2023年12月23日土曜日

すべての殺戮の停止を

長い間文章が書けないまま、時間ばかりが過ぎてしまいました。
今も文章が書けないことには変わりはありませんが、
今年が終わる前に、一言だけでも書いておきたい。

すべての殺戮の停止を。

人を殺すことがお金になる人たちが仕掛けていること。
殺されている人たちはまったく罪のない人たち。

私は、アメリカの大統領がトランプ氏からバイデン氏にかわった時、
これでアメリカが良くなり、世界も良くなると喜んだことを悔いています。
トランプ氏が良い人物であるとはとても思えませんが、
バイデン氏を良識のある人物だと思ったのは、まったくの不見識でした。

ウクライナとロシアの戦闘が始まった時、自分の中で様々な葛藤が生じましたが、
なぜか、自分の意見を決定するのにストップがかかりました。
そして、時間の経過とともにその意味がわかりました。

ナンバー1でいたいアメリカが、ロシアを弱体化させたい。
そのためにウクライナをけしかけた戦争であること。
ゼレンスキー氏はアメリカに魂を売って、ウクライナを死に追いやっていること。

ガザへの侵攻にも、アメリカがついていること。

今、日本も、ウクライナと同じ状況に誘導されています。
中国を弱体化させたいアメリカが、中国や北朝鮮の脅威を煽って、
日本をウクライナのような捨て駒にしようとしている。
日本の憲法を無効化させて日本が戦争をしたり兵器を輸出したりできるようにしようとしている自民党・公明党(+維新)の政権は、
ウクライナのゼレンスキー政権と同じく、
自分の利益のために国を焦土にしようとしている売国奴。

こんなことのために、罪のない人々が死ぬことがあってはならない。

かつて、トランプ政権を応援するアメリカ人男性が、とても印象的なことを書いていた。
「アメリカは、勝って勝って勝ち続ける」、と。
これが諸悪の根源。
自分がナンバー1であり続けること。勝ち続けること。
そんなことのために、人が死んでたまるか。

競争原理では、何もできないことを、もう学ぶ時ではないのか。

「自分が勝つ」ために「誰かが負けることを望む」ことが、何を意味するのか、
もう学ぶ時ではないのか。
「誰かが負けること」が、あんな絶望的な死であることを、理解する時ではないのか。

すべての殺戮の停止を。
すべての戦闘の停止を。

そして、競争原理で成立する世の中を見直そう。
なぜ、「自分が他人よりも優れていること」を必要とするのか。
なぜ、誰かが自分よりも劣っていないと自分を保てないのか。
なぜ、物事や関係性を「上下関係」で見て、しかも「自分が上位」でないと許容できないのか。
そこに病の根源がある。

2023年8月24日木曜日

8/24 福島原発汚染水排出に反対します

福島原発の汚染水排出に反対します。

海を、地球環境を汚染することに反対します。

漁業関係者が、という話ではない。
東北沖の海流は、太平洋の真ん中に向かって流れ、
地球環境全体に影響を及ぼすものです。

地球上に生きているもの全体に影響を及ぼすものです。

NHKでは朝から、
「北朝鮮のミサイルが~」といつもの偽り報道をしている。
岸田総理が「心ここにあらず」と言った能面のような顔で、
ミサイルの話をしている。
本当に卑劣。
日本の政府も、言いなりになっているマスコミも。
本当に卑劣。
このような卑劣な存在に決定権を握らせてはいけない。

ごまめの歯ぎしりであっても、
福島原発の汚染水の排出に反対します。

2023年7月10日月曜日

福島原発 汚染水排出に反対します

ご無沙汰しております。
新年のご挨拶はおろか、1年の後半に入ってしまいました。
いろいろ自分の内面と向き合っていて、記事を書くのを控えていました。

が。

福島原発の汚染水を海洋に放出することに反対します。

という意思表明だけ、今、したいと思います。

諸々、文章を書けるようになるまで、もう少しかと思いますが、
日本に生まれた以上、地球全体に大きな迷惑をかけることに対して、
反対の意思表明はしたいです。
微力であっても。

2022年11月18日金曜日

無意味なバグ、無意味にバグっている私たち

 しばらく前に、
「本当はみんなが一日3時間くらいずつ働けば社会が成り立つくらいの文明力があるはずなんだよ」
という内容のツイートが流れていました。
もう流れて行ってしまって、正しい文面も、どなたが発信したものかもわからなくなってしまいましたが。

