2021年6月28日月曜日

マーメイド・ニット・スカート【商品のご案内】

「マーメイド・ニット・スカート」屋号を冠したスカートです(笑)


イタリア製の美しい艶のあるコットン糸で、
人魚のうろこと尾ひれのようなイメージを表現しました。


うろこ状の模様部分は体にフィットし、
尾ひれのような模様部分は、動きに合わせて自在に揺れます。
颯爽と歩く姿をとても美しくしてくれるデザインです。



裏地はつきませんので、お手持ちのペチコートやアンダードレスをお召しください。
サイズは9号(女性Mサイズ)で作っていますが、
透かし編の特徴として、自由に伸縮しますので、
グラマラスな方でしたら、生地が伸びてよりボディラインを強調する美しさで、
スリムな方でしたら、ストンと落ちて清楚な雰囲気で、
それぞれにお召しいただけます。
また、ウェストはゴムを使用し、ゴム用の開口部を設けていますので、
ゴムの交換や、ゴムのサイズ変更も可能です。


私が編み物学校に通ったのも、このスカートを作れるようになりたかったからです。
ようやく、ようやくご紹介することができました!

本当は昨年に商品化したくて、試作を重ねていたのですが、
なんかいろいろなところで納得がいかず、昨年は商品化を断念。
今年、模様の大きさやいろいろな微調整を重ねて、
ようやくこの形にすることができました。

まずは、私の長年の憧れを形にして、
今皆様にご覧いただけることが、とても嬉しい。

昨年作った試作品は、尾ひれの模様がもっと小さいものでしたが、
それを着て街を歩いたところ、年配の女性から特に注目を浴びました。
クラシックな女性美が、年配の女性の心に響いたようです。
世代を超えて、女性の憧れをくすぐるデザインなのではないかと思います。
この模様が半分のバージョンも違う魅力がありますので、
こちらも追って商品としてご案内したいと思います。

オンラインショップはこちら:https://mermaidknit.thebase.in/

2021年6月22日火曜日

#東京五輪の開催中止を求めます #CancelTokyoOlympics

#東京五輪の開催中止を求めます
#CancelTokyoOlympics

今、東京は安全ではありません。日本は安全ではありません。
人の生命、人の生活、人の健康、社会の安全、
そういったことをなんとも思わない政党が、政権を握っています。
日本共産党を始め、きちんとした提言をしている野党はもちろん存在するのですが、
与党である自民党・公明党、野党でありながら自民党に味方する維新の会などが、
圧倒的多数を握り、暴力的な政治をしています。

このコロナ禍においても、日本政府がまともなことを何もせず、
税金を自分たちやその仲間たちの懐に入れるためだけに
たくさんの愚かなことを繰り返してきました。
結果、死なずにすんだはずの人がたくさん亡くなりました。
海外から日本に来てくださった方々にも本当にひどいことを繰り返しています。

ずいぶん長く続いているこの自民党政権は、
人間の生命など、なんとも思っていません。
ましてや尊厳など考えもしません。
自分たちの面子と利益のことしか考えていません。

東京オリンピックは本当に危険です。
本当に情けないし恥ずかしいし申し訳ないけど、
今東京オリンピックに来れば、皆さんの生命も健康も危険にさらされてしまいます。
日本政府もIOCも、何の補償もしないでしょう。
人の生命も生活もなんとも思っていない人たちです。

そして、「オリンピックのため」に医療従事者や医療資源が分配されることが、
一般の日本在住者の生命をさらに危険にさらすことになります。
死ななくてよいはずの人が死にます。

今起こっていること、起ころうとしていることは、
人道に対する罪です。

毎日毎日とんでもない腐敗・汚職を目にします。
いや、長きにわたった自民党政権下で、おそらくそういうことが行われていたのだろうと推測していたことが、表面化しているにすぎません。

7月4日に行われる都議会議員選挙で、私は五輪中止を求める日本共産党に投票します。


ツイッター発信者の chocolat.(@chocolat_psyder)さんが2021年5月29日に発信した
「世界のみなさん」というメッセージを、
T.Katsumi #SaveLivesNotTheOlympics(@tkatsumi06j)さんが英訳の画像にして
提供してくださったので、掲載させていただきます。
他の言語に翻訳してくださった方もたくさんいらっしゃったのですが、
利用許可を明記してくださっているのが T.Katsumi さんだけだったので、
こちらのみ掲載させていただきます。



