2021年4月25日日曜日

自分よりも大きなものに寄りかかること

入管法改悪の件、数か所署名しました。
私は感情が揺れすぎるので文章化できないのですが、
端的に要点をまとめている方のツイート引用させていただきます。
(感情の揺れが収まったら、少しずつ文章にしていきたいと思います。)

mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.19)

「コロナ対策大失敗、ジェンダー不平等による人的リソースの持ち腐れ、軍隊的教育で抑圧され個性と自尊心を潰される子供たち、貧困な育児環境、小金持ち高齢者の不安と自衛による低消費、外国人の奴隷労働と殺人入管による海外からの不信と嫌悪。この辺て「人権」が守られてたらだいぶ解決するのでは。」


mipokoさんは、最近よく拝見させていただいているツイッター発信者ですが、
私が感情がこんがらがってわけがわからなくなっているような時にでも、
冷静に、端的に、要点を指摘してくださっているので、
とても尊敬しています。

私は感情の振れ幅が大きいので、辛いこと・苦しいこと・悲しいこと・怒りにも
ものすごく共振してしまい、自分が体調崩したりするので、
こういう風に的確に問題点を指摘してくださる方がいるととても助かります。
(私のこの共振・共鳴の性質は、喜びや楽しさでも起こります。
舞台芸術には必須の性質である反面、日常生活や世の中に問題があるようなときは、
非常に難しいものでもあります。)

*******

ネガティブな感情に負けてしまうので、少し時事からそれたことを記事にします。
時事からそれてはいますが、今起こっていることの根本的な原因でもあると思っていることを書きたいと思います。

「自分より大きなものに寄りかかること」、つまり「依存」についてです。

オリンピックがなければ、日本はここまで壊れなかったのではないか、
自民党が政権を取っていなければ、日本はここまで壊れていなかったのではないか、
あるいは日本の高度経済成長が、「男社会」によってなされていなければ…
といったこと、
なぜこうまで「間違いを認めて立ち止まることができないのか」ということについてです。

私が一番最初に「依存」という問題を意識することになった職場のお話です。

私が大学卒業後、初めて就職した会社はぬいぐるみ製造の会社でした。
私は専攻が文化人類学だったこともあり、現代社会や現代の文化に懐疑的で、
なんか人間の本質的なことに近い仕事を選びたいみたいな気持ちがありました。
今思うと、単に若くて世間知らずだったな、というだけですが。

当時は大学の就職課にあった会社案内と四季報だけが就活ツールだったので、
会社の実態を知ったのは入社後。
私の大嫌いなディ〇ニーのぬいぐるみが9割くらいを占めている会社でした。
入社直後は株式の店頭公開の準備をする部署に配属になりましたが、
その後あれよあれよという間に傾いて、店頭公開はお蔵入り。
私は入社2年目に一人暮らしを始めて、最初は家賃手当が出ていましたがそれもカット。
中国に生産の本拠地を移して国内工場はどんどん閉鎖。

しばらく私の持ちネタでもありましたが、
しまいにはボーナスが「ぬいぐるみの現物支給」になりました。
それも最新版の人気商品ではなく長期不良在庫品。
「7人の〇人」6人とか、同じのが2人いる7人とか、
そういうのがぎゅう詰めで段ボールひと箱。
挙句、「これは原価で2万円分の価値があります」ということで、
7月分の給与から、ボーナス分の源泉徴収として2千円引かれました。
実話です。
何年も後になって、新聞で現物支給は違法という記事読みましたけど、
当時は公認会計士がこれをやらせたみたいです。
ちなみにその現物支給品は、私の出身の保育園に、バザー出品用として送りました。

店頭公開準備の部署の上司も、「ぬいぐるみは利益率が高い」「作っても作っても間に合わない」と言っていましたが、
長く勤めていた先輩も、バブルの頃は「ディ〇ニーのぬいぐるみがおしゃれ」だったと言っていまいた。なんかソファーや出窓には〇ッキーのぬいぐるみが置いてあるもの、みたいな時代だったようです。
私はディ〇ニー苦手なのでそういう感覚わかりませんでしたが。
それでとにかく売れる、生産が追い付かない、どうやって生産量を増やすかだけを考えればよかった、と。

私が大学生くらいの時にはバブルはじけていましたし(厳密にはいつだか知らない)、
日本の流行も変わり始めて売り上げが下降線の一途をたどり、
ディ〇ニーからは「マーケティング部」を作って市場調査をし、売れるぬいぐるみを作るように、という指示が出ました。
それで部署は作ったけど、手法はわからず。売り上げも上がらず。
その当時まで長年独占契約を結んでいましたが、解除になり、ほかの勢いのあるぬいぐるみメーカーもディ〇ニー商品を作るようになりました。
このあたりで私が本格的に体調を崩して脱落。

生理痛についての記事でも書きましたが、私は大学時代から病院通いをしていて、
一人暮らしの通常の生活費の他に医療費もかさんでいたので、
本当にやりくりには苦労しました。
ただ、私は人生の一番最初にこの経験ができて良かったと思っています。
手取りがいくらだとどの程度の生活になるか、というのが、この経験のおかげでぱっとわかるようになりました。
その後実家に戻って渋谷に勤めるようになった時も、深夜残業が続く職場だったのですが、
当時の手取りで一人暮らしをすると職場に着ていく服が買えないのが目に見えていたので、最後まで実家から通いました。