「そうよなぁ」、と。

コメント欄もざっと眺めてみたのですが、おもしろかったですね。
「政治家とか社会の中枢にいる人たちが『アミ小さな宇宙人』とか読んでくれたらなぁ」というような、「理想の社会を実現したい・するには」という人と、
いわゆる「冷笑系」のような、「そうは言っても財源が」とか「『みんなが』というのは高齢者や子供、障がい者や重病人のような、現在働いていない人も含めて平均をとると、今働いている人の労働時間と変わらないのでは」みたいな、「うん、元ツイートが言っているのはそういう話じゃないと思うよ」という気持ちになる人と。

まぁ、元ツイートの人が、『アミ』みたいなスピリチュアル系の言説を念頭に置いて書いたかどうかはわかりませんがね。

ただまぁ、一昔前というか、昭和の高度経済成長期といわれる時代、まだPCが普及していなかったような時代では、一般企業の経理処理なんか本当に人力でやっていました。
営業部とか生産部とか、一つの部署ごとに付属の経理部門があって、仕訳して伝票手書きして、中央の経理に上げて、みたいな、人海戦術。
商業高校で簿記を専門に学んだ人がそういう仕事についていました。
その時代の「ホワイトカラー」とか「サラリーマン」とかのかなりの比率が、そういう人海戦術の事務要員。
でも今、全部会計ソフトでできちゃう。
経費発生した本人が直接ソフトに入力して証憑書類を画像で添付、くらいじゃないですか。
売上とかも然り。
本部の経理でチェックできる人がいるくらいで、各部署ごとについていた付属の経理人員、まるっと不要になっている。

これ、「仕事を奪われた」じゃなくて、「機械ができる仕事は機械にやってもらえばいいじゃん、その分人間は楽しましょ」という話。
そういう方向に世の中進化しているんじゃないの?という話です。
洗濯だって昔は手で洗っていたけど、今は洗濯機が洗ってくれるよね、みたいな話です。
駅の改札だって自動改札でいいよ、みたいな話です。

「みんなが一日3時間くらいずつ働けば…」の元ツイートの人の言わんとしていることは、こういうことじゃないのかなと思います。


で、もう一つ。
こちらは エイ(@Zikatu1)さんの2022.10.2のツイート。

フィンランドの先生に「なぜフィンランドではみんなが4時で帰れるの?」と聞いたら、「仕事は就業時間内に終わらせて、それ以外の時間も大切にしたいと国民全員が考えてるからだよ」とすごくシンプルな答えが返ってきた。この考えに1億いいねを押したい。

本当に、こういうことなんじゃないかと思います。

「みんなが一日3時間くらいずつ働けば…」というツイートに、「そうできない理由」を一生懸命コメントしている人たちって、本当になんかバグっているよね。
「冷静に現実を見据えている俺かっこいい」みたいな。
あるいは「自分より下の存在がいてほしい、誰かを踏みつけていたい」みたいな。

いいんだよ、みんなで楽して幸せになればいいじゃん。
機械ができることは機械にやってもらって、人間は楽しい時間をすごそうよ。
というだけの話だと思うのだが。

日本、割とそういう意味ない無駄な仕事のメッカよね。
「判子は上司にお辞儀しているようにナナメに押す」とか、超いらねー。
定時にあがるの気まずいから、大半の人が帰るまでずるずる残業とか。
意味ないよね~。
でも、その中にいると「そういうもんだ」になっちゃうよね~。集団心理って怖いね~。
今の日本のダメダメさって、こういうののなれの果てって感じ。


前に、日本に住んでいたオーストラリア人の男性が、
「日本人はクレイジーだ」と言っていました。みんなが漫画やアニメやゲームに夢中になっていて、スマホばかり見ている、と。
それを聞いた日本人の私はどちらのこともわかりましたよ。
健全な精神を持ったオーストラリア人から見たら、アニメやゲームに没頭して現実と向き合わない日本人は病的だ、と感じるのは妥当だと思うし、
一方で、日本人がそういったものに没頭しているのは、それらがおもしろいからじゃなくて、搾取されて誰からも愛されていない自分を直視するのが辛すぎて、目をそらせるものを必要としているだけだ、ということも痛いほどわかります。

まぁ正直、「みんなが一日3時間くらいずつ働けば…」のツイートに、否定的なコメント入れている人たちって、
「搾取されて誰からも愛されていない自分を直視するのが辛すぎる人たち」なんだよなと思います。


いいじゃん、あなたは愛されていいし、搾取されずに豊かな生活をして、楽しく生きていいんだよ!

