2021年5月5日水曜日

座布団を編んでみた

編み物をタイトルにしているブログなんですが、
ずっと編み物の記事を書いていませんでした。
というか、ちょっと感情の許容量をオーバーしてしまって、
時事を記事にするのが辛くなってきました。
少し、編み物のこと書いてみたいと思います。


編み物はずっと何かしら編んでいたのですけども、
商品の試作品とか、古糸使った家庭用品とか編んでいたので、
ブログ向きのものがあまりありませんでした。

今回編んでみたのはこちらの座布団。青と紫、各2枚ずつ。



学校の提出課題とか販売用商品は、必ず仕上げアイロンするのですが
(商品の場合は洗いも)、
古糸使った家庭用品なので仕上げアイロンしておらず、
あっちこっちゆがんでおります。
見苦しくてすみません。

レシピはこちら。
『決定版 人気の手編みざぶとん』(著:橋本真由子、朝日新聞出版、2018)の
「バスケット編みのざぶとん」。



編み物学校の課題で、とにかく期限内に提出してハンコもらうためだけに作ったものが
少なからずありまして、
そういう「この先ぜってぇ着ない&使わねぇな」っていうものをほどいて、
糸再生して編んだものです。

まぁ資格取得を目的とした学校通いだと、
どうしても時間的&能力的な限界からくる妥協作品って発生するとは思うんですけどね。
そういうのほどきました。
試し編み用の半端糸とかは、つないで家用の靴下編んだりもしました。

で、この座布団の本、本屋さんでたまたま見かけて、
あんまりかわいいんで買っちゃったんですが、なんか今流行っているみたいですね。
「花座布団」とか言って、お花畑か花束かみたいな、バラやらカーネーションやらの
麗しいお座布団がたくさん掲載されています。
花座布団は見ている分には心ときめくのですが、私が家で使うにはちょっと主張が強すぎ(笑)
ま、お若い方が、ごくごくシンプルな家具に花座布団をメインにしてお部屋作りをなさるには、素敵だと思いますよ。
私は残り糸で実家のダイニング用にと思ったので、一番シンプルなものを選びました。


で、今回、この座布団編んでみていろいろ気づいたことがあります。
まず、この本に掲載されている麗しのお座布団、
みんなアクリルの極太糸で編まれています。
まぁこの手の編み物本は、毛糸メーカーの協賛というか宣伝でもあるので、
「うちのこの糸で可愛いもの作ってください」みたいなことになるんでしょうがないんですけどね。
あと、アクリル糸は、ウール100%よりもはるかにお安いし、発色も良いので、
特に若い方に需要があるのは致し方ないのかな、と思ったりはするんです。

ただ、なんかもう、アクリルとか化繊をあえてわざわざ生産するのって、どうなの?と
私は思っちゃうんです。
環境汚染のマイクロプラスチックとかって、化繊のもの洗濯しても出るんだそうで、
今まで作っちゃったものは仕方ないにしても、これから生産するのは減らしていこうよ、
と私は思います。
(もちろん靴下とか強度が必要なものには少し化繊が入っていた方がいいとか、
ラメとかモヘアとか特殊なデザイン上の都合で発生するものは、あまり否定しませんが。)

私は毛糸の中古サイトで、すごく高品質な工業用糸を仕入れていますが、
そういうサイトでは、アパレルメーカーの残り糸のほかにも、
個人の方の古糸なんかも大量に扱われています。
海外のレア糸買ったけど編まなかったから出品します、とかもありますが、
編み物好きだった母や祖母が持っていたもの、みたいな感じで、
すごい年代物の糸がゴソッと出てきたりします。
あと店じまいする手芸店の在庫品とか。

私が見ている分には、そういう大量の中古糸にも結構買い手がついているので、
まったく売れないっていうこともないのだろうけど、
多分、「中古サイトで売ればいいよ!」という発想のないご家庭とかで、
いまだに死蔵されている毛糸もたくさんあるんじゃないかと推測します。

いやまぁ何が言いたいのかというと、
座布団とか家用靴下とかそういう「余所行きアウター」じゃないものって、
こういう中古の糸で作ったらいいんじゃないの、という話です。

長年の間違った政治によって、日本は本当に貧しくなってしまって、
何でもかんでも100均で売っています。
椅子用の座布団とかも売っているんですが、
そういうのってもっと貧しい国からの搾取なので、
そうじゃないやり方をできないかなぁと、常々思っていました。
まぁお金持ちの方は、きちんとしたもの作って売っているところで、
きちんとしたお値段のものを購入していただければいいと思いますが。

お座布団に限った話じゃないんですけど、
日本が貧しくなったとは言え、日本国内にまだ過去のストックってすごくあるのね。
私が仕入れている工業用糸の半端品とかも、
「うひょ~!!!」と思うほどのとんでもねぇ高級品出てきます(血圧上がりますわ、そういうの見ると(笑))。
このコロナ&オリンピックの失敗で今後日本がどうなるのかわかりませんが(この手の高級品扱っている一流ブランドが日本から手を引いてしまう可能性もあります)、
なんかそういうのを国内でうまく回していくと、
私たちが貧しいからと言って、さらに貧しい国を搾取することを減らしていけるのではないかと思ったりします。
貧困の輸出という言い方したりしますね。

ただこれって時々ネットで炎上する案件でもあるのですが、
本当の貧困とは創意工夫するための土台がないということである、という部分に触れます。
つまり、私の言う「中古糸をみんなで活用しよう!」みたいな話も、
「編み物を習って何かを作れるようになる教育を受ける余裕がない」のが本当の貧困なんだ、ということです。
「コンビニ飯食ってないで、自炊して節約しろよ」というマウントに対して、
「実際の貧困とは、料理を学んだり、調理器具を用意したりする経済力がなく、
最低賃金で働きどおしのため、自炊するための時間や体力を確保することもできない状態である」ということです。

私もそれはわかっているので、
あくまでも、自民党政権を倒した後、社会を根本から作り変える段階で、
どういう方向に社会を構築していくかという青写真の話として
こういったことを書いています。


あとこれも似たような話なのですが、
先日、ネル生地を使ってパジャマ用ズボンを何本か作りました。
私は冷え性&汗っかきで腹圧が弱い(女性に多いです。虚弱体質だとそうなりやすいです)ので、固くて吸収性のない生地やゴムのズボンが苦手。
スカートも冷えが入るし掃除とかの作業がしにくいので、結果的に家で作業をするときは、パジャマのズボンにウィンブレパンツを重ねてすごすことが多くなりました。
で、パジャマのズボンだけ傷みが早いので、じゃぁズボンだけ作ればいいんじゃね?というわけで、すんごい久々に裁縫をやりました(笑)

で、布を裁つところからやってみて思い出しました。大量に端切れがでることを。
まぁ今回のパジャマズボンは、端切れ最低限にすべく、だいぶギリギリの裁断をしましたけど。
思い起こしてみれば、子供の頃、母の足踏み式ミシン(今も現役のブラザーミシン。結構レアもの(笑))を開けるたびに、母がビニール袋いっぱいに端切れを保管していて、
子ども心に「こういうの捨てればいいのに…」と思っていました。
コロナ前は和裁を習いたいと思っていろいろ検討していたのですけど、
洋裁はとにかく端切れ出ますね。
型がどうしても曲線というか、体やデザインに合わせて複雑な断ち方をするので。

私はキルト(パッチワーク)はやらないんですが、本来はこういう端切れ使ってキルトやるといいのになぁと、常々思います。
キルトってもともとは布が貴重品だった時に、古布や端切れを再利用するために生まれたものと聞いているのですが、今の日本のキルトは、あくまでも芸術的なというか、趣味のキルトが主流。
手芸屋さんでキルト用のカット生地がわざわざ売られているわけですよ。リバティとかの高級プリント生地が、キルト用に数十センチ四方にカットされて売られています。
見ている分には可愛くて「わぁ~この布使ってなんか作りた~い」みたいな気持ちにはなりますけどね。
まぁ、芸術性を追求するとか、好きなことを好きなものを使ってやる、というのは、
文化的活動として自由を保障されるべきだと思っていますが、
それとはまた別の、生活のレベルとしては、そういう「いろんなレベルで出る端切れ」を、
流通させて再利用するというのが根付くといいなぁという気持ちがあります。

「カオハガン・キルト」と呼ばれるものがありまして、
カオハガン島という島を買った日本人の関係者が、現地の女性たちにキルトを教えたのが始まりで、自然をモチーフにした独特な伸びやかさを持った作風のキルトとして人気があります。
私も大昔本で読んだのですが、賭け事くらいしか娯楽がなかった女性たちが、
古着をほどいたりしてキルトを作るようになって、みんなで木陰に集まって、
「これは〇〇ちゃんが着ていたTシャツだね」みたいな話をしながら、銘々キルトを作っている…みたいな美しい情景でした。
編み物学校(というか手芸学校)にも飾ってありました。
一昨年、あるイベントでカオハガンキルトが展示販売されているのを直接見る機会があったのですが、使っている布地がリバティ生地になっていて、「あれ…?」と思いました。
まぁ私と同じで「販売用の商品には新品の材料を使う」なのか、
たくさん作られているので「島民の古布使っていたのでは材料が足りない」なのか、
はたまた違う理由なのかはわかりませんが。

カオハガン島にはカオハガン島の事情があると思いますのでそちらは触れませんが、
これからの日本という意味では、新品のカットクロス使ったキルトだけではなく、
様々な形で発生する端切れを使ったキルト文化が、定着するといいなぁと思います。

私が大学卒業後初めて就職したのはぬいぐるみメーカーでした。
私は事務職でしたが、最初に国内工場での研修があって、生産の現場を見学しました。
その時生地を裁つ裁断機のことも説明を受けたのですが、
生地を無駄にしないために、たくさんの金型を複雑に組み合わせて並べ、一気に布を裁つというやり方をしていました。
それでも端の方とかは、捨てなきゃいけない生地はどうしても出ます。