まぁ、昭和感が色濃く残っていた会社でした。
私は水が合わず、体が腐っていくような辛さがありました。
良い時代のことを覚えているおじさんたちが、今の問題点も解決策も見いだせない。
上司は積極的にリストラをすることで銀行からほめられたと喜んでいましたが、
国内の工場を閉鎖したり、自社製品に思い入れを持っている配送部門が廃止になって外注したりすることについて、いろいろなことを見聞きしました。
あの時代どこの会社でも、遅かれ早かれ、大なり小なりそういうことはあったと思います。

ただ、あの会社について当時私が感じたのは、
ディ〇ニーという大きなものに、喰われてしまったな、ということです。
創業者のぬいぐるみにかける情熱によって、ディ〇ニーからの絶大な信頼を得たところから始まった関係でも、「ディ〇ニーさえ作っていれば売れる」ということを経験してしまうと、よほど強い人でない限り、寄りかかってしまうんだな、と。
そして「ひとたび」寄りかかってしまうと、「ぬいぐるみの現物支給」をするところまで落ちぶれるんだな、と。
私は苦労しました。家計のやりくりに苦労し、体調もさらに悪化し、自信もなくし、辛い思いをしました。
でも、社会に出て一番初めに、この、人間の弱さやずるさを見て、それがどんな結果を引き起こすかを身をもって経験できて本当に良かったと思いました。

その後いろいろ経て、渋谷にある舞台公演の企画制作の会社で、プロデューサーの下で制作として働くことになりました。
通常の演劇公演やコンサートなどの他に、日本舞踊や邦楽(お三味線やお琴など、人間国宝の先生方もいらっしゃる現場)のお仕事もさせていただき、本当に貴重な勉強をさせていただきました。

で、演劇公演などで俳優さんやアーティストの方などと接していていろいろ気が付いたことがありました。
大物の俳優・アーティストについているマネージャーさんなどのもちろんごく一部なんですけど、一定数、「何にもできない人」がいました。
大物の身近にいて、大物から必要とされていることだけが存在理由になってしまっている人。もちろん全員じゃなくて、一部です。
すごく独特な雰囲気なんですよ。すぐわかります。
舞台の現場は俳優・アーティストだけでなくスタッフも実力がすべてなので、
「ものすごく」異質です。
私は自分の中でそういう人たちを「腰巾着」と呼んでいました。
(会社にも厄介なお局様がいて、取締役の腰巾着で大変でしたが。)

そういう人たちも、本当に初めから自分の力が何にもなかったのではなく、
大物の近くにいて必要とされているうちに、必死で切磋琢磨しなくても生きられるようになってしまった。
そして自分の力を見失ってしまった。

ぬいぐるみの会社と同じだな、と思いました。

その数年後にも、私の人生の非常に大切な事柄において、
集団で腰巾着状態になってしまった人たちが、
私の止めるのを聞かずに誤った道にまっしぐらに突き進み、
壊滅状態になったこともありました。
(その時私は重度のうつ病になり、数年間自宅療養することになりました。)


自分よりも、大きな存在と、何かをする時。仕事でも、なんでも。
美徳とされている謙虚さとはまた違う意味で、
自分がその大きな存在を乗り越えてやる、というくらいの気概がないと、
人は必ず喰われてしまうんだな、と、私は何度も思いました。

向こう見ずとか無茶とも違うし、ネトウヨのイキリみたいなことでもないんです。
ただ、「大手と組んだから大丈夫」と思ってしまったら最後、喰われて終わります。
それは大手に悪意があるとかじゃないんです。
私はディ〇ニーが嫌いだけど、ディ〇ニーが悪意であの会社を喰い潰したとは思いません。
あの会社が、自分で自分をダメにしたのです。

私は何度もそういうのを見て、その被害を身をもって受けることも何度もありました。


今回のオリンピックについて、よく先の大戦と同じだということが言われていて、
「インパール2020(もう2021!)」などと揶揄されていました。

自民党はオリンピックを開催しさえすれば支持率を確保し、
今年の選挙で大勝できると考え、それ以外の道を考えることができませんでした。
安倍政権という醜悪な政権が8年も続いたのも、オリンピックによる利権が支えたからです。
そして政治にあまり関心のない日本人の多くも、
「オリンピックがうまくいけば自分も何となくうまくいくだろう」みたいな感覚だったのだろうな、と思います。
もっとも、政治に懐疑的な人たち、あるいは社会的に底辺にいる人たち(私)は、
「この政権のままオリンピックやったら日本終わるよね」と思い続けてきました。

そしてよく「肉屋を支持する豚」と揶揄されるネトウヨの人たち、
ネトウヨバイトの人もいるとの情報もありますが、
自分は一介の貧乏人でしかないのに、自民党の威を借るキツネになって、
政権を批判する人にことごとく暴論をふっかけています。
私は何年も前は、ネトウヨの人たちの考え方がまったく理解できませんでした。
自分が貧乏で不幸せで社会に怒りを抱えている人たちが、極左やアナーキズムに走るなら理解できるんです。
何故、現政権・自民党を支持するのか、まったく理解できなかった。
ただ単に勝ち馬に乗りたいだけ、優越感に浸りたいだけなんだということを理解するのに、
すごく時間がかかりました。
今この時の優越感のために自分の首を絞めているのに、そういうことは考えたくないんだろうなぁと今は思います。

自民党も同じで、オリンピックをしさえすればどうにでもなると思って、
真っ当なことを何もしないできたら結果的にオリンピックの開催さえも危うくなり、
無理やり開催したところであてにしていた収入はなく(税金で穴埋めしようとしているとは思いますが)、それでも止まれない。
止まったら責任を問われて「自分が終わる」から。