というメッセージが、実は何よりも怖い人って、いるんだよね。
人間のバグの中で、かなりやっかいなのが「幸せになるのが怖い」ってやつ。
「愛されるのが怖い」とか、「成功するのが怖い」とか。
いや、私もかつてそうだったんですけど(笑)。
今でも時々古い痛みが戻ってきてバグることあります。そういう時は無理に動かない。
私がブログ更新しない理由(笑)
自分と向き合うしかないんでね。

これちょっとめんどくさいんだけど、例えばやたらとキラキラな自分をSNSに上げるとか、ブランド物とか高価なもので身を固めるとかもそうなのね。
みじめな自分と向き合いたくないの。
みじめな自分と向き合いたくなくて、やる必要のないことやってるの。

こういうのって周りが説得しても変わんないし、本人が飽きるまでやるものらしいけど。

でも、「そういうのもう飽きたわ!」という人たちもたくさんいて、
そういう人たちが「一日3時間」とか「4時でみんなが帰れるフィンランド」みたいなことを言い出すわけ。

もういいじゃん、戦争のない世の中で。
平和に楽しく暮らせばいいじゃん、とか。

それで良くね?
と思うんですけど。

でも逆に、そう思っちゃう人が増えれば、「4時でみんなが帰れる日本」が実現するわけで。


いや、ほら、日本の夏暑いし、一日中同じ服着て事務所勤めとか、嫌じゃない?
ブラジルとか東南アジアとか、一日に何度もシャワー浴びるらしいよ。
だって汗かいたら気持ち悪いじゃん。
身体をさっぱり洗って、きれいな服に着替えたら気持ちいいに決まってるじゃん。
でもそうするには、「家に帰ってシャワーを浴びる」ことができる距離で仕事をするってことだよね。
だって職場に着替えだのタオルだのゴソゴソ持っていくの嫌じゃん。
え、そしたら住環境は?職場の形態は?ってなっていくじゃん。
東京の中心部に2時間(以上)かけて通勤して、朝6時半に家を出て帰ってくるの夜8時とか、ダメじゃん。
そういう感じ。

一個一個、そういう感じ。
一個一個、そういうことを、「なんか、やってることアホくさくね?」と、単純に思っていく感じ。
できるできないとか、世間体とか置いておいて、ぶっちゃけどうよ、な感じ。
ほら、思い描くのは自由だから(笑)

2022年9月26日月曜日

#安倍晋三氏の国葬に反対します

#安倍晋三氏の国葬に反対します
#国葬反対

ご無沙汰しております。

安倍晋三氏の国葬反対について、
きちんとした文章でブログを書きたいと思っていましたが、
もう明日に迫っていることに今頃気づきました。

反対の意思表明のみ、今したいと思います。

諸々のことについて、
また文章がまとまったら、改めて書きたいと思います。

災害の救援を。
生活に苦しむ多くの人のための経済措置を。
政治の腐敗にメスを。

北朝鮮の脅威を煽って目くらましをしようとするのをやめてください。
誰も騙されません。
政府の言いなりの報道をするマスコミはいりません。

2022年6月1日水曜日

五月病とジャスミンの花

ご無沙汰しております。
新年のご挨拶以降、世の中の事情に心が乱れ、文章が書けなくなっていました。
少し心が落ち着いてきて、いろいろな角度からの情報も集まってきたので、
また、書きやすいテーマから、少しずつブログを再開したいと思います。

まずは、アイスブレイクをかねて、先日ツイッターで見かけた話題から。

*******
張暁珺@漢方相談員(@xiaojuninjp)さんの5月11日のツイートで、
「5月病でお困り方
 ジャスミン茶を飲んでください!」
というものがありました。

この方は国際中医専門員でいらっしゃるので、
中医学(漢方)の専門用語で説明が続き、
最後に、ジャスミン茶は、
「イライラやため息が多い
 食欲不振など
 ストレスで気の巡りが滞っている
 肝鬱による症状に向いている!」
とまとめています。

