」と河野大臣だか言っていたので。
私はミツカンの八方だしが好きだったんですが、
どこのお店でも見かけなくなってしまって
仕方なく他のものいろいろ試していましたが、
今検索したら、ヨドバシドットコムで扱っていました。

ちなみに油揚げは、
味噌汁なら1枚の1/4が1人分と覚えておくと便利です。
私は油揚げを買ったら1/4に切って、
ラップで包んで冷凍しておきます。
で、使う時に解凍と油抜き兼ねて、熱湯をかけます。
この油抜きの作業は、
生産時の油分が時間がたつと劣化して、においが悪くなるから、
と聞いています。
(なので手作りの豆腐屋さんで今日買ってきたものを使う分にはいらないとのこと。)

私はもともと胃腸が弱くて、
ストレスがたまると食べられなくなって
さらに体調が悪化するという悪循環があったので、
疲れたときはこういう優しいものを食べるようにしていますが、
元気な方でしたら、肉料理や魚料理の副菜として
召し上がっていただくとよいかと思います。



【ブランマンジェ】
材料
・牛乳       450㏄
・コーンスターチ  大さじ5
・砂糖       70~80g
・バニラオイル   2~3滴
・アーモンドオイル 2~3滴

作り方
①鍋に砂糖とコーンスターチを入れて混ぜる。
②そこに牛乳を少しずつ加えて分離しないように混ぜる。
③弱火~中火にかけて木べら等で混ぜ続ける。
④数分するとドロッと重くなるので、火からおろし、容器に入れる。
⑤粗熱が冷めたら、冷蔵庫に入れて冷やし固める(2時間ほど)。


ブランマンジェは、牛乳系白いデザートの中で、
一番安上がりで作り方も簡単。
例えばチーズケーキはクリームチーズ、
アイスクリームやパンナコッタは生クリーム、など材料が高い。
ブランマンジェは、牛乳とコーンスターチと、どちらも手に入りやすいお値段。

私は砂糖にてんさい糖を使っていて、
てんさい糖は上白糖やグラニュー糖より甘さが控えめなので、
砂糖の分量多めにしていますが、
使う砂糖と好みによって調整してください。

ただ、デザート(ドルチェ)をあんまり甘さ控えめで作ると、
食べても食べても満たされないので、
ちゃんと甘く作った方が良いです。
和菓子が意外と甘く作られていて、
見た目の地味さのわりに、
食べるとしっかり満足感があります。
その甘さを参考にしてください。

香りづけのバニラオイルとアーモンドオイルについてですが、
一般的な「バニラエッセンス」のように、
「エッセンス」と呼ばれる香料は熱で揮発してしまうので、
このブランマンジェのレシピや焼き菓子に使う場合は、
「オイル」とついている香料を使ってください。

「オイル」の方が少し高いのですが、
よっぽどお菓子作りまくる人でなければ、
1ビン使い切ることはめったにありません。
なので、どうせ買うなら、
冷たいものにも加熱するものにも使える
「オイル」タイプの方が合理的かと。

アーモンドオイルはお好みで、という感じなんですが、
実は、日本で杏仁豆腐の偽物を作るとき、
アーモンドオイルを使います。
日本では本物の杏仁豆腐の原料杏仁霜はあまり流通していないので、
気軽に杏仁豆腐テイストを楽しみたい場合は、
アーモンドオイルの香りづけで代用されます。

牛乳・砂糖・バニラの香りだけだと、味が全部わかってしまうというか、
クリームを使ったパンナコッタよりコクが足りないな、とか
私は物足りなさを感じてしまっていたのですが、
アーモンドオイルを足すと、
「ちょっと何を食べているのかわからない」という感じになって
深みが増します。

冷やし固めるための容器は、
プリン型やグラスのようなものでも良いですし、
大きい容器で固めて、食べるときに取り分けるのでも良いです。

以前、アンスティテュ・フランセのイベントに行った時に、
透明なプラスチックカップに適宜取り分けて
ストロベリーソースをかけたブランマンジェを販売していて、
すごく美味しくて見た目もかわいくて素敵だなぁと思ったことがあります。
家でレシピ調べたら、材料も安くて作り方も簡単。
家にこれが作ってあれば、疲れて甘いもの食べたくなった時も、
寄り道しないで帰ってこれる(笑)。

かけるフルーツソースは何でも良いです。
高いフルーツソース無理して買わなくても、
ごく一般的なジャムでもいいですし、
モナンのシロップ(グレナディン・シロップはお菓子作りの定番)かけてもよし。
ただモナンのシロップは合成着色料使っているので、
どのくらいの量をどの程度の頻度で使うかは、ご自分の判断で。
コンポート作る方なら、それをのせても美味しい。