コロナ禍があるということを予測していたとかそういうことは全然ないけど、
自民党にこのままやらせていたら「絶対こういうことになる」と、
長い間たくさんの人たちが言い続けていたのに。
もう「だから言ったじゃん」と肩を落とし続けています。

海外の方々に対する非人道的なやり方、
日本人に対するひどいやり方、
自民党にやらせていたらこういう結果になると、わかっていたのに。

金と権力に喰われてしまって、人間であることを捨ててしまったんだなと思います。

私が、この人生で何度も何度も見たもの。
何度も何度も止めたのに、誰も聞かなかった。
そして、わかっていた結果になった。
その結果を目の当たりにして、私は身動きが取れなくなる。
心が固まってどうしていいのかわからなくなる。

今このひどい状況が、どこまでひどくなるのか、私は予測がつきません。
今ここで終わってほしいけど、
オリンピックをやってしまってさらにひどいことになるのか、
自民党でさえオリンピックをあきらめるほどのさらにひどいことが起こるのか、
あるいは人々の反対の声が何らかの形で届いて理性的にやめることができるのか、
今の私にはわかりません。

ただいずれにせよ、この後、壊滅的な状態から、社会を立て直す時間が必要になります。
私が一つ、希望を見いだせるとしたら、ルワンダが先例としてあることです。

ルワンダの虐殺の生存者であるイマキュレー・イリバギザ氏の『生かされて。』(著:イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン、翻訳:堤江実、PHP研究所、2006)を読んだ当時、
イマキュレー氏が生き残ったこと、そしてアメリカに渡り新たな人生を見出したことに、
心からの安堵を感じた反面、こんなことが起こってしまったルワンダは、
もう100年くらい壊滅的な状態が続くのだろう、と私は思いました。
ところが、数年前から、ルワンダがこの惨劇から復興を遂げているという情報を見るようになりました。住民総出でゴミ拾いをして地域を健全に保っている、というような。
昨年あたりにも、ルワンダの虐殺によって男性が減ったために女性の議員が増え、
結果的に進歩的な政治が行われるようになった、というツイートもありました
(ツイートした方は、「虐殺」そのものではなく「女性の議員が増えたこと」が大事なポイントだと注意書きしていました。私が『生かされて。』を読んだ印象だと、男性だけが特にたくさん殺されたという意味ではなく、虐殺の実行犯に男性が多く、たくさんの男性が刑に服したからではないかと推測します。)

そして非常に印象的だったのは、このコロナ禍において、イギリスから「安全国」として評価された国の中にニュージーランドや台湾など明らかに優等生な国々とともに、
ルワンダの名前もあったことです。

あの惨劇から、あの絶望から、復興することができるんだ、しかも、こんなに素晴らしい形で、と、本当に涙が出ました。

私達日本も、今、日本人だけでなく、日本に期待を抱いていくださっていた海外の方々に本当にひどいことをしていて、それが今まだ立ち止まることもできずにいる。
そして何とか立ち止まったその先に、本当に、壊滅状態からの復興、一からのすべての立て直しが待っている。
私の心が弱っている時、もう立ち止まることもやり直すこともできないのではないか、という気持ちに負ける時もある(そういう時は記事を書きません)。
でも、ルワンダは復興したんだ。こうやって、「コロナ安全国」と評価されるほどに。
私達にも、きっとできる。
お手本は世界にあるし、私たちの心の奥底にも、きっとある。

2021年4月15日木曜日

#汚染水の海洋放出に反対します 【追記】

#汚染水の海洋放出に反対します
#汚染水の海洋放出決定に反対します


一応、ツイッター上で気になる事柄を拾っておきます。


mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.13)

「スガに最後っ屁をさせて支持率下げさせて五輪中止になっても理由はこっちみたいに見せかけてスガを下ろしたいナニモノかの下手な謀略のような気がしてしょうがない。」


mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.15)

「二階氏、五輪中止も選択肢 | 2021/4/15 - 共同通信 
汚染水海洋投棄といい、この人は手前勝手にどういう絵を描いてるんだろ。民主主義国家としてあるべき手続きを全部ぶっ飛ばして。」


一方で以前、文春砲について流れていた
大濱﨑 卓真(@oohamazaki)さんのツイート引用。(2021.3.19)

「なぜ文春砲が今年政界でこんなに炸裂しているか、そしてその砲弾の飛ぶ先が与党ばかりなのか、今日聞かれた。難しいことはなく、今年は総裁選(本戦)。昔は実弾飛び交う総裁選といえば、「実弾」の意味は札束だったが、今は文春砲という実弾に変わっただけ。着弾した議員を派閥で整理すればわかること。」


このツイートに対して、麻生派がリークしているんじゃないかというコメントも入っています。


いや、この手の政党内の内ゲバでなかったとしても、先日の福島近辺での地震で、
何か危ないんじゃないか、また隠ぺいしているんじゃないかという声はずっとツイッターで流れていました。