日本の政治は本当におかしいのです。
過去において日本製品の品質が良かった時代はありましたが、
今長く続いている政権は、本当にひどく、まともなことは何一つありません。
私は、そして日本の心ある人たちは、
この都議会議員選挙と、今年行われる総選挙で、
このようなひどい政治を終わりにしなければならないと思っています。
どうかその前に、東京オリンピックによって、コロナ禍を悪化させることがないように、
世界中の皆さんに迷惑をかけることがないように、
東京オリンピックのせいで亡くなる方がもうこれ以上でないように、
今日本には来ないでください。
私も、東京オリンピックの中止を訴え続けていきます。
ひとりひとりの大切な生命と生活を守るために。
死ななくてよいはずの人が、亡くなることがないように。

2021年6月6日日曜日

ソーイングビーで端切れチャレンジ!

前回の記事「座布団を編んでみた」で端切れの活用についてちょろっと書いたのですが、
NHKで放送されているイギリスの裁縫バトル番組「ソーイングビー」でも、
今回のお題が「端切れの再活用」でした。
ちょっとタイムリーで嬉しい。

「ソーイングビー」は、ごく最近ツイッターを通して知った番組です。
今NHKで放送されているのは第3シーズンのようですが、
こんなおもしろいなら第1シーズンから全部見たかった!
ぜひ再放送してほしい。

一般の裁縫好きな方々が、コンテストで様々な課題に挑戦して勝者を決める、
みたいな方式のようです。(まだ4回くらいしか見てないので詳しくはわからない。)
結構とんでもないお題が出ていて、みんなで四苦八苦というか和気あいあいというか、
バトルはバトルなんだけど、なんかいい雰囲気。

あと、ゴットタレントシリーズに通じるところがあるのですが、
審査員がきっちりと審査して、
良いところをしっかりほめ、至らないところは的確に指摘する、
というのが徹底されています。
見ていて、審査結果にすごく納得がいき、番組としての安定感を感じます。

ゴットタレントシリーズにしろ、ソーイングビーにしろ、
こういう「一般人」の芸術性や創造性に脚光を当てる番組ってすごくいいなと思います。
今日本でこの手の番組って少ないように思いますが、
すごい古い話だと「ダンス甲子園」とか結構盛り上がったんですよね。
あの番組もともとはナントカブラザーズ(忘れた)というグループのデビューをお膳立てするためのものだったと聞きましたが、
そんな思惑すっ飛ばして、一般人超盛り上がっていたと記憶しています
(私がもっと器用なタイプだったら出たいなぁと思っていた(笑))。
結局ナントカブラザーズではなく山本太郎さんが残った、みたいなことになりましたが。
あと「欽ちゃんの仮装大賞」とかも、一般人の創造性とかユーモアとか爆発していて、
すごく楽しい番組でした。
「のど自慢」はちょっと方向性が違うかなと思いますが。

今の日本のテレビ番組に出ている「タレント」とか「お笑い芸人」とか、
これっぽっちもおもしろくないし、感動もしないし、勉強にもならないので、
その手のバラエティー番組とか、もうやめてほしいです。
かわりに日本でも、ゴットタレントシリーズとか、ソーイングビーとか、
そういうのやってほしい。
いろんな才能のある人、世の中にいっぱいいるんだから。

私がソーイングビーを知ったのも、ツイッターで、
「ソーイングビーを見ていた父親(70代?)が触発されてシャツを縫った」みたいな感じで、すごくきれいなドレスシャツ(いわゆるワイシャツ)の写真が流れてきたからでした。
人って、ほかの人の才能や頑張りに触発されるんですよね。
そういう「〇〇なんかやったことない」みたいな人が、60代70代になっても、
「なんか楽しそう」「おもしろそう」「やってみようかな」ってなるの、
すごく素敵なことだと思います。
「70代の男性に『自分も裁縫やってみようかな』と思わせる番組ってどんなもの?」と
興味がわいて早速見てみたら、本当におもしろかった(笑)


で、本題ずれまくっていましたね(笑)いつものことですが(笑)
その「ソーイングビー」でも、今回のお題が「端切れを使って洋服を作る」でした。
もっともその前にも、「捨てられたテントの生地を使って犬のレインコートを作る」というお題もありました。
今、そしてこれからの世の中で、
しっかり取り組んでいかなければならない問題であると同時に、
眉間にしわを寄せて義務的にやるのではなく、
創造性や芸術性、ユーモアを発揮して楽しく美しく、
たくさんの人が「これならやってみたい」と思えるようなやり方を作り出していく、
というのはとても大切なことだと思います。

