日本では長年続いていた問題が様々な形で表出して、
日々辛い思いをしています。
が、その一方で、「こういうのが良い」「良いものは良い」というネット上の反応も
たくさん見るようになりました。
日本の社会はたくさんの問題を抱えており、それらが噴出しているけど、
でも、私たちの心はまだ壊れていない。
そして、現状にたくさんの過ちがあるからこそ、
たくさんの人が「どうしたら良くなるのか」と真剣に考えているということを、
今、目にしています。
そういうものを、少し拾ってみたいと思います。
*******
しばらく前にツイッターで、地方の巨大な駐車場の上に、ソーラーパネルが設置されている写真が流れていました。
ソーラーパネルが屋根のようになっていて、ツイッター発信者の方が、
「車が熱くならないという意味でも良い」というようなコメントをつけていました。
これに万単位の「いいね」がついていました。
原発をやめて、エコロジカルな発電で電気を賄いたい、とたくさんの人が望んでいます。
でも日本ではお金や権力を持っている人の中に、根本的に物事を理解できていない人が多く、「これからは太陽光発電だ」と言えば、豊かな山を切り開いてはげ山にして太陽光パネルを設置するような業者もいます。
お金も権力もない庶民は、「そうじゃない」「違う違う」と思いながら自分ではどうすることもできない……という状況がありました。
そういう中でこの巨大駐車場の屋根をソーラーパネルにした写真に、
たくさんの人が「こういうことが正しい!」「こういうことをやってほしい!」と
喜んだのだと思います。
もっと以前には、使われなくなった飛行場の滑走路にソーラーパネルを設置している写真も流れていました。
こういう「すでに更地になっているところ」で「使われずに放置されているところ」に
ソーラーパネルを設置するというのは、とても良い方法だと思います。
山や緑地には、そこでしかできない自然の役割があります。
人間が生きる以上、宅地や畑、工場や商業施設など、自然を破壊して作らなければならないものはある。
でも、それ以外のところはできる限り、自然のままに残したい。
破壊してしまった後で、それがどういう役割を果たしていたのか、私たちは理解することができない。同じものを同じように再生することもできない。
すでに人間が入って人工物を作ってしまったところで、太陽光発電をした方が良い。
たくさんの人たちがそういうことをわかっていて、でも自分たちで大規模発電施設を作れる財力を持たないからこそ、歯がゆい思いをしていた。
本当にエコロジカルなエネルギーを望んでいるのに、思い違いをしている金持ちが山を切り崩し自然破壊して作った太陽光発電施設をエコロジカル扱いしていることを、本当に腹正しく思っていた。
そういう思いが、これらの写真に万単位の「いいね」という形で現れたのだと思います。
私はずっと東京(の田舎と下町)で生活していたので、地方の土地の感覚があまりわからないのですが、ツイッターで流れていたように、地方に平地の巨大な駐車場があるなら、太陽光発電にうってつけだと思います。
都市圏の立体駐車場でも、うっかり混んでいて屋上までくると日差しがきつくて車が熱くなって困るので、すべての駐車場の屋根にソーラーパネル設置を義務化してもいいくらい。
というか国の政策として、商業施設や工場、一般の住宅も、設置可能な形状の建物にはすべてソーラーパネルを設置するように税金で賄い運営するべきだと私は思います。
上下水道や電気の配線と同じレベルで、ソーラーパネルの設置と管理を運営するべきだと思います。
もちろんこういったことは、現在の自民党・公明党政権(維新も含む)では不可能なので、政権交代した後の話ですが。
農地の上にソーラーパネルを設置している方もいるようで、作物の種類や地域によっては、そういうことも可能なのかもしれません。
また、今回のオリンピックで問題となった東京湾の水質汚染、東京の下水道の仕組みに起因するものです。雨水の量が多くなると下水に合流してどちらも東京湾に流れてしまうような仕組みになっているそうで、東京の配管設備が古く現在の気候に合っていないことが原因のようです。
これも、公共事業として東京の下水道設備を一新し、合わせて雨水の配管には小水力発電を設置するといいんじゃないかと思います。
晴れの日には太陽光発電で、雨の日には小水力発電でそれぞれ発電できるようにすれば、より安定した発電ができるようになるんじゃないかと思います。
こういう大規模な公共事業をやることで仕事を作り出し、かつ、問題であった東京湾の汚染を改善し、よりエコロジカルな発電もできる。
これも同じく自民党・公明党(+維新の会)政権を終わらせて、政権交代した後の話です。
また、「お店のレジ打ちを立ってやるのではなく、座ってやるようにすれば、
立ち仕事がつらい人や車いすの人でも仕事ができて良いのではないか」というツイートも、
半年に1回くらい流れてきて、それらも万単位の「いいね」が付いています。
そもそもレジを立ってやるのは日本くらいのものだそうで、
海外では座ってやるのが主流のようですね。
正直、あんまり「立っている」ことに意味はないように思います。
まぁお店の形態にもよりますけども。
一人で切り盛りしていてお店の隅々まで見渡す必要がある、とか、
コンビニのように後ろや横の棚からいろいろなものをもってこないといけない、とか、
そういうところは立ってやればいいだろうと思います。
どういうわけか、自分の仕事を「座ってでもできる価値の低い仕事」扱いをされたと言わんばかりに怒って反論してくる人が毎回いるのですが、