いや、内ゲバであったとしても、〇〇派が勝ったとか負けたとかじゃなくて、
「自民党 丸ごと」終了にしたいです。


で、前から図にして記事書きたいと思っていたのですが、
いまだにできていないのでもう文章だけで書いちゃいますけど、
福島沖というか、東北沖って、黒潮と親潮がぶつかるところで、
この二つの潮流がぶつかることで、たくさんの魚が集まる特殊な漁場になっている。
小学校の社会科で習ったんですけど。
何年か前の「ブラタモリ」で銚子についての回でもやっていて思い出しまいた。
福島から流した汚染水、潮流に乗って、この漁場を直撃。
銚子港がそうであるように、この漁場、日本各地から漁船が漁に来ていて、
ここで獲った魚を、各地の港で水揚げしている。
「〇〇港で水揚げ」と言っても、この漁場の魚であることもあるわけです。
というか、日本にここ以上の漁場ってないそうです(だから小学校で習うわけですが)。
なんか政府が話付けようとしているのって東北の漁業組合だけみたいな報道なんですが、
日本中全部影響しますよね。
あと海外の動画で、福島からの汚染水がこの潮流に乗って地球規模で広がっていく様を示したものもありました。

で、デジャヴュとしか言いようがないけど、
水俣病もこうして汚染された魚が山間部まで運ばれ、山間部でも水俣病患者が発生した。
で、チッソ側の人間は、工場排水飲んで見せたりしてました。
いや、麻生氏の発言出る前に、
小泉進次郎環境大臣が「汚染土を事務所の鉢植えの土にします~」とか言っていた時に、
「こいつは環境大臣のくせに、水俣で何が起きたかも知らないんだろうなぁ」と思いました。悪党はいつも同じことを言うということを、自分がまったく同じことをしていることを、知らないんだろうなぁと。
小泉進次郎は超のつくバカですが、自民党は、本当にこんなのばっかり。
(ていうかもう自民党の人に氏とか大臣とかつけて表記するのも嫌なレベル。やめよかな)


もうこんな社会は嫌です。
個々人の努力や、小さな願いがことごとく踏みつぶされていく、こんな社会は嫌です。
倫理観の欠片もない人たちに、一般庶民の生活が、人生が、踏みにじられる、こんな社会は嫌です。

私は、自分の国に誇りを持ちたい。
それはネトウヨが言うようなまやかしの誇りではない。
私たちの国は、道理的に間違ったことはしない、自分たちに対しても、世界に対しても、
そして地球上のほかの生き物たちに対しても、神様に対しても、
恥ずかしいことはしていない、と、そう思える国でありたい。
私がこれまで生きてきた中で、そう思える状態だったことは一度もない。
これからそういう状態に変えていきたいと努力してきたのが、私のこれまでの時間だった。

今の、貧しくて人々の心まですさんでしまった日本を見て、
もっと一般の庶民が豊かになる社会でなければ、と常々思っていますが、
それでもバブルの頃の雰囲気を見聞きして何となく知っている世代である私は、
あの状態に戻るようなことも嫌です。
世界中の名だたる芸術品などを価値もわからないのに金にあかせて買い占めていた日本、
カーネギーホールでカラオケをしてしまう日本(なんかバブル当時の悪評だけかと思ったら、2010年にもカラオケ大会があったようで、ちょっと理解が追い付きません……)、
国際社会から「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、金を持っているだけの野蛮人と笑われていた日本、
もうそんな恥ずかしい思いはしたくない。

名だたる経済大国でなくても、「真っ当な国」として認識してもらえる国でありたい。

もう何年もずっと思い続けていることではありますが、
本当に自民党政権を終わりにしよう。
自民党そのものを終わりにしよう。

先日肉球新党さんの缶バッジがセールになっていたので注文してみました。
バッグにつけています。

私個人は今、ここ5~10年くらいの間は、日本共産党に政権を取ってもらいたいと思っています。
私は震災以前から、菅直人(かんなおと)元総理を応援していましたし、
一つも誤りがなかったとは思っていませんが、少なくとも菅直人元総理が震災後も総理を続けていたのなら、あの天災を機に、日本は原発を完全に廃止し、もっと文化的で一般庶民が幸せである社会を築けていたのに、と今でも思っています。
ただ、現在の立憲民主党は、政権交代を第一目標にするあまり(それももちろん大切ですが)、変な要素が入りこみすぎている。
私は自分自身の経験から、この内側に入り込んだ変な要素を、制御できないことがどれほど危ないことかを身に染みて経験しています。
ちょっと危なすぎるなと感じています。
今現在の日本で一番真っ当な政党は、日本共産党であると私は思っているので、
今後の選挙は当面の間、日本共産党一択にするだろうと思います。
もちろん宇都宮けんじさんとか、「この人」という人が出る場合は、例外ですが。


今回のコロナ禍を見て、私はキリスト教徒ではありませんが、
「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。」といのはこういうことか、
と思わずにはいられませんでした。
まぁ私が感じたことは、正統なキリスト教徒の方々の解釈とは違うかもしれないので、
間違いであればこの記述は削除したいと思いますが。
ニュージーランドにしろ、台湾にしろ、人命を尊重し、知性を尊重した国は、コロナを制圧しています。
日本にしろ、アメリカにしろ、ブラジルにしろ、なんというか、金と権力と腕力でどうにでもなると高をくくっていた国は、総じて敗北。(アメリカは今後変わるかも)
女性が男性がとは一概に言えませんが、女性をリーダーにし、この危機に際して女性のリーダーの「言うことを聞くことができる」国は、それだけ文化レベルが高いんだなぁと思わざるを得ません。
日本では、女性男性というレベルではなく、震災当時の菅直人(かんなおと)元総理に対する態度、あれがそのまま同じです。責任を取って頭を下げる人を、叩く。
しばらく前に、ツイッターで流れてきたツイートで、イケてるタイプの男性が、
俺たちが菅直人を引きずりおろしてあざ笑っていたからこうなったんだ、みたいなこと言っているのがあって、「あ~この人はあざ笑っていたんだぁ」と思いましたよ。私は泣いていましたがね。
そういうとこね。本当に。ここまで来ないとわからんのか、と。
(何度も言いますが、菅直人総理がすべてにおいて完璧だったとは思いません。
ただ諸々の軌道修正も含め、私たちの側にもっと良いやり方があったはずだと思います。
あの当時のマスコミの意図的な報道の仕方は本当に気持ち悪かったです。
裏で何かが動いていて「こういう報道をすれば庶民を操れるだろう」という意図が見え見えでした。本当に気持ちが悪かった。後々、この点も解明してほしいと思っています。
多分それは、今の維新と大阪の関係と似たようなものではないかと推察します。)