ぬいぐるみはパーツが複雑なのでアパレルとはまた違うのかもしれませんが、
アパレルだとどういう形のどういう量の端切れが出るんでしょうね。
私が今回作ったネルのズボンは部屋着なので、柄を気にする必要もなく限界いっぱい布地使いましたが、それでも多少出た残り布で布ナプキン作りましたし、布ナプキンにすらならない端切れも残ります。

以前見たNHKの番組「新日本風土記」では、北前船の航路についての回で、
関東から古着としても売れない古布が北前船で東北に運ばれ、
その古布を裂いて織る「裂き織り」というものが紹介されていました。
そうやって古布を裂いた長い端切れを織機で織って分厚い布地にして、
半纏のような防寒着を作るというもので、現在もその文化を保存している会が活動しているということです。
その会の方々は「裂き織りは究極の『ボロ着』です」と仰っていました。
まぁ現代人は「ボロ」とか「ボロ着」とか言う言い方もあまりなじみがないかもしれませんが、かつて人々が野良着としていたもの、ほつれたり破けたりしたものを真っ赤な糸で補修したりして着ていたものを、文化的に検証した本とかあります(『木綿口伝』という本で実家の物置のどこかにあるんでそのうち発掘したいのですが…)。
補修に使った赤い糸のステッチとか、庶民の生活の中の工夫や文化が垣間見えるものであるそうです。
惜しむらくは、ボロ着を着ていた方が「こんなものを他人様に見せるのは恥ずかしい」と、調べに行く前に軒先で焼いてしまったりすることが少なからずあった、ということです。

キルトしかり、布が貴重品だった時代に、こうやって最後の最後まで大切に使っていたということでしょう。

さすがに現代は、もっと手軽に布地を入手することはできますし、
私も破れてしまったような古布は、台所の油拭きや掃除に使ってしまいますが、
それでも、今日本で布が安く手に入るからと言って、新品のものまで無駄にするのはどうなんだろう、と常々思います。

無印良品やユニクロでも新疆綿(ウイグル綿)を使っているようですが、
じゃぁほかの地域で生産された綿が、搾取が発生しない状態で作られたものかというとそうとも限らない、というツイートも流れていました。
その昔、ゾマホンさんも著書の中で、ベナンの綿花の収穫風景の写真を紹介し、綿花は1kg 100円だと「でも本当は1000円ね、1万円ね」と語っていました。
無印が悪い、ユニクロが悪い、ということではないのだけど、今の私たちの生活は、こういうことに支えられているのだと、常々思います。

じゃぁ今私たちが綿花を栽培して日本人が着るものすべてをまかなえるのかと言ったら
不可能なのは目に見えている。
だからせめて、ほかの国から分けていただいた資源を、無駄にしない使い方ができないかと、思うわけです。
私たちが「無駄なく使い切る」ことができれば、もっと高い値段で原料を買っても、
国内で十分使いまわせるのではないかと、私は思います。
端切れだからと捨ててしまえば、その分ほかの布地を仕入れなければならず、その分安く買いたたくことになる。
でも端切れを流通させて、工業製品じゃない形で、個々人が趣味のレベルででも生活用品として活用すれば、その分余計な材料をほかの国から買い入れなくて済むようになる。

別にキルトに限ったものではなく、端切れを使って何か使えるものを作る文化、
もっと発達してもいいんじゃないかなと思います。

私は裁縫やらないんで布地とかの中古サイトは見ていないんですが、
アパレル向けの工業用糸扱っている業者さんで、布地も扱っているところもあるようで、
レース地とかも工業用の残りを中古サイトに出している業者さんもいます。
もっと一般的には、オカダヤさんとか普通の手芸材料店で、布地の切り売りしているところでは、もうメーターで取れなくなったような残り地を、端切れとしてワゴンセールしていたりします。
裁縫方面あんまりわからないのでアレですけど、そういう端切れの組み合わせのテディベアとかも可愛いと思いますし、ぜひ芸術的センスの高い方に、そのあたりのジャンルを開拓していただきたいなぁと思ったりします。
(ぬいぐるみのメーカーにいたので、テディベアについては、私はいろいろ思うところあります(笑))

カオハガンキルトにしても、もともとは島民の女性が賭け事しか娯楽がないところへ、
キルトを教えたらみんなが楽しんで作って、それが高い評価を受けた、というものなので、
別に端から売り物にしようとか、人から絶賛されるものを作ろうとか思う必要ないと思うんですよ(現代のSNS文化の弊害です)。
「テレビを観るしかない」とか「スマホを見るしかない」状態が、
「手を動かして何か作るの楽しいよね」になれば、充分意味があるんじゃないかと私は思います。
以前新聞で読んだのですが、貧困家庭の児童向けに手作りのプレゼントを贈る活動をしている方が、「パチンコしかやることがなかった母が、活動を知ってプレゼントを手作りするようになってから、見違えるように活き活きして元気になりました」というお礼状を頂いたこともあったそうです。
共働きで子育て真っただ中(シングルマザーはもちろん)な方はのんびり手作りを楽しむ余裕なんかないとは思いますが、リタイヤした時、ドロップアウトした時、それぞれにできることを楽しんでやることができるというのは、生きがいにもつながるのではないかと思います。

私も子供の頃にやっていた編み物を再開したのは、うつ病で寝たきりになったからでした。
私はたまたま編み物が性に合っていたようで、生きる気力もなかったのが(というか自殺する気力がなかった)、どんどん面白くなっていって、より複雑なものを作っているうちに、少しずつ元気になっていました。


だいぶ長くなってしまったので、いったん終わりにしようと思いますが、
こういう生産現場で廃棄されるもの、各家庭で死蔵されているもの、
そういった「その人・その現場にとっては廃棄物」であるものが、
ほかの人にとっては「資源であり原料である」ということが往々にしてあります。
それらを生かす知恵や、廃棄物・デッドストックをみんながアクセスできるデータにして、
社会の中で生かす仕組みを作りたいなぁと以前から思っていました。
そういったこともまた別途、記事にしたいと思います。

2021年4月25日日曜日

自分よりも大きなものに寄りかかること

入管法改悪の件、数か所署名しました。
私は感情が揺れすぎるので文章化できないのですが、
端的に要点をまとめている方のツイート引用させていただきます。
(感情の揺れが収まったら、少しずつ文章にしていきたいと思います。)

mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.19)

「コロナ対策大失敗、ジェンダー不平等による人的リソースの持ち腐れ、軍隊的教育で抑圧され個性と自尊心を潰される子供たち、貧困な育児環境、小金持ち高齢者の不安と自衛による低消費、外国人の奴隷労働と殺人入管による海外からの不信と嫌悪。この辺て「人権」が守られてたらだいぶ解決するのでは。」


mipokoさんは、最近よく拝見させていただいているツイッター発信者ですが、
私が感情がこんがらがってわけがわからなくなっているような時にでも、
冷静に、端的に、要点を指摘してくださっているので、
とても尊敬しています。

私は感情の振れ幅が大きいので、辛いこと・苦しいこと・悲しいこと・怒りにも
ものすごく共振してしまい、自分が体調崩したりするので、
こういう風に的確に問題点を指摘してくださる方がいるととても助かります。
(私のこの共振・共鳴の性質は、喜びや楽しさでも起こります。
舞台芸術には必須の性質である反面、日常生活や世の中に問題があるようなときは、
非常に難しいものでもあります。)

*******

ネガティブな感情に負けてしまうので、少し時事からそれたことを記事にします。
時事からそれてはいますが、今起こっていることの根本的な原因でもあると思っていることを書きたいと思います。

「自分より大きなものに寄りかかること」、つまり「依存」についてです。

オリンピックがなければ、日本はここまで壊れなかったのではないか、
自民党が政権を取っていなければ、日本はここまで壊れていなかったのではないか、
あるいは日本の高度経済成長が、「男社会」によってなされていなければ…
といったこと、
なぜこうまで「間違いを認めて立ち止まることができないのか」ということについてです。

私が一番最初に「依存」という問題を意識することになった職場のお話です。

私が大学卒業後、初めて就職した会社はぬいぐるみ製造の会社でした。
私は専攻が文化人類学だったこともあり、現代社会や現代の文化に懐疑的で、
なんか人間の本質的なことに近い仕事を選びたいみたいな気持ちがありました。
今思うと、単に若くて世間知らずだったな、というだけですが。

当時は大学の就職課にあった会社案内と四季報だけが就活ツールだったので、
会社の実態を知ったのは入社後。
私の大嫌いなディ〇ニーのぬいぐるみが9割くらいを占めている会社でした。
入社直後は株式の店頭公開の準備をする部署に配属になりましたが、
その後あれよあれよという間に傾いて、店頭公開はお蔵入り。
私は入社2年目に一人暮らしを始めて、最初は家賃手当が出ていましたがそれもカット。
中国に生産の本拠地を移して国内工場はどんどん閉鎖。

しばらく私の持ちネタでもありましたが、
しまいにはボーナスが「ぬいぐるみの現物支給」になりました。
それも最新版の人気商品ではなく長期不良在庫品。
「7人の〇人」6人とか、同じのが2人いる7人とか、
そういうのがぎゅう詰めで段ボールひと箱。
挙句、「これは原価で2万円分の価値があります」ということで、
7月分の給与から、ボーナス分の源泉徴収として2千円引かれました。
実話です。
何年も後になって、新聞で現物支給は違法という記事読みましたけど、
当時は公認会計士がこれをやらせたみたいです。
ちなみにその現物支給品は、私の出身の保育園に、バザー出品用として送りました。

店頭公開準備の部署の上司も、「ぬいぐるみは利益率が高い」「作っても作っても間に合わない」と言っていましたが、
長く勤めていた先輩も、バブルの頃は「ディ〇ニーのぬいぐるみがおしゃれ」だったと言っていまいた。なんかソファーや出窓には〇ッキーのぬいぐるみが置いてあるもの、みたいな時代だったようです。
私はディ〇ニー苦手なのでそういう感覚わかりませんでしたが。
それでとにかく売れる、生産が追い付かない、どうやって生産量を増やすかだけを考えればよかった、と。