これを読んで「ほぉ~ぉ!!」(感嘆)と思いました。

日本では「五月病」という言葉があります。
(どういうわけかこのブログ、海外の方がたくさん読んでくださっているようで、
 こんなマニアックな内容の長文の日本語ブログを
 どういう背景の方が読んでくださっているのか、
 書いている本人がいまいち釈然としておらず。。。
 海外在住の日本人の方が読んでくださっているのか、
 日本に興味を持ってくださっている方が読んでくださっているのか、
 よくわからないのですが、念のため日本のことについて少し説明をしてみます(笑))

私が子供の頃に聞いた話では、
日本では4月に学校が始まったり、就職をしたり、職場でも人事異動があったりと、
生活環境が変わることが多くあります。
4月中は新しい環境になじもうと緊張して頑張るのですが、
5月に入ると、少し慣れてきて気のゆるみと、がんばりすぎた疲れが一気に出て、
体調を崩したり、うつっぽくなったりする人がたくさんいます。
それを称して「五月病」と言うんだよ、と私は聞きました。
だから私はストレスからくる軽度の精神疾患、みたいな感じにとらえていたのです。
心の風邪、みたいな感じ。

一方、私は長年の虚弱体質を漢方や鍼灸治療で改善してきました。
治療を受ける中で東洋医学の考え方を少しばかり理解してきたのですが、
冒頭のツイートで、五月病というものの理解が変わりました。

東洋医学の考え方では、春は「肝」のエネルギーが強くなる季節です。
西洋医学でいう「肝臓」だけでなく、そこに関連するエネルギーの流れとか性質とかも
全部ひっくるめたものが東洋医学でいう「肝」なんですけど、
まぁとりあえずざっくり「肝臓かな?」くらいに思っておいてください。

肝のエネルギー(気)が強くなると、腹が立つんですわ(笑)
怒りのエネルギーなんです。
私が春先に鍼の治療に行って「なんかやたらとイライラします」と言うと、
鍼の先生に「春なんです~」と言われます(笑)
なんのこっちゃと思われるかもしれませんが、
「春になる」→「肝の気が強くなる」→「怒りの感情が強くなる」
という東洋医学的な見立てです。

逆に「肝の気」と対になっているのが「肺の気」で、
肺の気は、秋になると強くなります。
昔「肺は悲しみの臓器」という言い回しを見たことがありますが
(おそらく「くるねこ大和」さんの漫画で、くるねこさんがかかっている鍼灸の先生の言葉だったように記憶しています)、
秋になって肺の気が強くなると、やたらとめそめそ悲しくなります。
だから「秋はなんだか物悲しい」という日本人のメンタリティは、
気の巡り的に正解。落葉のせいだけではない(笑)

で、また話が脱線しました。
もとに戻すと、
私は「五月病」というものを、
社会的な異動によって生じるストレスが原因の一時的な精神病と理解していたのですが、
先のツイートのもとになっている東洋医学的理解からすると、
季節の変化によって生じる必然的な体調の変化が、大きく振れたもの、
と考えるべき?

上記のツイートの一文、再掲。
「イライラやため息が多い
 食欲不振など
 ストレスで気の巡りが滞っている
 肝鬱による症状に向いている!」

「怒り」ってものすごくエネルギーを消費する感情なので、
私のような「気虚」というエネルギー不足の状態になりやすい性質の人間が、
春になって肝の気が強くなってイライラしだすと、
それだけでエネルギー不足に陥って、ぐったりして鬱になるんです。
イライラ怒りながら、鬱になってぐったりする(笑)
笑い事じゃないんですけどね、辛いんで。
ま、そういう症状にジャスミンが効くよ、ということです。

この方のツイートでは、
中医学では、ジャスミンは
・気の巡りを良くして、鬱を緩和する
・滞った血液のかたまり(瘀血)を流す
・胃腸を健全にする
・精神安定
といった作用があると考えられていると説明しています
(箇条書きの効能は、一般の方にわかりやすい表現になおしています。)