私は政治家ではないので、政治については、自分が信を置く政党・政治家に投票する形で委託しますが(こういったブログや署名などでの政治運動はしますが)、
日常の社会の文化的なところは、自分にできる形で発信や役に立っていきたいと思っています。

別な文脈でブログ記事にしようと思っていましたが、
私は編み物を通して、女性の衣類を、もっと女性の健康に適したものに変えていきたいと思っています。体を冷やさず、不快感をなくし、動きやすく、安全なもの。
女性が心身共に健康になり、活動し、自分に誇りを持てるような衣料を作っていきたいと思っています。(冬物で考えています。)

また、家庭で加害に合い、居場所をなくした若い女性のシェルターなどで、編み物を教えるボランティア活動もしたいと考えています。
編み物が直接収入に結びつくことは難しいとは思いますが、編み物は自分自身と向き合う時間になりますし、スマホを眺めるしかやることがないという状態を解消します。
以前アメリカの刑務所で受刑者の男性に編み物を教えた方々がいて、素晴らしい効果があったという記事を読みました。ベルンド・ケストラーさんの本によれば、ドイツでは男性も編み物を楽しむそうで、本来は男性が編み物をして心身を鎮めるべきだと私は思います。
少数ながら男性のニット講師もいるので、活動が広がることを期待しています。

また、ここ数年料理の勉強をしていたので、いただいた生命を無駄にしない食べかた、共同体の中での廃棄を減らす仕組みづくりも考えていきたい。
調理師免許を持っていないのですぐには実行できませんが、いろいろ調べながら、少し時間がかかってもできることを広げていきたいと思っています。

私は私のできることを通して、この「昭和のオッサン文化」を駆逐し、
金と権力を振りかざして自分が強ければ何をしてもいいと思っている社会を終わりにしたいと思っています。
新しい日本を作るために「こんな仕組みを作れたらいいな」というものを、少しずつ記事にしていきたいと思います。

2021年4月14日水曜日

#汚染水の海洋放出に反対します

 #汚染水の海洋放出に反対します

もう本当にやめてほしい。
ありとあらゆることについて。
生命や自然を、環境を、地球を、踏みにじることを続けさせてはいけない。
沖縄の辺野古埋め立ても、根っこは全部同じ。
女性を踏みにじるのも、根っこは全部同じ。
コロナの対応も、根っこは全部同じ。
障がいのある人、社会的なマイノリティ、今懸命に生きようとしている人たちを
踏みにじるのも、根っこは全部同じ。
生命を踏みにじっている。

生命、自然、というだけで、説明はいらないはずなのに、
それがわからない人がこんなにたくさんいて、
私は長い間どうしていいかわからなくなって、何度も倒れた。

今、たとえ生命とか自然とか、存在するものの尊厳とか、
そういったことがわからない人でも、
お金のことしか考えられない人でも、わかるはず。
日本が福島第一原発の汚染水を海洋投棄したら、
もう国際社会の中で日本が存在する場所がなくなることを。


ono hiroshi(@hiroshimilano)さんのツイートから引用。(2021.4.23.)

「日本人は今後10万年全人類から忌み嫌われる対象になるよ。与党とか野党とかの次元の問題ではないですよ。」


Yojiro Iwaya(@yohjiroh)さんのツイートから引用。(2021.4.23.)

「ドイツ語メディアでも一斉に報じています。「全世界に対する宣戦布告だ」とのコメントもあります。」


もう本当にこれですよ。
日本関連製品の不買運動なんか普通に起こるでしょうし、
日本に食料を輸出してくれなくなるかもしれないし、
こんなに災害の多い日本で何かあった時に、国際社会は助けてくれなくなるでしょう。

お金のことしか考えられない人にだって、不利益しかないんですよ。
自分はお金持ちだから日本を捨てて海外に逃げ出せばいいとか考える人でも、
行った先のコミュニティで針の筵だと思います。


なんかもう、こういうお金の損得勘定の話じゃなくて、
生命、自然、地球、そういうことですべて、何をやめるべきか、何をするべきかが判断できる世の中であってほしい、本当に。
長い間ずっとそれを訴えてきたのだけど、何も実を結ばなくて、何度も自分が倒れてただ周りに迷惑をかけるだけの病人になってしまったことが、本当に苦しい。