私が大学生くらいの時にはバブルはじけていましたし(厳密にはいつだか知らない)、
日本の流行も変わり始めて売り上げが下降線の一途をたどり、
ディ〇ニーからは「マーケティング部」を作って市場調査をし、売れるぬいぐるみを作るように、という指示が出ました。
それで部署は作ったけど、手法はわからず。売り上げも上がらず。
その当時まで長年独占契約を結んでいましたが、解除になり、ほかの勢いのあるぬいぐるみメーカーもディ〇ニー商品を作るようになりました。
このあたりで私が本格的に体調を崩して脱落。

生理痛についての記事でも書きましたが、私は大学時代から病院通いをしていて、
一人暮らしの通常の生活費の他に医療費もかさんでいたので、
本当にやりくりには苦労しました。
ただ、私は人生の一番最初にこの経験ができて良かったと思っています。
手取りがいくらだとどの程度の生活になるか、というのが、この経験のおかげでぱっとわかるようになりました。
その後実家に戻って渋谷に勤めるようになった時も、深夜残業が続く職場だったのですが、
当時の手取りで一人暮らしをすると職場に着ていく服が買えないのが目に見えていたので、最後まで実家から通いました。

まぁ、昭和感が色濃く残っていた会社でした。
私は水が合わず、体が腐っていくような辛さがありました。
良い時代のことを覚えているおじさんたちが、今の問題点も解決策も見いだせない。
上司は積極的にリストラをすることで銀行からほめられたと喜んでいましたが、
国内の工場を閉鎖したり、自社製品に思い入れを持っている配送部門が廃止になって外注したりすることについて、いろいろなことを見聞きしました。
あの時代どこの会社でも、遅かれ早かれ、大なり小なりそういうことはあったと思います。

ただ、あの会社について当時私が感じたのは、
ディ〇ニーという大きなものに、喰われてしまったな、ということです。
創業者のぬいぐるみにかける情熱によって、ディ〇ニーからの絶大な信頼を得たところから始まった関係でも、「ディ〇ニーさえ作っていれば売れる」ということを経験してしまうと、よほど強い人でない限り、寄りかかってしまうんだな、と。
そして「ひとたび」寄りかかってしまうと、「ぬいぐるみの現物支給」をするところまで落ちぶれるんだな、と。
私は苦労しました。家計のやりくりに苦労し、体調もさらに悪化し、自信もなくし、辛い思いをしました。
でも、社会に出て一番初めに、この、人間の弱さやずるさを見て、それがどんな結果を引き起こすかを身をもって経験できて本当に良かったと思いました。

その後いろいろ経て、渋谷にある舞台公演の企画制作の会社で、プロデューサーの下で制作として働くことになりました。
通常の演劇公演やコンサートなどの他に、日本舞踊や邦楽(お三味線やお琴など、人間国宝の先生方もいらっしゃる現場)のお仕事もさせていただき、本当に貴重な勉強をさせていただきました。

で、演劇公演などで俳優さんやアーティストの方などと接していていろいろ気が付いたことがありました。
大物の俳優・アーティストについているマネージャーさんなどのもちろんごく一部なんですけど、一定数、「何にもできない人」がいました。
大物の身近にいて、大物から必要とされていることだけが存在理由になってしまっている人。もちろん全員じゃなくて、一部です。
すごく独特な雰囲気なんですよ。すぐわかります。
舞台の現場は俳優・アーティストだけでなくスタッフも実力がすべてなので、
「ものすごく」異質です。
私は自分の中でそういう人たちを「腰巾着」と呼んでいました。
(会社にも厄介なお局様がいて、取締役の腰巾着で大変でしたが。)

そういう人たちも、本当に初めから自分の力が何にもなかったのではなく、
大物の近くにいて必要とされているうちに、必死で切磋琢磨しなくても生きられるようになってしまった。
そして自分の力を見失ってしまった。

ぬいぐるみの会社と同じだな、と思いました。

その数年後にも、私の人生の非常に大切な事柄において、
集団で腰巾着状態になってしまった人たちが、
私の止めるのを聞かずに誤った道にまっしぐらに突き進み、
壊滅状態になったこともありました。
(その時私は重度のうつ病になり、数年間自宅療養することになりました。)


自分よりも、大きな存在と、何かをする時。仕事でも、なんでも。
美徳とされている謙虚さとはまた違う意味で、
自分がその大きな存在を乗り越えてやる、というくらいの気概がないと、
人は必ず喰われてしまうんだな、と、私は何度も思いました。

向こう見ずとか無茶とも違うし、ネトウヨのイキリみたいなことでもないんです。
ただ、「大手と組んだから大丈夫」と思ってしまったら最後、喰われて終わります。
それは大手に悪意があるとかじゃないんです。
私はディ〇ニーが嫌いだけど、ディ〇ニーが悪意であの会社を喰い潰したとは思いません。
あの会社が、自分で自分をダメにしたのです。

私は何度もそういうのを見て、その被害を身をもって受けることも何度もありました。


今回のオリンピックについて、よく先の大戦と同じだということが言われていて、
「インパール2020(もう2021!)」などと揶揄されていました。

自民党はオリンピックを開催しさえすれば支持率を確保し、
今年の選挙で大勝できると考え、それ以外の道を考えることができませんでした。
安倍政権という醜悪な政権が8年も続いたのも、オリンピックによる利権が支えたからです。
そして政治にあまり関心のない日本人の多くも、
「オリンピックがうまくいけば自分も何となくうまくいくだろう」みたいな感覚だったのだろうな、と思います。
もっとも、政治に懐疑的な人たち、あるいは社会的に底辺にいる人たち(私)は、
「この政権のままオリンピックやったら日本終わるよね」と思い続けてきました。

そしてよく「肉屋を支持する豚」と揶揄されるネトウヨの人たち、
ネトウヨバイトの人もいるとの情報もありますが、
自分は一介の貧乏人でしかないのに、自民党の威を借るキツネになって、
政権を批判する人にことごとく暴論をふっかけています。
私は何年も前は、ネトウヨの人たちの考え方がまったく理解できませんでした。
自分が貧乏で不幸せで社会に怒りを抱えている人たちが、極左やアナーキズムに走るなら理解できるんです。
何故、現政権・自民党を支持するのか、まったく理解できなかった。
ただ単に勝ち馬に乗りたいだけ、優越感に浸りたいだけなんだということを理解するのに、
すごく時間がかかりました。
今この時の優越感のために自分の首を絞めているのに、そういうことは考えたくないんだろうなぁと今は思います。

自民党も同じで、オリンピックをしさえすればどうにでもなると思って、
真っ当なことを何もしないできたら結果的にオリンピックの開催さえも危うくなり、
無理やり開催したところであてにしていた収入はなく(税金で穴埋めしようとしているとは思いますが)、それでも止まれない。
止まったら責任を問われて「自分が終わる」から。


コロナ禍があるということを予測していたとかそういうことは全然ないけど、
自民党にこのままやらせていたら「絶対こういうことになる」と、
長い間たくさんの人たちが言い続けていたのに。
もう「だから言ったじゃん」と肩を落とし続けています。

海外の方々に対する非人道的なやり方、
日本人に対するひどいやり方、
自民党にやらせていたらこういう結果になると、わかっていたのに。

金と権力に喰われてしまって、人間であることを捨ててしまったんだなと思います。

私が、この人生で何度も何度も見たもの。
何度も何度も止めたのに、誰も聞かなかった。
そして、わかっていた結果になった。
その結果を目の当たりにして、私は身動きが取れなくなる。
心が固まってどうしていいのかわからなくなる。

今このひどい状況が、どこまでひどくなるのか、私は予測がつきません。
今ここで終わってほしいけど、
オリンピックをやってしまってさらにひどいことになるのか、
自民党でさえオリンピックをあきらめるほどのさらにひどいことが起こるのか、
あるいは人々の反対の声が何らかの形で届いて理性的にやめることができるのか、
今の私にはわかりません。

ただいずれにせよ、この後、壊滅的な状態から、社会を立て直す時間が必要になります。
私が一つ、希望を見いだせるとしたら、ルワンダが先例としてあることです。

ルワンダの虐殺の生存者であるイマキュレー・イリバギザ氏の『生かされて。』(著:イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン、翻訳:堤江実、PHP研究所、2006)を読んだ当時、
イマキュレー氏が生き残ったこと、そしてアメリカに渡り新たな人生を見出したことに、
心からの安堵を感じた反面、こんなことが起こってしまったルワンダは、
もう100年くらい壊滅的な状態が続くのだろう、と私は思いました。
ところが、数年前から、ルワンダがこの惨劇から復興を遂げているという情報を見るようになりました。住民総出でゴミ拾いをして地域を健全に保っている、というような。
昨年あたりにも、ルワンダの虐殺によって男性が減ったために女性の議員が増え、
結果的に進歩的な政治が行われるようになった、というツイートもありました
(ツイートした方は、「虐殺」そのものではなく「女性の議員が増えたこと」が大事なポイントだと注意書きしていました。私が『生かされて。』を読んだ印象だと、男性だけが特にたくさん殺されたという意味ではなく、虐殺の実行犯に男性が多く、たくさんの男性が刑に服したからではないかと推測します。)

そして非常に印象的だったのは、このコロナ禍において、イギリスから「安全国」として評価された国の中にニュージーランドや台湾など明らかに優等生な国々とともに、
ルワンダの名前もあったことです。

あの惨劇から、あの絶望から、復興することができるんだ、しかも、こんなに素晴らしい形で、と、本当に涙が出ました。

私達日本も、今、日本人だけでなく、日本に期待を抱いていくださっていた海外の方々に本当にひどいことをしていて、それが今まだ立ち止まることもできずにいる。
そして何とか立ち止まったその先に、本当に、壊滅状態からの復興、一からのすべての立て直しが待っている。
私の心が弱っている時、もう立ち止まることもやり直すこともできないのではないか、という気持ちに負ける時もある(そういう時は記事を書きません)。
でも、ルワンダは復興したんだ。こうやって、「コロナ安全国」と評価されるほどに。
私達にも、きっとできる。
お手本は世界にあるし、私たちの心の奥底にも、きっとある。