ちょっとなつかしいところでは、昔、杏里が
「ジャスミンティーは~眠り誘う薬~」とか歌っていましたね~(笑)
精神安定作用ですかね。

この5月病の季節ってさ、
外歩いているとジャスミンがこれでもかって咲いているでしょ。
「オサレに庭先にジャスミンを植えてみました」風情を超えて、
なんか野生化して繁茂しているのとか、すごいジャスミンあっちこっちにあるじゃないですか。
あんなにすげー勢いで繁茂して咲きまくっているのに、
なんでジャスミンの精油ってバカ高いんですかね。ちょっと納得いかない(笑)
いや、あっちこっちですごく良い香りで、顔突っ込んで楽しませていただいているんで、
大変ありがたいんですけどね。


ここでハタと気づくわけです。

春になって肝の気が強くなるときに、
その弊害に効くジャスミンがこれでもかと咲きまくって、
良い香りで人々を誘うわけですよ。

自然界って、ちゃんと人間が健全に生きられるように用意してくれている。

むか~し、子供の頃に母に聞きました。
「秋に柿を食べると冬に風邪をひかない」と。
うちの母、とんでもない毒親なんですけど、昔はまともなことも言っていたんです。
「柿 風邪予防」で検索するとこれでもかと出てくると思いますが、
ビタミンCとかβ-カロテンとか豊富みたいです。

きゅうりやトマトといった夏野菜や夏の果物は身体を冷やす作用があるし、
春の山菜など苦みのある野菜は、冬場にためた毒素を排泄する作用があると言われています。

その季節その季節に、
人間の体調の揺れを整える作用のあるものが、
自然界にあふれるのです。


なんかさ、人間って愛されてるなぁ~!!!と、圧倒されるんですよ。

季節の変化によって、体調が揺れるんです、人間は。
それをちゃんと健全な状態に整える作用のあるものを、
自然界が用意してくれているんです。

ジャスミンなんて、クソみたいに咲いているじゃないですか(失礼)。
本当にちょっと手入れが行き届かなくなったお宅とか、空き家とか、
もう収拾つかないくらい野生化して繁茂してますよ、ジャスミンさん。
そんで四方八方にすごく良い香りをまき散らしているんです。
アロマセラピーを例に挙げるまでもなく、
漢方薬も本来は香りも薬効があるものとして味わうべきとしていますし、
その効果あふれる香りを、この季節に、無償奉仕してくれてるんです、ジャスミンさん。
なんて太っ腹!!
なんて太っ腹な自然界!!

まぁもちろん、あっちこっちのジャスミンさんに顔突っ込んでかぐだけじゃなくて、
ジャスミン茶も買いましたけどね、あのツイート読んで。


これだけ用意周到に、健全に生きられるように、
真綿でくるむようにして、
時にあふれるような圧倒的な勢いで、
自然界から愛され、育まれている、私たち人間は。

それなのに、人間界は、一体何をやっているんでしょうか。
なぜ、奪い、挙句の果てには殺してしまう状況を作り出すのか。
(「殺し合う」という表現は不適切で、殺された人間は相手を殺せませんね、もう死んでいるので。家とか国家とか集団で考えるから、殺された本人が見えなくなるんだと思います。「一人を殺さない」と考えることが違う社会を作るための基本のような気がします。)

あふれかえって咲くジャスミンの花に顔を突っ込んで香りをかぐように、
自然界の愛を受け取って、健全に生きる、ということを、
どうしてここまで見失ってしまうんだろう。

私も人間界で生きるのがうまくできない性質なので、
何をどうして良いのかわからず途方に暮れることばかりです。
(でも昨年暮れから社会復帰しました(笑)どこまでやっていけるかはわかりませんが、
また思うこと少しずつ書いていきたいと思います。)
「人間界が苦手」と言っても私は人間として生きていて、
一人で自然界で生きていく術も持たないので、
本当にどうしたものかなと思うばかりです。

2022年1月14日金曜日

良い年、良い世の中を作っていきましょう

新年のご挨拶が遅くなりました。
何と言いますか、心ある多くの方がツイッター上で仰っていたように
「日本の政治の誤りによって寒空の下たくさんの人が苦しんでいるというのに、
何が『めでたい』のか」、という気持ちと、
とはいえ、社会通念上、「おめでとうございます」と言わねばならんのか、
というせめぎ合いがありまして、
文章をまとめることができませんでした。

親しい友人間では「おめでとう」と言えても、
職場とか、ほかの社会的な場所では「果たしてこの人にとって、今年はめでたいのだろうか」「親しくないから知らないけどコロナで親族が亡くなったりしてないだろうか」、
とか、いろんなことがよぎってしまいました。
まぁ、私は考えすぎの節のある人間なのですが。