でも、1か月先の話ではないので、
自民党政権を倒し、自民党がこれまでに決定してきたすべてのことを無効にすることで、
日本を作り直したいし、そうするしかないと思う。
自民党内のトップが変われば、なんて話ではない(以前からずっとそう言っているけど)。
自民党そのものが、もう解体されなければ。
自民党や公明党、維新だけでなく、「自民党的なるもの」すべてが解体されて威力を失わなければ。
私はこの「自民党的なるもの」を「昭和のオッサン文化」と言っていて、
この言い回しについて、昭和生まれの男性の中でもきちんとした倫理観と知性を持っている方が、嫌がる向きがあることも知っていますが、でもねぇ、「昭和のオッサン文化」というくらいに社会に浸透していて身近なものと認識しないと、変えられないものだと私は思っています。
自分は「自民党に投票しない」という男性でも、自分はほかの人よりも優れている、当然のことながら女性よりも優れていると、「信じる」よりももっと深く、規定の設定として認識すらしていない人が普通にいるから、こういうことが起きている。

本当に日本を根本から作り直さないと、もう私達が存在することができなくなる。

ちょっと今、悲しすぎて混乱している。
でも、今年、本当に自民党を終わらせよう。
こんな日本であることをやめよう。
今年の衆議院選で。その前に終わらせられるなら、その前に。

2021年4月8日木曜日

『半神』とミソジニーと利用すること

 先日、江原由美子氏のネット記事で「ミソジニー」という語の解説を読みました(現代ビジネス、講談社、2020.02.09、「『ミソジニー』って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?」)。
江原由美子氏同様、私も、「ミソジニー」の訳として「女性嫌悪」と解説されるのに、
ずっと違和感を覚えていました。
訳としてはそうなんだけど、指していることはそれじゃない、みたいな感じ。

江原氏は、『ひれ伏せ、女たち ミソジニーの論理』(ケイト・マン著、小川芳範訳、慶應義塾大学出版会、2019)に依拠して「ミソジニー」という言葉の、より適切な解説をしています。

まぁざっくり言っちゃうと、「ミソジニー」とは、
①女性は男性に無償奉仕する存在である。
②それを拒む女性は罰してよい。
という男性の考え方。

一般に流布している「ミソジニー」=「女性嫌悪」だと、「女が嫌いなら女に関わらなきゃいいじゃん」という話なんですが、
ここで示される理解では、
「男性は女性の無償奉仕を必要としている(性や家事・育児や労働力、女性が自分を褒め称えること、常に自分の下に置いて優越感を感じるための対象としても)」のが前提で、
女性を支配して無償奉仕させる仕組みが「家父長制」、
家父長制に従わない女性を罰することでこの仕組みを維持しようとすること、という感じ。
だから女性を全滅させようとも思わないし、女性のいない国を作ろうとも思わない。
あくまでも女性を奴隷として支配し、それに抵抗する女性を処罰する。

この感じが、だいたい私が今まで感じていたことに合致します。

私は女性の身体で生まれて女性の自己認識をもっている(「シスジェンダー」)、
男性を恋愛対象とする人間ですが、
まぁとても恋愛が下手なようで、ずっと独り者。
恋人がいたことはありますが、男性のパートナーと生活をしたことはありません。

ただ、昔から電車の中で聞こえくる女性同士の愚痴や、
最近ツイッターで特に見かけるようになった夫のひどい有様、
あるいは私自身が電車の中など公共の場で男性から向けられる暴力的な威圧や逆切れ、
仕事や、重要な物事を行う中で「あ~これ私が女だからこういう扱い受けるんだぁ」というアレ、
自分より劣った男性から当然のように称賛を求められること、
なんかこっちが黙って話を聞く前提になっていること、などなど、、、
まぁ「ミソジニー」を上記の、ケイト・マン、江原由美子の解釈だと、まったくもってその通りだと感じます。
なので、私が「ミソジニー」に直訳ではない意訳をつけるとしたら、
「女性支配欲求」「女性搾取欲求」あたりになるかなと思います。

ただ一方で、こういうことって「男性が女性にする」だけではない。
もっとも、ケイト・マン、江原由美子も、
「ミソジニーを~(略)~『人を支配するためのシステムの一形態』として理解するべき」
としているので、「人を支配するためのシステム」のうちの「男→女」タイプが「ミソジニー」である、という考え方かなとは思いますが。

私個人が職場や公共機関の中で「女であるがゆえに男の下に置かれる苦しみ」として味わったもののほかに、
まったく同じ感覚をもたらすものが、私の場合は母との関係でした。

私の母は、典型的な毒親で、私も弟も長い時間ずいぶん苦しみましたが、
それでもやはり、「弟にはしないことを私にはする」という点で、
「加害的な男性が、男性には加害しないが女性にはする」というのを事あるごとに
体感していました。

基本的には私は母をとても愛していますが、
それでも私も人間なので、心にも体にも限界があります。
私が長年極度に虚弱体質かつ、うつ病が人生の友達ぐらいに心の問題を抱え続けていたのは、母との関係性の問題も一因としてあります。
もっとも私の霊感体質というか世間的に理解されにくい要素による問題もありますが。
ちなみに私の霊感体質は、母方の遺伝(笑)母も祖母もそういう体質。父方はよくわからないけど、父個人はそういう性質は全くなし。
もう一つ付け加えると、母は、祖母から虐待を受けて育ちました。
私は20代の前半で、私と母との葛藤は「虐待の連鎖」によるものだと学び、私の代でこの連鎖を断ち切るまでは、私は自分の子供を持たない、と決意しました。
まぁ当時はこんなに長くかかるとは思っていませんでしたが。
もっとも私が心の傷を癒して成熟した心を育てること以外にも、
社会的な要因による打撃や経済状況など、いろいろな要因があってのことですが。