2021年4月15日木曜日

#汚染水の海洋放出に反対します 【追記】

#汚染水の海洋放出に反対します
#汚染水の海洋放出決定に反対します


一応、ツイッター上で気になる事柄を拾っておきます。


mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.13)

「スガに最後っ屁をさせて支持率下げさせて五輪中止になっても理由はこっちみたいに見せかけてスガを下ろしたいナニモノかの下手な謀略のような気がしてしょうがない。」


mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.15)

「二階氏、五輪中止も選択肢 | 2021/4/15 - 共同通信 
汚染水海洋投棄といい、この人は手前勝手にどういう絵を描いてるんだろ。民主主義国家としてあるべき手続きを全部ぶっ飛ばして。」


一方で以前、文春砲について流れていた
大濱﨑 卓真(@oohamazaki)さんのツイート引用。(2021.3.19)

「なぜ文春砲が今年政界でこんなに炸裂しているか、そしてその砲弾の飛ぶ先が与党ばかりなのか、今日聞かれた。難しいことはなく、今年は総裁選(本戦)。昔は実弾飛び交う総裁選といえば、「実弾」の意味は札束だったが、今は文春砲という実弾に変わっただけ。着弾した議員を派閥で整理すればわかること。」


このツイートに対して、麻生派がリークしているんじゃないかというコメントも入っています。


いや、この手の政党内の内ゲバでなかったとしても、先日の福島近辺での地震で、
何か危ないんじゃないか、また隠ぺいしているんじゃないかという声はずっとツイッターで流れていました。

いや、内ゲバであったとしても、〇〇派が勝ったとか負けたとかじゃなくて、
「自民党 丸ごと」終了にしたいです。


で、前から図にして記事書きたいと思っていたのですが、
いまだにできていないのでもう文章だけで書いちゃいますけど、
福島沖というか、東北沖って、黒潮と親潮がぶつかるところで、
この二つの潮流がぶつかることで、たくさんの魚が集まる特殊な漁場になっている。
小学校の社会科で習ったんですけど。
何年か前の「ブラタモリ」で銚子についての回でもやっていて思い出しまいた。
福島から流した汚染水、潮流に乗って、この漁場を直撃。
銚子港がそうであるように、この漁場、日本各地から漁船が漁に来ていて、
ここで獲った魚を、各地の港で水揚げしている。
「〇〇港で水揚げ」と言っても、この漁場の魚であることもあるわけです。
というか、日本にここ以上の漁場ってないそうです(だから小学校で習うわけですが)。
なんか政府が話付けようとしているのって東北の漁業組合だけみたいな報道なんですが、
日本中全部影響しますよね。
あと海外の動画で、福島からの汚染水がこの潮流に乗って地球規模で広がっていく様を示したものもありました。

で、デジャヴュとしか言いようがないけど、
水俣病もこうして汚染された魚が山間部まで運ばれ、山間部でも水俣病患者が発生した。
で、チッソ側の人間は、工場排水飲んで見せたりしてました。
いや、麻生氏の発言出る前に、
小泉進次郎環境大臣が「汚染土を事務所の鉢植えの土にします~」とか言っていた時に、
「こいつは環境大臣のくせに、水俣で何が起きたかも知らないんだろうなぁ」と思いました。悪党はいつも同じことを言うということを、自分がまったく同じことをしていることを、知らないんだろうなぁと。
小泉進次郎は超のつくバカですが、自民党は、本当にこんなのばっかり。
(ていうかもう自民党の人に氏とか大臣とかつけて表記するのも嫌なレベル。やめよかな)


もうこんな社会は嫌です。
個々人の努力や、小さな願いがことごとく踏みつぶされていく、こんな社会は嫌です。
倫理観の欠片もない人たちに、一般庶民の生活が、人生が、踏みにじられる、こんな社会は嫌です。

私は、自分の国に誇りを持ちたい。
それはネトウヨが言うようなまやかしの誇りではない。
私たちの国は、道理的に間違ったことはしない、自分たちに対しても、世界に対しても、
そして地球上のほかの生き物たちに対しても、神様に対しても、
恥ずかしいことはしていない、と、そう思える国でありたい。
私がこれまで生きてきた中で、そう思える状態だったことは一度もない。
これからそういう状態に変えていきたいと努力してきたのが、私のこれまでの時間だった。

今の、貧しくて人々の心まですさんでしまった日本を見て、
もっと一般の庶民が豊かになる社会でなければ、と常々思っていますが、
それでもバブルの頃の雰囲気を見聞きして何となく知っている世代である私は、
あの状態に戻るようなことも嫌です。
世界中の名だたる芸術品などを価値もわからないのに金にあかせて買い占めていた日本、
カーネギーホールでカラオケをしてしまう日本(なんかバブル当時の悪評だけかと思ったら、2010年にもカラオケ大会があったようで、ちょっと理解が追い付きません……)、
国際社会から「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、金を持っているだけの野蛮人と笑われていた日本、
もうそんな恥ずかしい思いはしたくない。

名だたる経済大国でなくても、「真っ当な国」として認識してもらえる国でありたい。

もう何年もずっと思い続けていることではありますが、
本当に自民党政権を終わりにしよう。
自民党そのものを終わりにしよう。

先日肉球新党さんの缶バッジがセールになっていたので注文してみました。
バッグにつけています。

私個人は今、ここ5~10年くらいの間は、日本共産党に政権を取ってもらいたいと思っています。
私は震災以前から、菅直人(かんなおと)元総理を応援していましたし、
一つも誤りがなかったとは思っていませんが、少なくとも菅直人元総理が震災後も総理を続けていたのなら、あの天災を機に、日本は原発を完全に廃止し、もっと文化的で一般庶民が幸せである社会を築けていたのに、と今でも思っています。
ただ、現在の立憲民主党は、政権交代を第一目標にするあまり(それももちろん大切ですが)、変な要素が入りこみすぎている。
私は自分自身の経験から、この内側に入り込んだ変な要素を、制御できないことがどれほど危ないことかを身に染みて経験しています。
ちょっと危なすぎるなと感じています。
今現在の日本で一番真っ当な政党は、日本共産党であると私は思っているので、
今後の選挙は当面の間、日本共産党一択にするだろうと思います。
もちろん宇都宮けんじさんとか、「この人」という人が出る場合は、例外ですが。


今回のコロナ禍を見て、私はキリスト教徒ではありませんが、
「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。」といのはこういうことか、
と思わずにはいられませんでした。
まぁ私が感じたことは、正統なキリスト教徒の方々の解釈とは違うかもしれないので、
間違いであればこの記述は削除したいと思いますが。
ニュージーランドにしろ、台湾にしろ、人命を尊重し、知性を尊重した国は、コロナを制圧しています。
日本にしろ、アメリカにしろ、ブラジルにしろ、なんというか、金と権力と腕力でどうにでもなると高をくくっていた国は、総じて敗北。(アメリカは今後変わるかも)
女性が男性がとは一概に言えませんが、女性をリーダーにし、この危機に際して女性のリーダーの「言うことを聞くことができる」国は、それだけ文化レベルが高いんだなぁと思わざるを得ません。
日本では、女性男性というレベルではなく、震災当時の菅直人(かんなおと)元総理に対する態度、あれがそのまま同じです。責任を取って頭を下げる人を、叩く。
しばらく前に、ツイッターで流れてきたツイートで、イケてるタイプの男性が、
俺たちが菅直人を引きずりおろしてあざ笑っていたからこうなったんだ、みたいなこと言っているのがあって、「あ~この人はあざ笑っていたんだぁ」と思いましたよ。私は泣いていましたがね。
そういうとこね。本当に。ここまで来ないとわからんのか、と。
(何度も言いますが、菅直人総理がすべてにおいて完璧だったとは思いません。
ただ諸々の軌道修正も含め、私たちの側にもっと良いやり方があったはずだと思います。
あの当時のマスコミの意図的な報道の仕方は本当に気持ち悪かったです。
裏で何かが動いていて「こういう報道をすれば庶民を操れるだろう」という意図が見え見えでした。本当に気持ちが悪かった。後々、この点も解明してほしいと思っています。
多分それは、今の維新と大阪の関係と似たようなものではないかと推察します。)


私は政治家ではないので、政治については、自分が信を置く政党・政治家に投票する形で委託しますが(こういったブログや署名などでの政治運動はしますが)、
日常の社会の文化的なところは、自分にできる形で発信や役に立っていきたいと思っています。

別な文脈でブログ記事にしようと思っていましたが、
私は編み物を通して、女性の衣類を、もっと女性の健康に適したものに変えていきたいと思っています。体を冷やさず、不快感をなくし、動きやすく、安全なもの。
女性が心身共に健康になり、活動し、自分に誇りを持てるような衣料を作っていきたいと思っています。(冬物で考えています。)

また、家庭で加害に合い、居場所をなくした若い女性のシェルターなどで、編み物を教えるボランティア活動もしたいと考えています。
編み物が直接収入に結びつくことは難しいとは思いますが、編み物は自分自身と向き合う時間になりますし、スマホを眺めるしかやることがないという状態を解消します。
以前アメリカの刑務所で受刑者の男性に編み物を教えた方々がいて、素晴らしい効果があったという記事を読みました。ベルンド・ケストラーさんの本によれば、ドイツでは男性も編み物を楽しむそうで、本来は男性が編み物をして心身を鎮めるべきだと私は思います。
少数ながら男性のニット講師もいるので、活動が広がることを期待しています。

また、ここ数年料理の勉強をしていたので、いただいた生命を無駄にしない食べかた、共同体の中での廃棄を減らす仕組みづくりも考えていきたい。
調理師免許を持っていないのですぐには実行できませんが、いろいろ調べながら、少し時間がかかってもできることを広げていきたいと思っています。

私は私のできることを通して、この「昭和のオッサン文化」を駆逐し、
金と権力を振りかざして自分が強ければ何をしてもいいと思っている社会を終わりにしたいと思っています。
新しい日本を作るために「こんな仕組みを作れたらいいな」というものを、少しずつ記事にしていきたいと思います。

2021年4月14日水曜日

#汚染水の海洋放出に反対します

 #汚染水の海洋放出に反対します

もう本当にやめてほしい。
ありとあらゆることについて。
生命や自然を、環境を、地球を、踏みにじることを続けさせてはいけない。
沖縄の辺野古埋め立ても、根っこは全部同じ。
女性を踏みにじるのも、根っこは全部同じ。
コロナの対応も、根っこは全部同じ。
障がいのある人、社会的なマイノリティ、今懸命に生きようとしている人たちを
踏みにじるのも、根っこは全部同じ。
生命を踏みにじっている。

生命、自然、というだけで、説明はいらないはずなのに、
それがわからない人がこんなにたくさんいて、
私は長い間どうしていいかわからなくなって、何度も倒れた。

今、たとえ生命とか自然とか、存在するものの尊厳とか、
そういったことがわからない人でも、
お金のことしか考えられない人でも、わかるはず。
日本が福島第一原発の汚染水を海洋投棄したら、
もう国際社会の中で日本が存在する場所がなくなることを。


ono hiroshi(@hiroshimilano)さんのツイートから引用。(2021.4.23.)