あと、昨年、かき氷シロップなるものが
スーパーの処分品の棚にあったので試しに買ってみたのですが、
明治屋ブランドの茨城県産メロン使ったものと、
井村屋ブランドの沖縄県産パイナップル使ったものがあって、
いや、かき氷に限らず、ただの万能フルーツシロップじゃね?と思いました。
色付けはどちらも自然なものを使っているし、
くだものとしては流通させられないB級品を加工してるんだろうと思うし、
ものとしては良心的。
ブランマンジェの白い色にもよく映えます。
アイスクリームにかけたり、ヨーグルトにかけたり、レアチーズケーキにかけたり、
使い道いろいろ。
紅茶に入れても美味しかった。

ブランマンジェみたいなベースになるものがあると、
「これも使えるかな」と今まで見向きもしなかったものを
試してみたりできるのでおもしろいです。

で、意外とすごく美味しいものが安くできてしまうので、
疲れて自分を慰めたいときに、
カフェであんまり美味しくないもの我慢して食べるより、
うちで自分が作ったもの食べた方が満たされる、
みたいなことが往々にして発生します。


安くて簡単に作れるもので、
楽に自分をケアすることができたら、
少し生きやすくなるんじゃないかなと思います。

2025年4月19日土曜日

食の話をいくつか ①アンチョビ仕込んでみた

日本では今年、イワシが豊漁とニュースでやっていたので、
ためしにアンチョビを仕込んでみました。

いや、今の日本、諸々の劣化がすさまじくて、
経済状況悪化してみんな生活に困ってるっつーのに、
食べ物うまくさばけなくて捨てたりしてるでしょ。
イワシも大量廃棄とかすんじゃねーの、とニュース見て思ったんですよ。

そーいやアンチョビってイワシだったよなぁ、
買うと高いしなぁと思って、
ネットで調べてみたら、
今って本当になんでも作り方ネットにあるんですね。

私は昭和の人間なので、まぁ昔はレシピが手に入らなくて苦労しました。
なつかしのカフェメニュー的な感じで
今でも愛好者がいる『スパゲティ・ナポリタン』も、
「あれ、ペスカトーレを作りたかったんだけど、
レシピわからないし材料もないしで、ああなっちゃったんだなぁ」と、
大人になってから思いました。
私はトマトケチャップ受け付けないので、
日本のスパゲティ・ナポリタン苦手だったんですが。

アンチョビは仕込んだばっかりで、
うまくできるかどうかもわかないのでレシピ上げませんが、
ネットで検索するといくらでも出てくるので、
興味のある方は調べてみてください。

2か月くらい塩漬けにして、その後イワシだけ油漬けにする、
という段取りのようです。
塩漬けの際に出る水分はナンプラー(魚醤)」として使えるとのこと。

こういう「漬物」って、
一時期に大量に獲れてしまう貴重な食材を、
無駄なく長く使う知恵なんだなぁ、と改めて思いました。
いわゆる「保存食」ですが。

一度にたくさん獲れたからって、毎日イワシだけ食べるとかできないし、
でも、様々な事情で食べるものが乏しい時に、
漬けておいたイワシがあれば、食いつなぐことができる。
イワシに限ったことじゃなくて、野菜でも、肉でも、なんでも。

昔からいろいろな時期を乗り越えるために、
先人たちが食べ物を保存する方法を積み上げてきたのよなぁ、と
改めて思います。

実は私は、割と便利なところにバッタもの扱っている店があるので、
アンチョビ含めよく使う海外の食材、
安く出ているときに少し多めに買ってストックしているのですが、
あんまりそういうことばっかりやっていると、
日本のいろんなもの壊れていく一方だしね…。
そうは言っても生活厳しいしね…みたいなモヤモヤは常にありました。

ニボシ含め、日本の伝統食でもイワシの保存食もちろんありますが、
海外のアンチョビを「高いな~」と思いながらもありがたがって買うなら、
自分で作ってみるのもありよな、と今回思いました。

アンチョビって、王道イタリアンな使い方以外でも、
中華のオイスターソース的な調味料としても使えるのね。
青梗菜が安かったので、
ブロッコリーとアンチョビのパスタを青梗菜で作ってみたら、
おいしいんだけど、なんか中華にも通じるものがあるなと思い、
青梗菜のオイスターソース炒めの代わりに
アンチョビで炒めたらそれもおいしかった。
意外と炒飯とかもいけるかもしれない。にんにく効かせて。


何年か前に、日本で牛乳を大量に廃棄したでしょ。
あれ、本当に悲しかった。
先日の「令和の百姓一揆」でも、
「牛乳飲んでね」ってプラカ(のぼり?)出てたみたい。

牛乳を個人で飲むのはある程度限界あるけど、
もっと保存食をうまく活用できないかなぁとずっと思っていた。
あの時は、バター・チーズといった保存食を作っている業者の
キャパを超えたと聞いているけど、
そういう大手の業者だけでなくて、
もっと小規模でそういうのを吸収できる仕組みがあると
いいのだけど。