私が母との関係で本当に苦しんだのは、
母は私を自分の満足のための道具として使うのですが(暴力的な言動をすることも含みます)、「私に対してどんなことをしても、私が母を愛して大切にし、いつも感謝する」ことを当然のこととして行動する、という点です。
なんか最近、パワハラ、モラハラ、DV夫のことを訴えるツイートを見ていると、
「あ~、まったく同じだなぁ」と思い、自分が鬱になって寝込みます(笑)

ほかにも私自身人生をかけてやってきたことを、ミソジニーによって男性にぶち壊され、
キャリアも収入も途絶えたことが何度かあります(実は今も数年前に起こったそれで壊滅的な打撃を受けて、軌道修復の途上です)。
なので、東京五輪の開会式、MIKIKO氏の件は、とても他人事とは思えませんでした。
そういったことが感情的に処理しきれなくなり、私も本当に「男性のいない世界に行きたい」と思うことがあります(これは典型的な「ミサンダリー=男性嫌悪」)。
一方で母のことやほかのそういうことをする女性のことも思い出し、
「いや、他人を利用する人のいない世界に行きたい」と思い直したりします。

先日もそのことで思い悩みながら眠り、翌朝目覚める時にその痛みと同時に
ある一つの漫画作品が思い浮かびました。
萩尾望都著『半神』(小学館)。
16ページの短編なのですが、ものすごく示唆的で、野田秀樹氏が舞台化もしています。
(これも今手元になく、記憶で書いていますので、細かいところ違っている可能性があります。すみません。)

【以下ネタバレです。これから作品を読みたい方は注意】

腰のところでつながった状態で生まれた一卵性双生児のユージ―とユーシー。
妹のユーシーはとても可愛らしく誰からも愛される外見だが、知的障害を持っている。
姉のユージ―は頭脳明晰でしっかり者だが、「しなびたキュウリ」と評される外見をしている。
ユージ―は常にユーシーを支え、食事をとらせたり、危険がないように世話をしているが、自分の苦労はよそに、愛らしい外見のユーシーばかりがチヤホヤされることを苦々しく感じている。
二人が成長するにつれ、ユージ―は体力的にユーシーを支えることができなくなって衰弱してしまう。そして医師は、ユージ―とユーシーを切り離す決意をする。
「二人は一体でないと生きていけないのではなかったのですか?」と問うユージ―に、
医師は、ユーシーは自分で栄養を作り出すことができず、これまでユージ―の内臓が二人分の栄養を供給すべくフル回転していたが、それが限界に達してしまったこと、このままではユージ―が衰弱死することで二人とも死んでしまうが、今なら二人を切り離すことでユージ―だけは助かる可能性があると告げる。
そして手術は成功し、ユージ―が少し回復したころに、ユーシーが間もなく死ぬことを告げられる。
ユーシーに面会に行ったユージ―が見たもの、「あれは自分ではないのか?」
自分そっくりにやせ衰えた妹が、涙を浮かべて骨ばった手を差し伸べるのを見て、ユージ―は混乱する。そして、妹の死。
数年後、回復して美しく成長したユージ―は進学し、恋人もできて、生きることを楽しんでいた。
しかしある夜、鏡に映る美しい自分に、妹の姿を見出す。
死んでいったのは、自分ではなかったのか?あれはいったい何だったのか?
自分と妹とは、いったい何だったのか?
誰よりも愛していたよ、お前を。
憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよ、お前を。
私の半身。半神。

この感情に、答えはありません。
そして今、私が感じているものも、これなのだと思いました。
私から栄養を取ることで生きてきたもの。私が生命を支えていたもの。
そして、私の生命を吸い取りながら、すべての称賛を我が物にしていたもの。
私と母との関係であり、私と男性社会との関係であり、多くの女性と多くの男性の関係であります。
そしてもう、私も、多くの女性も、疲弊が限界に達し、自分自身の生命さえも危うくなり、自分が支えていたもの諸共に破滅するところまで来てしまった。
だからもう、切り離すしかないんだ、と。
そして、憎しみもかなわぬ程に憎みながら、何よりも愛していたと、答えの出ない感情に涙すること、私は、この人生でこれを体験したんだと、思いました。
以前、上橋菜穂子著『鹿の王』を理解できなかった人に驚いたことがありましたが、
こういう痛みも、体験しないと理解することができない類のものなのでしょう。

もっとも、『半神』はあくまでも漫画作品であり、
こういう強い感情を引き起こすための極端な設定のフィクションです。
現実の、女性を搾取する男性であれ、子供を搾取する親であれ、あるいはほかの形の搾取をする存在であれ、自分の内臓で自分の栄養を作れるし、自分で自分の感情を満たすことも、精神的な治療も肉体的な治療も受けることもできます。
搾取対象である女性や子供に切り離されたからといって、死にはしませんし、他人を搾取しない生き方に変える必要があります。

私はこういう風に感情が強く動くと、体調も連動して乱れるので、
鍼の治療に行き、鍼の先生にもこの話をしたのですが、その時、
「もう支えられないってどういうことですか?」と聞かれました。
その時に私は以下のように答えました。