「日本人は今後10万年全人類から忌み嫌われる対象になるよ。与党とか野党とかの次元の問題ではないですよ。」


Yojiro Iwaya(@yohjiroh)さんのツイートから引用。(2021.4.23.)

「ドイツ語メディアでも一斉に報じています。「全世界に対する宣戦布告だ」とのコメントもあります。」


もう本当にこれですよ。
日本関連製品の不買運動なんか普通に起こるでしょうし、
日本に食料を輸出してくれなくなるかもしれないし、
こんなに災害の多い日本で何かあった時に、国際社会は助けてくれなくなるでしょう。

お金のことしか考えられない人にだって、不利益しかないんですよ。
自分はお金持ちだから日本を捨てて海外に逃げ出せばいいとか考える人でも、
行った先のコミュニティで針の筵だと思います。


なんかもう、こういうお金の損得勘定の話じゃなくて、
生命、自然、地球、そういうことですべて、何をやめるべきか、何をするべきかが判断できる世の中であってほしい、本当に。
長い間ずっとそれを訴えてきたのだけど、何も実を結ばなくて、何度も自分が倒れてただ周りに迷惑をかけるだけの病人になってしまったことが、本当に苦しい。

でも、1か月先の話ではないので、
自民党政権を倒し、自民党がこれまでに決定してきたすべてのことを無効にすることで、
日本を作り直したいし、そうするしかないと思う。
自民党内のトップが変われば、なんて話ではない(以前からずっとそう言っているけど)。
自民党そのものが、もう解体されなければ。
自民党や公明党、維新だけでなく、「自民党的なるもの」すべてが解体されて威力を失わなければ。
私はこの「自民党的なるもの」を「昭和のオッサン文化」と言っていて、
この言い回しについて、昭和生まれの男性の中でもきちんとした倫理観と知性を持っている方が、嫌がる向きがあることも知っていますが、でもねぇ、「昭和のオッサン文化」というくらいに社会に浸透していて身近なものと認識しないと、変えられないものだと私は思っています。
自分は「自民党に投票しない」という男性でも、自分はほかの人よりも優れている、当然のことながら女性よりも優れていると、「信じる」よりももっと深く、規定の設定として認識すらしていない人が普通にいるから、こういうことが起きている。

本当に日本を根本から作り直さないと、もう私達が存在することができなくなる。

ちょっと今、悲しすぎて混乱している。
でも、今年、本当に自民党を終わらせよう。
こんな日本であることをやめよう。
今年の衆議院選で。その前に終わらせられるなら、その前に。

2021年4月8日木曜日

『半神』とミソジニーと利用すること

 先日、江原由美子氏のネット記事で「ミソジニー」という語の解説を読みました(現代ビジネス、講談社、2020.02.09、「『ミソジニー』って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?」)。
江原由美子氏同様、私も、「ミソジニー」の訳として「女性嫌悪」と解説されるのに、
ずっと違和感を覚えていました。
訳としてはそうなんだけど、指していることはそれじゃない、みたいな感じ。

江原氏は、『ひれ伏せ、女たち ミソジニーの論理』(ケイト・マン著、小川芳範訳、慶應義塾大学出版会、2019)に依拠して「ミソジニー」という言葉の、より適切な解説をしています。

まぁざっくり言っちゃうと、「ミソジニー」とは、
①女性は男性に無償奉仕する存在である。
②それを拒む女性は罰してよい。
という男性の考え方。

一般に流布している「ミソジニー」=「女性嫌悪」だと、「女が嫌いなら女に関わらなきゃいいじゃん」という話なんですが、
ここで示される理解では、
「男性は女性の無償奉仕を必要としている(性や家事・育児や労働力、女性が自分を褒め称えること、常に自分の下に置いて優越感を感じるための対象としても)」のが前提で、
女性を支配して無償奉仕させる仕組みが「家父長制」、
家父長制に従わない女性を罰することでこの仕組みを維持しようとすること、という感じ。
だから女性を全滅させようとも思わないし、女性のいない国を作ろうとも思わない。
あくまでも女性を奴隷として支配し、それに抵抗する女性を処罰する。

この感じが、だいたい私が今まで感じていたことに合致します。

私は女性の身体で生まれて女性の自己認識をもっている(「シスジェンダー」)、
男性を恋愛対象とする人間ですが、
まぁとても恋愛が下手なようで、ずっと独り者。
恋人がいたことはありますが、男性のパートナーと生活をしたことはありません。

ただ、昔から電車の中で聞こえくる女性同士の愚痴や、
最近ツイッターで特に見かけるようになった夫のひどい有様、
あるいは私自身が電車の中など公共の場で男性から向けられる暴力的な威圧や逆切れ、
仕事や、重要な物事を行う中で「あ~これ私が女だからこういう扱い受けるんだぁ」というアレ、
自分より劣った男性から当然のように称賛を求められること、
なんかこっちが黙って話を聞く前提になっていること、などなど、、、
まぁ「ミソジニー」を上記の、ケイト・マン、江原由美子の解釈だと、まったくもってその通りだと感じます。
なので、私が「ミソジニー」に直訳ではない意訳をつけるとしたら、
「女性支配欲求」「女性搾取欲求」あたりになるかなと思います。

ただ一方で、こういうことって「男性が女性にする」だけではない。
もっとも、ケイト・マン、江原由美子も、
「ミソジニーを~(略)~『人を支配するためのシステムの一形態』として理解するべき」
としているので、「人を支配するためのシステム」のうちの「男→女」タイプが「ミソジニー」である、という考え方かなとは思いますが。

私個人が職場や公共機関の中で「女であるがゆえに男の下に置かれる苦しみ」として味わったもののほかに、
まったく同じ感覚をもたらすものが、私の場合は母との関係でした。

私の母は、典型的な毒親で、私も弟も長い時間ずいぶん苦しみましたが、
それでもやはり、「弟にはしないことを私にはする」という点で、
「加害的な男性が、男性には加害しないが女性にはする」というのを事あるごとに
体感していました。

基本的には私は母をとても愛していますが、
それでも私も人間なので、心にも体にも限界があります。
私が長年極度に虚弱体質かつ、うつ病が人生の友達ぐらいに心の問題を抱え続けていたのは、母との関係性の問題も一因としてあります。
もっとも私の霊感体質というか世間的に理解されにくい要素による問題もありますが。
ちなみに私の霊感体質は、母方の遺伝(笑)母も祖母もそういう体質。父方はよくわからないけど、父個人はそういう性質は全くなし。
もう一つ付け加えると、母は、祖母から虐待を受けて育ちました。
私は20代の前半で、私と母との葛藤は「虐待の連鎖」によるものだと学び、私の代でこの連鎖を断ち切るまでは、私は自分の子供を持たない、と決意しました。
まぁ当時はこんなに長くかかるとは思っていませんでしたが。
もっとも私が心の傷を癒して成熟した心を育てること以外にも、
社会的な要因による打撃や経済状況など、いろいろな要因があってのことですが。

私が母との関係で本当に苦しんだのは、
母は私を自分の満足のための道具として使うのですが(暴力的な言動をすることも含みます)、「私に対してどんなことをしても、私が母を愛して大切にし、いつも感謝する」ことを当然のこととして行動する、という点です。
なんか最近、パワハラ、モラハラ、DV夫のことを訴えるツイートを見ていると、
「あ~、まったく同じだなぁ」と思い、自分が鬱になって寝込みます(笑)

ほかにも私自身人生をかけてやってきたことを、ミソジニーによって男性にぶち壊され、
キャリアも収入も途絶えたことが何度かあります(実は今も数年前に起こったそれで壊滅的な打撃を受けて、軌道修復の途上です)。
なので、東京五輪の開会式、MIKIKO氏の件は、とても他人事とは思えませんでした。
そういったことが感情的に処理しきれなくなり、私も本当に「男性のいない世界に行きたい」と思うことがあります(これは典型的な「ミサンダリー=男性嫌悪」)。
一方で母のことやほかのそういうことをする女性のことも思い出し、
「いや、他人を利用する人のいない世界に行きたい」と思い直したりします。

先日もそのことで思い悩みながら眠り、翌朝目覚める時にその痛みと同時に
ある一つの漫画作品が思い浮かびました。
萩尾望都著『半神』(小学館)。
16ページの短編なのですが、ものすごく示唆的で、野田秀樹氏が舞台化もしています。
(これも今手元になく、記憶で書いていますので、細かいところ違っている可能性があります。すみません。)