たくさんの個人宅で、
「え~、今年イワシ安いの?
じゃあめっちゃアンチョビ漬けとくわ~」ってなったら、
豊漁分のイワシもきれいにはけるじゃん。
それで、漬けておいたアンチョビを時間をかけて
いろいろな食べ方していけば、
その分たんぱく質だの油だの塩分だのを、
長く補給できるじゃん。
アンチョビ漬けることができない人に、おすそ分けすることもできる。
そうしたら無駄も出ないし、
世の中に物がない時に自分が困ることもない。

なんか、そういう仕組みがもっとあったらいいよね、と思う。
いろんな食材に対して。


私は自分が成功してお金持ちになったら
あんなことやりたい、こんなことやりたい、
みたいな妄想を昔からよくしていたのですが、
お金持ちになるのを待ってても
せっかくのアイディアが無駄になると思い始め、
私じゃなくても、できる人がやってくれたらいいな、とか、
私ひとりじゃできなくても一緒にやりたいと思ってくれる人もいるかも、
みたいな気持ちで、そういうのブログに書いてみることにしました。

書きたいことたくさんあるので、
何回かに分けてお伝えします。

2025年4月12日土曜日

怒りのゴジラ

私、ゴジラってどういうわけか好きじゃなかったんですよ。
映画とかあんまり見たくない。
テレビでやっていたのを、1回だけ見たんだけど、
なんかやっぱりゴジラの存在がよくわからなくて。 

で、1年前だか、海外の方がゴジラに関してとても興味深いポストをしていて、
「あ、そういうこと?」ととても腑に落ちたのですが。
曰く、ゴジラは戦争に関する日本人の自責の念の表れである、と。

ゴジラが核爆弾を表している、というのは何度か読んだことがあったのですが、
その方が言うには、第二次世界大戦で核爆弾を落とされるという形で敗戦した日本人が、
こんなひどいことが起こったのは、何か自分たちが悪かったからなのだろう、
という言語化できない罪悪感を抱えていて、
それがあのゴジラという形でもって何度も日本の大衆娯楽の世界に現れている、と。

ゴジラは日本人の自責の念であるがゆえに、
核爆弾を落としたアメリカにやってきて自由の女神やNYの摩天楼を破壊するのではなく、
銀座などの「日本の繁華街」「日本の都市」に現れて、
戦争の苦しみを忘れたかのようなきらびやかな日常を、暴力的に破壊していく。

(元ポストの趣旨は、ゴジラは日本人の言語化できない自責の念の表れなので、
日本人以外の人が、ましてや核爆弾を落としたアメリカ人が、
ゴジラ作品を作るべきではない、というものでしたが。)

この方の解釈、私はとても深く納得しました。
私は母が典型的な毒親だったもので、長い間母に対する罪悪感を植え付けられていて、
それが私の人生を本当にむしばんでいました。
それゆえに、私は「自責の念」を恐れ、
「日本人の自責の念の表れであるゴジラ」をずっと避けていた。


ここ何年か、問題ばかりだった私の家族(両親・兄弟)の諸々と、
もうこれが最後と思って向き合って清算することをしてきたのですが、
典型的な毒親である母だけでなく、
父にも、父の心の中でどうにもこうにも機能していない箇所があって、
それがどういうことか長い間わからずにいました。

で、父の父(私の祖父)が戦時中、海軍の軍曹だったということを、
つい1年ほど前に初めて聞きました。
「それか!」と、父の不可解な心の状態の理由が初めて理解できました。

海軍の軍曹って、一番暴力的。
「じゃぁ大変だったでしょ」と言ったら、「大変だった」と。

父は直接戦争に行く年齢ではなかったけど、
暴力的な軍曹だった祖父に、さんざん苦しめられて育った。

そして、戦後の日本には、その精神的外傷をいやす術がなかった。
父は、自分が何を嫌だと感じていたのか、それがどういう感情だったのか、とか、
そういった部分が石のように固くなって、まったく動かない状態でいる。
言語化もできない。
本当に石のように、血も通わず、動きもしない。


母は母で、戦中戦後の苦労の中で、夏休みなどの長期の休みの時に
口減らしとして決まって一人田舎に送られていた。
兄弟3人いるのに、いつも自分だけが田舎にやられる、と、
母は結婚して家庭を持ってからもずっと苦しみ続けていた。

私の経験上、母は、もとから重度の発達障害であったように思われる。
生活苦の中で、祖母は、母の難しい性質に対処できなかったのだろう。
その当時は、発達障害などという概念も、対処法も存在しなかった。