なので、私個人としては、今年はあまり「おめでとうございます」よりも、
「壊れてしまったこの社会を、これから作り直していきましょう。
 もっと良い世の中を作っていきましょう。
 今年はもっと良い年にしていきましょう。」
という気持ちを、お伝えしたいと思います。


*******

日本の表面的な政治・社会事情を見ていると正直絶望しかないのですが、
昨年初冬に、とても希望の持てる情報を見ました。

「次世代の太陽電池」と言われる「ペロブスカイト太陽電池」、
兵庫県立大などの研究チームが、シリコン型太陽電池と同等の耐久性になる実験結果を得、
「実用化に向け大きく前進」というもの。
こちらが、2021年11月13日付の神戸新聞NEXTによる情報。

この「ペロブスカイト太陽電池」、
私はツイッターでこのニュースを見るまで知らなかったのですが、
何がすごいかって、「フィルムのように薄く、液状にして塗ることもでき、従来の太陽電池では設置が難しかった窓ガラスやビルの壁などへの利用も想定される。高騰しているシリコンなどを使用しないため、大幅なコスト削減も期待される。」(記事より引用)という点。

いやね、昨年の夏、地元の住宅街を歩いていて思ったのですよ。
あんまり暑いものだから、日差しがきつい窓に日よけの布を張ってらっしゃるお宅があるのね。あの日よけの布で太陽光発電できたらいいのになぁ、と。
実家ではグリーンカーテンを作ってますが、あれ、発想としては確かにエコロジーなんだけど、手間がかかるし、洗濯もの干すのに邪魔だし、結構場所と人を選ぶのよね。ベランダが広いとか、庭があるとか。
「ベランダない窓なんだけど、西日がきつい時間だけ日よけがほしい。でも室内のカーテン閉めて部屋が暗くなるのは嫌。」とか、あるじゃないですか、生活実感として。
そういう必要な時だけバサッと広げて、いらない時は小さくたたんでしまっておける、みたいなタイプの太陽電池があったらいいよね、と思ったのです。
まぁ私は科学全然わからないけど、でも、すべての発明は「ない状態」から生まれているのだから、誰かそういうもの開発したりしないかなぁ、なんて思いながら、住宅街を歩いていたのです。
そしたら、もうできていた(笑)
2005年に宮坂力・桐蔭横浜大特任教授が発見し、実用化に向けて世界的に研究競争が展開されていたのだとか。


それから、全固体Naイオン二次電池を、日本電気硝子が「オール酸化物」で実現したと発表。これが2021年11月18日。
リチウムやコバルト、ニッケルなど希少な資源を使わず、豊富なナトリウムや鉄を材料にしているため、資源確保の問題をクリアできるとのこと。


私、昨年この情報見て、「あれ、もしかしてこの世界まだ大丈夫?」と急に希望が湧いてきたんですよ。

まぁ、日本、原発利権の自民党周辺のおっさんたちが牛耳っている社会なので、
この情報、全然流れていません。

でもこの技術、実用化の目途が立ってしまえば、
もう世の中は変わらざるを得ないでしょう。

原発利権でいい思いをしたいおっさん・爺さんたちがどうしようと、
彼らをおいて世の中は動き出すでしょう。

これちょっと既視感あるなぁと思ったら、
その昔、デジカメが日本で開発されたものの見向きもされず、
開発者がアメリカのコンピュータ展示会に持って行ってデモンストレーションしたら大評判になり、結局日本には逆輸入の形で定着した、みたいなやつ。

私はこの技術、ものすごい「ゲームチェンジャー」になり得るんじゃないかと思うし、
日本のおっさん社会がどうしようと、石炭から石油に切り替わった時と同じようなことが起こるんじゃないかと思います。
原発に固執する人たちは、石炭に固執した人たちと同じ憂き目を見るよ、という。

日本のおっさん社会本当にクソなんで、勝手に泣いてろ、と思いますが、
そういう人たち以外の人たちが、できるだけスムーズに新しい状況に移行できるといいなと思います。

ずいぶん長いこと私の中で希望が見いだせず、うつっぽかったのですが、
何というか、変化の萌芽が見えたような気持になりました。

良い世の中を作っていきましょう。