【以下ネタバレです。これから作品を読みたい方は注意】

腰のところでつながった状態で生まれた一卵性双生児のユージ―とユーシー。
妹のユーシーはとても可愛らしく誰からも愛される外見だが、知的障害を持っている。
姉のユージ―は頭脳明晰でしっかり者だが、「しなびたキュウリ」と評される外見をしている。
ユージ―は常にユーシーを支え、食事をとらせたり、危険がないように世話をしているが、自分の苦労はよそに、愛らしい外見のユーシーばかりがチヤホヤされることを苦々しく感じている。
二人が成長するにつれ、ユージ―は体力的にユーシーを支えることができなくなって衰弱してしまう。そして医師は、ユージ―とユーシーを切り離す決意をする。
「二人は一体でないと生きていけないのではなかったのですか?」と問うユージ―に、
医師は、ユーシーは自分で栄養を作り出すことができず、これまでユージ―の内臓が二人分の栄養を供給すべくフル回転していたが、それが限界に達してしまったこと、このままではユージ―が衰弱死することで二人とも死んでしまうが、今なら二人を切り離すことでユージ―だけは助かる可能性があると告げる。
そして手術は成功し、ユージ―が少し回復したころに、ユーシーが間もなく死ぬことを告げられる。
ユーシーに面会に行ったユージ―が見たもの、「あれは自分ではないのか?」
自分そっくりにやせ衰えた妹が、涙を浮かべて骨ばった手を差し伸べるのを見て、ユージ―は混乱する。そして、妹の死。
数年後、回復して美しく成長したユージ―は進学し、恋人もできて、生きることを楽しんでいた。
しかしある夜、鏡に映る美しい自分に、妹の姿を見出す。
死んでいったのは、自分ではなかったのか?あれはいったい何だったのか?
自分と妹とは、いったい何だったのか?
誰よりも愛していたよ、お前を。
憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよ、お前を。
私の半身。半神。

この感情に、答えはありません。
そして今、私が感じているものも、これなのだと思いました。
私から栄養を取ることで生きてきたもの。私が生命を支えていたもの。
そして、私の生命を吸い取りながら、すべての称賛を我が物にしていたもの。
私と母との関係であり、私と男性社会との関係であり、多くの女性と多くの男性の関係であります。
そしてもう、私も、多くの女性も、疲弊が限界に達し、自分自身の生命さえも危うくなり、自分が支えていたもの諸共に破滅するところまで来てしまった。
だからもう、切り離すしかないんだ、と。
そして、憎しみもかなわぬ程に憎みながら、何よりも愛していたと、答えの出ない感情に涙すること、私は、この人生でこれを体験したんだと、思いました。
以前、上橋菜穂子著『鹿の王』を理解できなかった人に驚いたことがありましたが、
こういう痛みも、体験しないと理解することができない類のものなのでしょう。

もっとも、『半神』はあくまでも漫画作品であり、
こういう強い感情を引き起こすための極端な設定のフィクションです。
現実の、女性を搾取する男性であれ、子供を搾取する親であれ、あるいはほかの形の搾取をする存在であれ、自分の内臓で自分の栄養を作れるし、自分で自分の感情を満たすことも、精神的な治療も肉体的な治療も受けることもできます。
搾取対象である女性や子供に切り離されたからといって、死にはしませんし、他人を搾取しない生き方に変える必要があります。

私はこういう風に感情が強く動くと、体調も連動して乱れるので、
鍼の治療に行き、鍼の先生にもこの話をしたのですが、その時、
「もう支えられないってどういうことですか?」と聞かれました。
その時に私は以下のように答えました。

例えば演劇公演をやる時というのは、すべての人がそれぞれの役割を精一杯果たすことで良い公演になるのであって、けっして「看板役者」が偉いわけではない。
そのことがカンパニー内できちんと理解されていれば、「看板役者」の写真がデカデカと載ったポスターで宣伝し、「(看板役者の)〇〇さんのお芝居を観たい」と世の中の人が集まってくることに何の問題もない。全スタッフの写真と名前を均等に載せた宣伝素材を作る必要はない。
けれども、「看板役者だから偉い」「演出家だから偉い」「プロデューサーだから偉い」とか勘違いしている人が時々いて、そのようにふるまうことがある。
それが私の母とか、問題行動をする世の中の男性や世の中の仕組み。

立場上、「花を持たされる人」というのはいる。
それぞれが何をしているかがきちんと理解され、尊重されているのなら、
私が花を持たなくてもいいよ、という立場でやってきたが、
「花を持っている自分だけが偉い」と勘違いして傍若無人の限りを尽くす人の場合は、
こちらも人間として存在しているので、精神的にも肉体的にも限界があるよ、ということ。

まぁそうは言っても、そう思ったとたんに、
男性も私の母もマウンティングしないと生きて行けない女性も存在しない並行世界とかに移動できるわけではないので(笑)、今できるのは心の線引きでしかありませんが。
ただ、私が時間をかけてやっていること、やりつつあることは、その方策の一つではあります。

そのうちの一つは、信頼関係を築いている女性に直接お金を払うこと。
私は今、医療のメインを鍼灸治療にしていますが、もうかれこれ15年くらいお世話になっている女性の先生です(もともとは大学時代の友人のお姉さん)。
それからオンラインでレッスンを受けているバレエの先生。コロナ前はスタジオでレッスンを受けていましたが、今は先生個人のオンライングループレッスンを受けて、先生に直接お支払いしています。
あと、美容院も20年以上同じ女性の美容師さんにお願いしています(近年は私の経済状況が悪いので、ロングヘアにして年1回しかカットしていませんが(笑))。
私はもともと「人につく」タイプなので、自分に合うなぁと思うと、長くなります(笑)
あと私自身が作ったものを売るようになってからは、個人の作家さんのものをよく買うようになりました。ちょっとしたアクセサリーとか。
それと、以前は臆病で食事をするのもチェーン店ばかりでしたが、いつからか、個人経営のお店でオーナーさんやスタッフさんと会話を楽しみながら食事をするようになりました。

生活全般を賄うのはまだとてもできない状況ではありますが、
少しずつ、女性や信頼関係を築いている人・団体、個人で活動している人に支払う割合を生活の中で増やしていこうと思っています。


そして、私自身が、怒りや悲しみに負けてしまわないために、以下のことを。
先ごろ、川沿いの桜を見にのんびりと散歩をしました。
その時に、私の前を、車いすの女性と車いすを押す男性がゆっくりと進んでいました。
お二人とも年配で、女性はいろいろ辛そうな感じで、男性が細やかに気配りしていました。
ご夫婦なんだろうな、と思いました。
奥様をとても愛していて、少しでも良い時間を、少しでも長く一緒に過ごしたいんだろうな、と感じました。
本当に愛を知っていて、一生懸命大切にしている人は、いる。
もちろん私の知人でも、長年奥様を愛し家族を大切にしている男性は何人もいる。

アンチ・フェミの人に二次加害の口実を与えるためではなく、
私自身のために、
「Not all men すべての男性が悪い男性なのではない」、
この満開の手前のひそやかな桜の下を行く車いすの女性と男性の姿を心にとどめ、
自分の怒りと悲しみを癒したいと思っています。


2021年4月5日月曜日

#東京五輪開催反対

 #東京五輪開催反対

日本の政治や社会の様々なことに怒りと悲しみを抱いています。
ずっと自分の怒りや悲しみの感情が強すぎて、文章を書くことが追い付かず、
時事問題を記事にすることができずにいました。
今、反対の気持ちだけ、表明します。

自分が強ければ何をしてもいい、という価値観。
そういうもの全体に私は反対します。
金と権力と暴力を振りかざして、自分の欲を押し通そうとするやり方すべてに、
私は反対します。

日本の政治も、ミャンマーの虐殺も、本当に間違っています。

すべての人の生命と尊厳、それが一番大切です。
心が痛くて、言葉が出てきません。
子どもが書くような文章しか出てきません。

世の中が良い方向に根本から変わっていくことを願って、
時間をかけて丁寧に文章を書いてきましたが(単に長いだけともいいますが)、
私は感情が強く動きすぎるので、
今書きかけているいくつかの文章をアップすることができないかもしれないと思い、
今この時、言わなきゃいけないことだけ言っておこうと思いました。

人が根本から変わり、社会の仕組みがきちんと変わるには時間がかかります。
でも、今すぐ止めないといけないことが、あります。
東京五輪も、ミャンマーの虐殺も。
根は同じです。

韓国が朴槿恵政権を終わらせ、文在寅政権によって良い方向へ進んでいくと思われるように、
アメリカがトランプ政権を終わらせ、バイデン政権によって良い方向に進んでいくと思われるように、
日本も自民党政権を終わらせることで、少し時間はかかっても今ならまだ、
今までとは違うもっと人間らしい文化的な世の中を作っていけると、私は信じたい。
こんなに人の生命を軽んじ、人の尊厳を軽んじ、人の生活を軽んじ、踏みにじり続ける、
こんな社会は私は嫌だ。
こんな世の中を変えたくて長い間様々な形で活動してきて、何一つ実を結んでいないし、
自分個人のことも何も成し遂げられていない私だけど、
それでも、人の生命を、尊厳を、生活を、こんな風に踏みにじる社会は私は嫌だ。
今は、そのことだけ、表明したいと思います。

2021年3月25日木曜日

生理について 特に生理痛について

今に始まったことでは決してありませんが、
日本の状況、政治や社会のこと、女性をめぐる「男性側の問題」、
次から次へと問題が表面化しています。
まぁ問題が表面化すること自体はいいんですよ、表に現れないほうが悪いので。
ただやっぱりそういう問題と向き合うのは、ものすごく大変で、
私は言語化できるようになるまでに、ものすごく時間がかかります。
だいたい鬱になって寝込むからスタートします(笑)

というわけで、昨年来、ブログの記事にしたいと思いながら
なかなか文章化できないでいることが山ほどあるのですが、
今回は、そのごく一部分、比較的ネガティブな感情に負けず、
共有するのが早いほど役に立つ可能性があることだけをピックアップして
記事にしたいと思います。