端切れを使ったお題、二つあって、
①「数着分の古着をほどいて、既定の型紙に合わせて作る」というものと、
②「今回のコンテストの課題作成のためにこれまでに出た端切れを使って自由に作る」というものがありました。
(さらに今週は古いカーテンを使ってワンピースを作っていました。ジュリエットのレースカーテン使ったワンピースがすっごく素敵!!!私はジュリエット激推しです(笑))

①ももちろん大切なのですが、私は②がとても興味深かったです。
審査員も話していましたが、ホームソーイングでは布地の30%が端切れとして捨てられる、と。そういったロスに取り組んでいくためのお題とのことです。

私が前回の記事で書いていたのも、この点です。
ホームソーイングに限ったことではありませんが。

私が自分で編み物をしていく中で、半端糸や中古糸っていうのが、結構出る。
で、編み物学校のクラスメイトと話していても、微妙な量の毛糸が大量にある。
セーター着分とか、高級糸とかは、ネットの中古サイトで売りやすいのですが、
それに満たないような半端糸や、編んだものをほどいたような糸。
学校に通い始めた当時、私はゆくゆくはニットカフェみたいなものをやって、
そういう半端糸とか中古糸を店内に集めて、みんなで使える仕組みを作りたいなぁ、と
考えていました。
編みこみ模様に使ったりとか、家用靴下編んだりとか、小物作ったりとか、
半端品は半端品で使い道はあるので。
この毛糸の半端品を使って素敵なことをしているのが、
岩切恵美先生の『ちょっとかぎ針編み』(雄鶏社、2005.9)という本。
残念ながら絶版のようですが、作家さんならではの「家に半端糸山ほどあるんだろうなぁ~」と思わせる、いろんな毛糸をちょこちょこ使った素敵なグッズがたくさん。
(あと意外と必要になるのが棒針の編み始めに必要な、別鎖の作り目用の糸。新品を使うのがもったいないので、処分直前の糸が最適だが、本体と同系統の色が必要。本体と同じ糸だとやりにくい(笑))

さらに前回の記事では、裁縫でもそれに当たるものあるよね~と思い至ったわけです。

ちなみに食品では「フードサルベージ」という団体がやっている「サルベージパーティ(サルパ)」というおもしろいイベントがあります。(コロナ禍で今はやっていないかも)
自分の家にある賞味期限が切れそうな食材を持ち寄って、それを使ってみんなで料理してみんなで食べよう!というもの。
なんでも工夫次第で楽しく素敵にできるものだなぁと思います。

で、これ、一つポイントがあって。
サルパでもそうだし、ソーイングビーの今回のお題でもそうなんですが、
「自分が持っているもの」だけでなんかしようとすると「材料として足りない」んです。
「みんなが持っている不用品をミックスして選べる場」が必要。
私がニットカフェ的なところに半端品を集めて自由に使えるようにしたい、と考えたのもそれが理由です。


で、話としてもう少し大きくしちゃうと、
(私個人ができるできないは置いておいて、)
なんかネットでいろんな不用品や廃棄物の情報を共有して、
みんなで使える仕組みを作れないかなぁと思っています。

「ポツンと一軒家」という番組で以前見たのですが、
山奥の一軒家でほぼ自給自足をしているご家族が、
お子さんの学校通いに必要な現金収入を得るために、
鶏を飼って卵を販売している、というものがありました。
そのエサがすごい。
場所が四国だかなんだかうどん屋さんがたくさんあるそうで、
そのうどん屋さんが出汁を取ったあとの鰹節(普通にゴミ袋にいれて廃棄するやつ)、
米ぬか、養殖ホタテの貝殻、ほかにもなんかあったかもしれませんが、
そういった「廃棄物」にあたるものを集めて、調合してエサにしている。
この作業やっているのがなかなかイケメンのお父さんなんですが、
「全部ネットで調べた」とか言って、特に企業秘密にもせず、
テレビの取材に対して材料や作り方を淡々と説明してくれていました。
「今ってそういう時代なんだなぁ」と感動しました。
で、このお父さんが卵を街へ売りに行き、その帰りにうどん屋さんで鰹節のダシガラをもらってくる、みたいな合理的運営。
うどん屋さんだって廃棄物減れば助かるし。
卵を売る先も、保育園とかこだわりのイタリアンレストランとか、
安全性と美味しさを重視するところばかり。
山奥の一軒家で敷地に困らないので、鶏舎も、風通しが良く日の光も入る平飼い。
なんか、健康とか、エコロジーとか、人間と家畜の倫理的な在り方とか、
総コンプリートで感動しました。
海外から穀物飼料を仕入れなくても、国内の廃棄物混ぜ合わせてエサになっちゃうんですよ。
さらには混ぜ合わせるのに、コンクリートミキサーの中古品使っていました(笑)
(エサにするには少し寝かせて発酵させる過程が必要なようです。)