例えば演劇公演をやる時というのは、すべての人がそれぞれの役割を精一杯果たすことで良い公演になるのであって、けっして「看板役者」が偉いわけではない。
そのことがカンパニー内できちんと理解されていれば、「看板役者」の写真がデカデカと載ったポスターで宣伝し、「(看板役者の)〇〇さんのお芝居を観たい」と世の中の人が集まってくることに何の問題もない。全スタッフの写真と名前を均等に載せた宣伝素材を作る必要はない。
けれども、「看板役者だから偉い」「演出家だから偉い」「プロデューサーだから偉い」とか勘違いしている人が時々いて、そのようにふるまうことがある。
それが私の母とか、問題行動をする世の中の男性や世の中の仕組み。

立場上、「花を持たされる人」というのはいる。
それぞれが何をしているかがきちんと理解され、尊重されているのなら、
私が花を持たなくてもいいよ、という立場でやってきたが、
「花を持っている自分だけが偉い」と勘違いして傍若無人の限りを尽くす人の場合は、
こちらも人間として存在しているので、精神的にも肉体的にも限界があるよ、ということ。

まぁそうは言っても、そう思ったとたんに、
男性も私の母もマウンティングしないと生きて行けない女性も存在しない並行世界とかに移動できるわけではないので(笑)、今できるのは心の線引きでしかありませんが。
ただ、私が時間をかけてやっていること、やりつつあることは、その方策の一つではあります。

そのうちの一つは、信頼関係を築いている女性に直接お金を払うこと。
私は今、医療のメインを鍼灸治療にしていますが、もうかれこれ15年くらいお世話になっている女性の先生です(もともとは大学時代の友人のお姉さん)。
それからオンラインでレッスンを受けているバレエの先生。コロナ前はスタジオでレッスンを受けていましたが、今は先生個人のオンライングループレッスンを受けて、先生に直接お支払いしています。
あと、美容院も20年以上同じ女性の美容師さんにお願いしています(近年は私の経済状況が悪いので、ロングヘアにして年1回しかカットしていませんが(笑))。
私はもともと「人につく」タイプなので、自分に合うなぁと思うと、長くなります(笑)
あと私自身が作ったものを売るようになってからは、個人の作家さんのものをよく買うようになりました。ちょっとしたアクセサリーとか。
それと、以前は臆病で食事をするのもチェーン店ばかりでしたが、いつからか、個人経営のお店でオーナーさんやスタッフさんと会話を楽しみながら食事をするようになりました。

生活全般を賄うのはまだとてもできない状況ではありますが、
少しずつ、女性や信頼関係を築いている人・団体、個人で活動している人に支払う割合を生活の中で増やしていこうと思っています。


そして、私自身が、怒りや悲しみに負けてしまわないために、以下のことを。
先ごろ、川沿いの桜を見にのんびりと散歩をしました。
その時に、私の前を、車いすの女性と車いすを押す男性がゆっくりと進んでいました。
お二人とも年配で、女性はいろいろ辛そうな感じで、男性が細やかに気配りしていました。
ご夫婦なんだろうな、と思いました。
奥様をとても愛していて、少しでも良い時間を、少しでも長く一緒に過ごしたいんだろうな、と感じました。
本当に愛を知っていて、一生懸命大切にしている人は、いる。
もちろん私の知人でも、長年奥様を愛し家族を大切にしている男性は何人もいる。

アンチ・フェミの人に二次加害の口実を与えるためではなく、
私自身のために、
「Not all men すべての男性が悪い男性なのではない」、
この満開の手前のひそやかな桜の下を行く車いすの女性と男性の姿を心にとどめ、
自分の怒りと悲しみを癒したいと思っています。


2021年4月5日月曜日

#東京五輪開催反対

 #東京五輪開催反対

日本の政治や社会の様々なことに怒りと悲しみを抱いています。
ずっと自分の怒りや悲しみの感情が強すぎて、文章を書くことが追い付かず、
時事問題を記事にすることができずにいました。
今、反対の気持ちだけ、表明します。

自分が強ければ何をしてもいい、という価値観。
そういうもの全体に私は反対します。
金と権力と暴力を振りかざして、自分の欲を押し通そうとするやり方すべてに、
私は反対します。

日本の政治も、ミャンマーの虐殺も、本当に間違っています。

すべての人の生命と尊厳、それが一番大切です。
心が痛くて、言葉が出てきません。
子どもが書くような文章しか出てきません。

世の中が良い方向に根本から変わっていくことを願って、
時間をかけて丁寧に文章を書いてきましたが(単に長いだけともいいますが)、
私は感情が強く動きすぎるので、
今書きかけているいくつかの文章をアップすることができないかもしれないと思い、
今この時、言わなきゃいけないことだけ言っておこうと思いました。

人が根本から変わり、社会の仕組みがきちんと変わるには時間がかかります。
でも、今すぐ止めないといけないことが、あります。
東京五輪も、ミャンマーの虐殺も。
根は同じです。

韓国が朴槿恵政権を終わらせ、文在寅政権によって良い方向へ進んでいくと思われるように、
アメリカがトランプ政権を終わらせ、バイデン政権によって良い方向に進んでいくと思われるように、
日本も自民党政権を終わらせることで、少し時間はかかっても今ならまだ、
今までとは違うもっと人間らしい文化的な世の中を作っていけると、私は信じたい。
こんなに人の生命を軽んじ、人の尊厳を軽んじ、人の生活を軽んじ、踏みにじり続ける、
こんな社会は私は嫌だ。
こんな世の中を変えたくて長い間様々な形で活動してきて、何一つ実を結んでいないし、
自分個人のことも何も成し遂げられていない私だけど、
それでも、人の生命を、尊厳を、生活を、こんな風に踏みにじる社会は私は嫌だ。
今は、そのことだけ、表明したいと思います。