私自身が長年生理痛に苦しんだ経験から、
生理痛について、もしかしたら改善のヒントになるかもしれないと私が思っていることを
書いてみたいと思います。
私は医師でも医療関係者でもありませんので、医学的な裏付けはありませんし、
医学的な治療をやめなさいという話でも全くありません。
日常生活の中でこういうことに注意をしたら、少し過ごしやすくなるかもしれない、というレベルの話ですので、現在医学的な治療を受けている方や、これから受けようと考えている方は、きちんと治療を受けてください。

*******

私は長年冷え性で、生理痛もかなり重い方でした。
大学生の時に構内で、生理痛で気を失いかけて保健センターに運ばれ、
その先生方の勧めで病院通いを始めました。
病院通いをしながら自分もいろいろ調べ、自分自身の体の反応を見ているうちに、
最初は大学病院で西洋医学と漢方を併用していたのが、
やがて漢方薬に(西洋医学つまり医師免許を持っている医師で、漢方治療を専門にやっている先生と出会い、保険診療で漢方薬を出してもらっていました)、
その後鍼灸治療をメインにするようになりました。

女性の諸々の不調には、どちらかと言えば東洋医学の考え方があっているように感じます。
私は食事も漢方の考え方を取り入れて、体を温める食べ方をするようになりました。
また、冬場はスカートをはかずにズボンや靴下で足腰を冷やさないようにするなど、
生活の仕方も変えていきました。

私はもともと母が冷え性で、生まれた時からの冷え性(先天的冷え性)、
かつ、実家が東京の中でも寒い地域だったので中学高校の制服でも冷え(友達と「寒くて骨が痛い」という会話をしていました)、
さらには大学時代にドルフィンスイムにはまって無理をしてでも海で泳ぎまくり、芯まで体を冷やしてしまいました(後天的冷え性)。
海で冷したのはまぁ自業自得なので仕方ないですね。

生理痛は本当に地獄で、私の体感としては次のような表現をしていました。
腰骨の出っ張ったところを鉄のかぎづめで下にギリギリと引っ張られ、
その痛みで背骨がギシギシする。
そして骨盤の底(おなかの底)を、鉛の玉がゴ~ロ、ゴ~ロとゆっくり転がり、
鉛玉が動くたびに血管や神経がブチブチとつぶされて、重く深い痛みが続く。
鎮痛剤を飲んでもすぐには効かず、鎮痛剤を飲んでから、一度痛みで気を失って、
目が覚めると痛みが少し収まっている(薬が効いた)というような感じでした。

とにかく辛いので、良くなる可能性があるなら何でもするという感じでした。

ただまぁ、冷え性に関しては私がかかった漢方の先生は、
「冷えを取るには冷した年数分かかる」と言っていたので、
私は20年かけて冷し20年かけてだいぶ楽になったなぁ、という感じです。
もともと体が強い方で、ちょっと無理して1年間で思いっきり冷しちゃった、みたいな方は、回復も早いと思いますが、
私のように元来冷え性で虚弱体質、かつ病気に無知で無理をしていると、
体質を改善するにはそれ相応の時間がかかるようです。

衣類でガードして「外から冷やさない」(特に下半身)というのと、
真夏の熱中症対策以外は冷たいものを飲み食いしない「内から冷さない」というのは、
ノーリスクでできることなので、女性はできるだけなさると良いのではないかと思います。

特に、日本ではどういうわけか、飲食店では通年氷の入った水を出されるので、
本当に真夏の熱中症対策以外は、
冷たい水を当たり前に飲むのも気をつけたほうが良いと思います。
大戸屋さんとか、冷たい水とあったかいお茶と選べるところでは、
「必ず」あったかいお茶を選んでいただきたいなぁと思います。
昔読んだところでは、中国人の男性と付き合っている女性が、
レストランで氷の入った水を出されて、
その男性に「そんなものを飲んではいけない!」と氷を捨てられた、
というエピソードがありました。
今現在は知りませんが、中国では東洋医学が生活の中にきちんと浸透していて、
何が女性の体に良くないか男性もよくわかっているということなんだなぁと感心しました。
日本ではそういう情報がほとんど共有されていないので、
最初の水はおろか、冬場でも氷入りの冷たい飲み物普通に注文している女性が多くて、
見ている私が怖くなります。
飲み物のアイスかホットかを選択するのはほとんど同料金なので、
ホットを選んでいただきたいところです。

あと、近年、鍼の先生からうかがった話では、
生理の時はすごくたくさんミネラルが必要になるのだそうです。
子宮内膜が剥がれ落ちて液体の状態で排泄されるのが生理ですが、
その子宮内膜をはがして液体の状態にするときに
たくさんミネラルを消費するんだそうです。
ミネラルが足りないと、力ではがして排泄することになり、それが生理痛なのだそうです。
まぁこの話は鍼の先生から聞いた話というだけで、ソース確認していないので、
参考程度に聞いていただければよいかとは思いますが。

で、鍼の先生のおすすめのミネラル補給方法は、「ぬちまーす」という沖縄の塩。
(これ似た名前で「シママース」という塩ありますが、似て非なるものなので注意。)
ぬちまーすは、沖縄の海水から水分だけ取り除いた塩で、ほかの塩よりミネラル分が豊富。
私も数年前から使っていましたが、お値段もほかの塩よりはるかにお高いので、
確実に食べる分のみに使っています(菜っ葉ゆでるとかパスタゆでるとかは普通の1㎏150円の生協の塩(笑))。
お値段250gで1080円。高っ(笑)。
あんまり置いているお店ないので通販がいいのかなとは思います。
新宿だと京王百貨店の上の方に沖縄グッズのお店があって、そこで扱っています。
通販は包装とかDMとかめんどくさいので、
新宿使う方でしたら、お店で買った方が手間が少ないかもと思います。
京王百貨店のこのフロアは、富澤商店も入っているので、
新宿使っていた時は、よく食材仕入れに行っていました。

あと、これは私が聞いた話をいろいろつなぎ合わせて考えただけなので、
あくまでも参考程度に考えていただきたいことではあるのですが、
海藻について。

以前、出産直前の韓国の女性とお話ししたことがあって、
その方が、韓国では、出産の前後にワカメをたくさん食べさせる、と仰っていました。
私が東洋医学の食養生で参考にしていたのは、中国の医療ですが、
中国だとどちらかというと、虚弱体質や産前産後・病後などには、
鳥とか豚とかの骨付き肉にクコの実や生姜を加えて煮込んだスープ、
みたいな動物性のものがメインという印象でした。
ワカメってなんかあんまり栄養ないような気がするんだけど…と聞いたときは感じたのですが、後になっていろいろ思い起こしてみると、
日本でも共通するようなこと確かに言われていました。
日本では、海苔とかワカメとかの「黒いもの」を食べると黒髪が美しくなるという言い方をしていました(まぁこんなの昭和生まれの人しか知らないと思いますが)。
子供の頃にそれを聞いたときは、なんかそういう安っぽいダジャレみたいなのどうなの、
口に入れたワカメがそのまま生えてくるわけじゃないんだからさ、と思ったものでした。
ただ、20代以降、自分が体質改善のために東洋医学を勉強しだしたら、東洋医学では、
「髪は血の余り(血余)」という言い方をするということを知りました。
どういうことかと言うと、体調が悪くなって血液が不足すると、
生命を維持することに体が集中するので、髪が抜けて生えてこなくなる。
ある程度体力がついて回復するとまた髪が生えるようになる、ということを表しています。生命維持に最低限必要な分の血液が足りていて、余った分が髪として生えているよ、
という認識です。
で、私はこの人生で出産をしていないので、実体験では知りませんが、
出産で出血したり、母乳育児をしていると(母乳はもろに血液なので)、
髪が抜けるという話はよく見聞きします。

なんかそういうのがぽろぽろと思い出されて、
「あれ、もしかしてこれって、みんな同じこと言ってる?」と思い至ったのです。

私は東洋医学も西洋医学も医師の資格もっていないので、ソースはなく、
ただの個人の推論にすぎません。
なので、医療の代わりには決してしないで、
「生活の知恵をちょっと聞いた」くらいのこととして聞いていただきたいと思います。
ただ、
「出産・母乳育児には血液をたくさん消費する。」
「日本では産後、髪が抜ける女性が多い。」
「韓国では産前・産後にワカメをたくさん食べさせられる。」
「日本では海苔・ワカメなど黒いものを食べると黒髪が美しくなると言われていた。」
「東洋医学では『髪は血の余り』と言われている。」
と並べると、ワカメなどの海藻には、血液を作るのに必要な栄養素が含まれているのではないか?と思われるのです。

あと平安時代とかだと、やんごとなき女性は髪を最大限伸ばしていて、
髪の長さや量、美しさが女性の価値、みたいなことになっていました。
「髪は女の命」みたいな言い回しもあって、なんのこっちゃと思っていたのですが、
これってつまり、髪が豊かで美しいっていうのは、
血液が豊富で健康状態が良い、ひいては妊娠出産に適している、
ということなんじゃないかと思い至ったわけです。
まぁ令和の時代に言うといろいろ問題がありますが、
過去において、健康な子供を産むことが至上命題だった時代が長きにわたってあり、
どういう状態であれば、健康な子供を産むことができるか、というのが、
いろんな形で伝わっていたのだろうと推測します。
やんごとなき女性が、自分で母乳育児をせず、乳母に任せていた、というのも、
母乳育児をするとすぐに妊娠できないというのもありますが、
髪が痩せるからというのもあるのではないかと思います。

まぁなので、鍼の先生から聞いた生理の時にミネラルを大量に必要とするよ、という話と、
ワカメなどの海藻類は血液を作るのに必要なんじゃないの?という話、
なんかどっちも「ミネラル?」という気がするのです。
まぁそれ以外の私にはよくわからない成分もあるのでしょうが。
なので、ミネラル補給を目的に「マグネシウム〇㎎」「鉄〇㎎」とかしか書いていないサプリメントをとるよりは、
海藻類とかぬちまーすとか、他のよくわからない成分が入っていそうな「食品」を日常生活に取り入れることを考えていただくと、害が少ないのではないかなと思います。
あと体に必要なものって「おいしい」と感じるので、妙な中毒や依存症状が出ているのでなければ(甘いものとか辛いものとかアルコールとかジャンクフードとか)、
「おいしい」「もっと食べたい」と感じるものを食べると良いのかなと思います。