それは「店舗の形態による」というだけの話じゃないですかね。
スーパーやドラッグストア、ある程度規模の大きい販売店だと、
たいていレジが複数台あって、
お客さんがいない時でも一人は必ずレジに立つことになっているじゃないですか。
私は昔、無〇良品で販売員をしていたことがあったんですが、
「1レジ」「2レジ」みたいな感じで担当決まっていて、
「1レジ」担当は必ずレジに張り付き。
で、レジが混んできたら他のレジ担当を呼び集める。レジの混雑が終わったら、
「1レジ」以外は売り場整理に戻る、みたいな感じ。
見ていると、少し規模の大きいところはどこもそんなやり方していますよね。
その「1レジ」を、立ち作業が辛い人が担当できるようにすればいいんじゃないか、という趣旨で流れているツイートだと思います。
あと「立っている方が礼儀正しい」みたいなよくわからない理屈をこねたがる人もいて、
「あなたは買い物をするときに『立ってやるレジの店』と『座ってやるレジの店』とどちらを選びますか」みたいな反論の仕方をしてくる人もいるのですが(これネトウヨの人たちがよく使う反論の構文です)、そんなもん座って気持ちよく働ける店がいいに決まってるじゃん、と私は思います。
別に目の前の働く人が苦しむことを求めているわけではないのですよ。
ただ、必要な物を買うのにレジでお金を払う必要があるだけで。
召使も奴隷も必要ないです。
お互いが必要なことをするために、お互いが気持ちよくできる状況であればいいだけです。
働きたいと思う人が、働ける機会がたくさんあった方がいい。それだけの話です。
そしてそう感じている人がたくさんいるからこそ、この手のツイートに万単位の「いいね」が付くのだと思います。
(一方で、今回のテキサスの法整備で明らかになったように、自分が虐げることができる奴隷を必要とする人たちがいます。日本のネトウヨや一部の人たちもそうです。そういう人たちは精神的な治療が必要です。これまで日本では「被害者(外傷を受けた人やうつ病患者など)」に対する治療しかしていませんでしたが、本来は「加害者」の治療をするべきです。)
またどこかのスーパーでは、「ゆっくりレジ」という仕組みを作ったところがあるそうです
。
もともとは敬老の日だかシルバーウィークだかの単発のイベントとして作ったようですが、
お年寄りがお財布を出すのに時間がかかったり、小銭を出すのに時間がかかったりするのを、「気にしないでゆっくりしていただいて大丈夫ですよ」というレジだそうです。
そして、「少しおしゃべりされていっても大丈夫ですよ」というものだそうです。
これ、素晴らしいですね。
日本のスーパーの仕組みは、お年寄りには冷酷です。
お財布がどこにいったかわからない、小銭をうまく取り出せない、そんなこと歳を取ったら誰にでも起こりうるでしょう。
そして、昔の個人商店ではあったような、日々の挨拶やちょっとした世間話がない生活は、あまりにも無味乾燥していて、お年寄りどころか、私にだって辛いです。
レジに時間がかかっても、後ろの人がイライラしない仕組み、とても画期的だと思います。
この仕組みは、好評だったのか、期間が終わっても午後の一部の時間でこれからも続けるとのことです。
どこの地域での取り組みなのかわかりませんが(ツイッターで流れてました)、この仕組み、いろいろな地域で広がってほしいです。
もちろん、忙しくてレジを少しでも早く済ませたい人もたくさんいます。
だから、海外では一般的な「商品数が少ない人用のスピーディレジ」と、「一般レジ」、「ゆっくりレジ」を用意すれば、いろいろな人が幸せにお買い物できるようになるのではないかと思います。
竹中平蔵や自民党議員やその利権関係者に流れるお金を「なくして」、
こういうレジにきちんと人件費を払って仕組みを作れば、私たちの社会は本当に良くなります。
そしてもう一つ、「ビッグイシュー 414号」に掲載されていた記事から(『約700種の食品、すべて個包装せず量り売り 容器持参の「ゼロウェイストスーパー」オープン』 2021.9.1)。
できるかぎりのごみ削減を目指して商品すべてを量り売りする「斗々屋」さんというスーパーが京都にできたそうです。
こちらは画期的な計量技術が用いられていて、「量り売り」にまつわる「計量が大変」とか「時間がかかる」という難点を解決し、1時間に100人分のレジができる仕組みが導入されているのだとか。
この技術面を支えたのが、計量器メーカー「㈱寺岡精工」。
斗々屋の量り売りのモデルショップが、東京にオープンしたことを新聞で知った同社会長が訪問し、
「そこで若い方々が量り売りの普及に取り組んでいる姿を見て、量りを作ってきた会社の人間として非常に胸を打たれたんです。これはぜひ一緒に活動したいと、押しかけ営業してしまいました(笑)」(p.23)
とのこと。
この斗々屋さんを運営する㈱斗々屋は、そもそもフランスで料理を勉強した梅田温子氏が、日本向けにオーガニック食材の卸をはじめ、環境に配慮した商品だからごみ問題にも取り組みたいと、量り売り専用の卸事業を始めたものだそう。
少しでも世の中を良くするやり方をしたいと試行錯誤する人に感化されて、
こうしていろいろなジャンルの人が合流し、新しい仕組みが生まれる。
日本の社会の、政治の、ひどい状況に疲れて心が動かなくなっていたところ、
この記事を読んで本当に救われました。
こうして、世の中を良くしたいと試行錯誤している人たちは、いろんな分野でいる。
そして、その心意気に感化されて、協力を申し出る人たちもいろんな分野でいる。
まだまだ、変えていけるはず。
私たちの社会を良くして行けるはず、と勇気づけられます。