そして、父と同じく、母の精神的外傷をいやす術もなかった。
両親の世代にあったのは、窓に柵のついた精神病院だけだった。


私はここ数年、スペイン語の歌曲を勉強していて、
その過程で妙なことに気づいた。

ベネズエラの名曲「モリエンド・カフェ(Moliendo Cafe)」、
これ、こっちが死にたくなるほど暗い歌詞なんですが、
日本ではこの曲「コーヒールンバ」として知られています。

私はほとんど邦楽聞かずに育っているので、
実は「コーヒールンバ」も知らなかったのですが、
この日本語版は、
恋を忘れた年老いた男にコーヒーを飲ませたらたちまち若い娘と恋をして幸せになった、
みたいな歌詞。

でも原曲は、コーヒー農園で夜中に恋の痛みに苦しみながら一人コーヒー豆を挽いている、みたいな、救いのない歌詞。

原曲と日本語訳とでこんなに意味が違うよ、という話を父にしたら、
「トロイカ」もそんな風だとのこと。

日本語版の「トロイカ」の歌は
「走れトロイカ今宵は楽しい宴」みたいな歌詞だそうなのだが、
原曲は金持ちに好きな女性を奪われた貧乏な若者の嘆きの歌とのこと
(どっちもよく知らない)。


私は、戦後、日本人は心の傷と向き合うことができなかったんじゃないかな、
と思いました。
もう、苦しいことは見たくない、感じたくない。

だから、暗い歌詞の歌も、全部明るく能天気な歌にしてしまう。
でないと、自分の心の傷が開くから。

戦争が終わった時に、すべての苦しみは終わったんだ。
今はもう、どんどん良くなっていく明るい世の中になったんだ。
暗いことも、悲しいことも、考えなくていいんだ。

そう思いたかった。

戦後の復興と、高度経済成長、バブル経済という右肩上がりの時代が続いた。

自分ががんばりさえすれば豊かになり、
そして多少の虚栄も張って、自分を大きく強く見せて、
勝ちあがっていくことができる、と、日本社会全体が思っていた。

私は10代の頃がバブル経済の時代だったので、
私も大学生・OLになったら、シャネルのバッグを持ってディスコで踊るんだろうと
思っていた。
(その前にクラブブームが来たのとバブルがはじけたのとが重なったけど)


私は、10代の頃から母との軋轢がひどくなって心を病み、
20代以降は、ずっと心と身体の治癒を模索していた。
その過程で、母親が、自己実現を子供に託して子供をつぶしていくパターンを、
たくさんたくさん見ることになった。
私の世代、団塊ジュニアの世代は、引きこもりやうつ病に悩まされた世代だった。
アダルト・チルドレン、インナー・チャイルド、虐待の連鎖、といった言葉が
精神衛生の用語として語られ、
自分の苦しみの源泉はどこにあるのだろう、とたくさんの人たちが模索していた。

実際、私と私の兄弟の人生は、
親の抱えた精神的負債を清算するためだけに消費されたようなものだった。

そういう家族が、日本中いたるところに存在する。

そして、そのことを理解していない家族もたくさん存在する。

私は、20代の前半で、「虐待の連鎖」という言葉を知り、
この連鎖を、私の代で断ち切ると決意した。
でも、そのことすら知らず、
自分の受けた傷を下の代にそのまま流すことをしている人たちが、
日本中にたくさんいる。

例えば、なぜ日本中にパワハラ・モラハラがはびこっているのか?
セクハラもパワハラの一種であることを思えば、
どうして日本中で、自分よりも弱いものを痛めつけて喜ぼうとしている人がいるのか?
吉本のあの芸風、自民党・公明党・維新・国民民主党・立憲民主党・N国・参政党、
諸々の大企業から中小企業に至るまで、
自分が強くなって、自分より下の奴をいたぶってやろうという、
この日本中にはびこっている風潮、これは何なのか、と。

男性の比率がものすごく高いのはもちろんだけれども、
女性でも、嫁姑問題や、毒親のように、
自分よりも弱い立場を作っていたぶろうとする人は存在する。


私は、今、日本がありとあらゆる点で没落の一途をたどっていることを、
悲しく思う。
でも、戦後、日本社会全体が心の傷と向き合うことができないまま築いた経済的繁栄は、
やはり砂上の楼閣だとしか思えない。
バブル経済時代の日本人の浅ましさは、見るに忍びない。
日本の社会が良くなってほしいと切に思うが、
あのバブル経済の時代が再び来てほしいとは思わない。人として恥ずかしい。

心の問題を根本から治療するには、時間がかかる。
そして、本当の叡智がいる。
そのことを認める勇気がいる。