私が個人的におすすめなのは、あおさ海苔とアミエビ。
あおさ海苔はみそ汁にそのまま入れるだけなので、ワカメみたいに戻したり切ったりする手間がなくて楽ちん。
というか、私があおさ海苔を異常においしいと感じるので、多分ワカメより私に必要な成分がたくさん入っているんじゃないかと勝手に思っています。なのであくまでも「個人的おすすめ」(笑)
アミエビは、私みたいにビンボー暮らしが長い人でなければ、桜エビですかね(笑)
桜エビ替わりに使っていますが、桜エビよりかなり安いので、ケチらずに使えます。
あおさ海苔・アミエビ(桜エビも)、どちらも富澤商店で大袋で売っています。

料理学校に通っていた時に、中華料理で小松菜と干しエビの炒め物というのがあって、
すごくおいしかったのですが、中華食材の「干しエビ」って高級品です。
一緒に料理していた年配の女性が「これ家で作るなら桜エビでいいわよね」とポロッと仰っていて、私は「そうですよね」と言いながら内心「私はアミエビだな」と思っていました。
まぁもちろん干しエビ・桜エビ・アミエビ、みんな風味は違いますけどね。それぞれに美味しいですよ。
あと桜エビや油揚げを使った炊き込みご飯というのも習いましたが、これもとても美味しかったので、私はアミエビで作っています(笑)。
学校で習ったのは、桜エビの美しい色を生かすべく、薄口醤油を使った春のお料理だったのですが、私は薄口醤油も常備していないのでアミエビと普通の醤油で作ってます(笑)
普通の醤油使う場合は、醤油は香りづけ程度に少なめにして、ぬちまーすで塩味を補強すると、やたらと茶色い料理にならずにすむと思います。(私も昭和の育ちなので、醤油と砂糖の甘辛味とか茶色い料理とか、結構トラウマであんまりおいしいと感じないんです。)
この炊き込みご飯、お弁当やおにぎりにして持って行っても食べやすいですし、
冷蔵庫に入れておいて、忙しい時や体調悪くて料理できない時でも、レンジであっためると美味しく食べられます。
学校のレシピ載っけるわけにいかないので、レシピ出しませんが、
似たようなものはネットや市販の料理本にもあるかと思いますので、
お料理お好きな方はいろいろお試しください。

桜エビ・アミエビあたりは、タンパク源としては頼りない感じはありますが、
殻ごと食べるので、カルシウムとかいっぱい入ってそうな気がします。
(いや、これもちゃんと調べていないので「気がする」だけです。)

そんな感じで、20年以上にわたる冷え対策と、ここ数年の食養生と、あと鍼に通ったりいろいろな要素が複雑に関連しているとは思いますが、
生理痛の痛みそのものは、本当に楽になって、ほとんど鎮痛剤を飲まないで生理を過ごせるようになりました。

ただ、私は鍼の先生曰く「生理の血と一緒に『気』も流れちゃう」らしく、
痛みはないけど、気が遠くなってぐーぐー眠ってしまう、みたいなのが残っています。
東洋医学で言う「気」って、生命エネルギーみたいな感じですかね。
東洋医学は「気・血・水を整える」という考え方をするのですが(水はリンパ液みたいなもの)。
私はこの「気」の流失をしやすい体質で、
生理もそうだし、汗を大量にかいたりすると(これも皮膚表面が緩んでいる(虚している)という症状なのですが)、一緒に気を流失しちゃうみたいで、
ダルくなって動けなくなったり、眠り込んだり、うつっぽくなったりします。
まぁ、もともとがひどい虚弱体質で冷え性で、
冬は毎日カイロを何個も貼ったり、
体重が37kgぐらいまで減ったり(身長161cm)したこともあったので、
本当にそれを思うと、よくここまで元気になったなぁと感慨深いし、
今ちょっとそっと不完全でも、焦らず少しずつでもよくなっていこう、
と思ったりしているところです。

あ、あと「気の流失」とか、「気虚(気が足りなくなる)」ということに関しては、
お日様に当たるのが一番いいみたいです。
日本人女性、本当は日に当たった方がいいです。紫外線とかいいですそんなの、真夏の熱中症の危険がある時以外は。
日本人女性は、私を含め「陽の気が足りない(すごい大雑把な言い方をすればプラスのエネルギーが足りない)」状態になりやすいです。
特に自分に自信がない人、被害者になりやすい人、泣き寝入りをしがちな人、心配性な人、うつっぽい人なんかは、そうだと思ってください。あと依存体質とか嫉妬(憧れではなく)とかもそうです。
もう、お日様に当たってください。タダです、お日様は。
で、少し元気になったら、お肉を食べる量を増やしてください(肉食向いていない人もいますが、ほとんどの日本人女性は動物性たんぱく質足りてない傾向にあります)。
まずお日様。
猫になったと思って、猫のように毎日日向ぼっこしてください。
あるいはスマホを充電するがごとく、日光を吸収してください。
通勤時に意識して日向歩くだけで違います。昼休み屋上でお弁当食べるとか。
私は公園の芝生で編み物したりします。便利です編み物。一人で座っていると間が持たないことってあるかと思いますが(笑)
あと新宿をよく使っていた時は、新宿御苑の年間パスポート持っていました。
成城石井とかで安くなってるお弁当とか買って、新宿御苑の芝生やベンチで食べていました(笑)
私は喫茶店とかに入ると、人の会話とかなんかイライラしたエネルギーみたいなのにやられちゃうので、人混みをさけて安全スペースを確保する努力をしていました(笑)


あと、先ほど漢方についてちょっと書いたので、補足しておきます。
日本では東洋医学がきちんと理解されていなくて、
西洋医学の勉強しかしていない医者が、平気でめちゃくちゃな漢方薬出して来るので、
病院を選ぶときは注意が必要です。
漢方と西洋医学の診療はまったく異なる体系なので、
脈を診る、目の下を診る(あっかんべーの形)、舌を診る、おなかを触診する(痛みや張りなどを触って確認する)などの漢方の診療方法をとらない先生は、
少なくとも漢方薬をきちんと出すことはできない先生だと思ってください。
基本、飲んでまずい漢方は体にあっておらず、毒です。
まずい漢方薬を出す医者はやぶ医者だと思ってください。次の時に「まずくて飲めませんでした」と言ったら「あ、ごめんなさい」と言って薬を替えてくれる先生は大丈夫です。
私は最初大学病院でツムラの漢方薬を処方されていましたが、
まずくてどうにも飲めない薬を「良薬は口に苦しって言うし」と思って我慢して飲んでいたら、胃が痛くなって食べられなくなりました。
漢方の名医を見つけてそこにかかるようになってから、
その薬のことを伝えて「これは出してほしくないです」と言ったら、
「あなたならそうでしょうね」と言って、すごくおいしい薬を出してくれました。
ちなみにその時飲めなかった薬は当帰四逆加呉茱萸生姜湯(とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう)、漢方の名医が出してくれたのは人参湯(にんじんとう)に附子(ぶし)を加えたもの。あと十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)とか。
当帰四逆加呉茱萸生姜湯は冷えがある人の生理不順など「婦人病」の薬とされていますが、私よりも体力ある人向けの薬。
当時の私は冷え切って体力も最低レベルだったので、最低レベルの人向けの人参湯(高麗人参)にさらに附子(トリカブト)を加えたもの。十全大補湯は体力落ち切っている人に対して十種の生薬が全てを大きく補うという処方(と以前聞きました)。
薬の効果で体力が上がってくると、体力のある人用の薬が美味しく飲めるようになります。
ちなみに風邪薬として有名な葛根湯(かっこんとう)も、体力ある人向け。
当時私が風邪を引いた時にその漢方の名医が出していたのは、真武湯(しんぶとう)という普通の人が危機的状況に陥ってもう脈拍落ちてきたくらいの時に気付けに使うような薬(笑)。その先生も「危機一髪っていう時に使う薬よ(笑)」って言っていました。
そのくらい体力なかったです、私(笑)
今でこそ笑い話ですが、15年くらいお世話になっている鍼の先生も、
私の一番最初の診立ては、「枯骨様所見(かれぼねようしょけん)」だったそうです。
生きているんですが、死んで白骨化した骨みたいに固くて弾力性がなく生命力に乏しい体、という意味です。

いや、ひどかったですね。
そんなんでもがんばって生きて、仕事して、がんばって自分を労わって、治療して、
偉かったな私(笑)
いまだにこの人生で何にも成し遂げていませんが、
ここまで元気になったことがすごいことだなと、今改めて思いました(笑)

なので漢方薬については、本当に漢方の診立てをできる先生を見つけるのが難しいかもしれませんが、「不味いものは毒」と思って、たとえ大学病院で出されたものでも、
ご自身がまずいと思えば飲むのはやめたほうがいいと思います。
まぁもちろん、外科手術とかある種の難病とか、大学病院というか大病院でないと難しい治療というのはありますので、適切な役割分担ができればいいんじゃないかなとは思いますけどね。
事故やケガとか、現代社会からなくなることはないですし。
ただ私個人は、人生の比較的早い段階で、大学病院の先生だからってすごいわけじゃないんだということを実体験で知ることができたのは、良かったと思っています。
変な権威主義に陥らないですんだので。
ま、でも本当に数年前にも父が軽い皮膚がんで、大学病院ですごくきれいな手術をしていただき(皮膚のしわまできれいに再現してくださいました)、その後の経過観察も丁寧にしていただいたので、良い病院、良い先生にめぐり会えたことを、家族一同感謝しました。
その先生やその病院の得手不得手を理解して、こちらが対応すればいいのかなと思います。
それこそ漢方の名医のいる大学病院もあるでしょうし。
※今治療中の方は、いきなり大学病院の治療をやめるみたいなことは絶対にしないでください。もし不満足な点がある場合はセカンドオピニオンというか、いくつかの信頼できそうなところを探して比較検討し、慎重に対処してください。