なんか、こういう知恵を集めたサイトを作れないかなぁと思うのです。
で、それぞれのところで「こういう廃棄物か出るよ~」みたいなデータベースがあって、
必要な人が取引できる、みたいなもの。
自分のところで出る「廃棄物」が、何の役に立つかはわからないと思うんですよ。
でも、「こういうものがあれば、こういうことができるのに」と思っている人もいる。
だから、とりあえず「うちではこういう廃棄物が出ます・あります」というデータが集まる場所を用意する。
そして「ポツンと一軒家」の鶏のエサのように、ネットで調べたら作り方載ってた、みたいな知恵の集積があれば、その知恵を使って何かできる人が増える。

以前、Brut Japan のツイッター動画でも、おもしろい例がありました。
フランスでは寿司ブームによって鮭の皮が大量に廃棄されるようになったそうですが、
その鮭の皮を薬品処理して、ワニ革や蛇革など爬虫類の皮の代用品として使う取り組みをしている企業があるとのこと。
この技術自体は、北欧にもともとあったものだそうで(確か)、
この技術を用いることで、革製品のために爬虫類を殺すことを減らし、廃棄物も減らすことができるという一石二鳥の取り組み。
頭の良い人というのは、こういうことを考えて実行する人だなぁといたく感動しました。
(一方で、「鮭は皮が一番美味しいのに~!!!」という、日本人による悲鳴みたいなコメントがたくさんついていたのが最高におかしかった。戦国武将がどれほど鮭の皮を愛好したかとか、そんなことするくらいならその皮を日本に輸出してくれとか、すごいことになっていた(笑))
ちなみにこの魚の皮を加工して衣類に用いる技術の伝統は、アイヌ民族も持っているとのことです。
また日本国内でも、魚の皮を加工して財布とか皮革小物を作っている企業もあるそうです。

あと、「鉄腕ダッシュ」の「ゼロ円食堂」で、廃棄される食材集めて回っていましたが、
あれも「え、こんなに捨ててたの?」とショックを受けました。
規格外の野菜とか、魚の大きな切り身が取れないしっぽの方とか、賞味期限切れが近づいた食品とか、「いやそれ全然食べられるし!!!」みたいなの。
そこの流通経路だと売り物にならないという類のもの。
魚のしっぽの方とか、切り身として売れないだけで、身をこそげ落としてふりかけとか作れるよ~!!!と思ったけど、そこの加工場や流通経路では扱えない、というもの。

あと、私が料理学校通っていた時に、
「フュメ・ド・ポワソン」という魚の洋風出汁も習いましたが、
こういう魚介の加工場から出る魚のアラでフュメドポワソン作って冷凍販売とか、
フュメドポワソン使った美味しい料理の作り方講座とか、やりたいなぁと思ったりします。
同じく鶏ガラや牛や豚のガラ使った洋風出汁も、玉葱や人参などの野菜と長時間煮込んで作りますが、その野菜類も、スーパーで売っているような丸々と太った美しい野菜使うのは
もったいなすぎるのね。私が貧乏だからかもしれないけど。
もう本当に規格外のクズ野菜が最適なんですよ。大きさなんかどうだっていいし、傷んだところだけ取り除けばいいんだから。

で、こういったことって、私一人で全部やろうとしてもできない(笑)
だから、どこで何の廃棄物が出るというリアルデータと、こういう使い方ができるという知恵の集積を作って、できる人、やりたい人が、それぞれアクセスして使えるようにしたい。
移動や配送が大変な遠方のものは使えないけど、近場のものだったら車で取に行ける、とか、その人それぞれの事情に合わせて使ってもらえるような仕組み。

ネットの中古サイトなんかは、一部そういう役割果たしている部分もありますが、
さすがに「鰹節のダシガラ」とかは出品されていないと思うし。

おもしろいのはメルカリで「トイレットペーパーの芯」が、「工作の材料用」としてたくさん出品されていること。
たまたまトイレットペーパーの芯が何かで脚光を浴びたんだろうなぁと思ったけど、
ほかのいろいろなものについても、いろんな使い道があるのだろうと思います。

私はコロナ禍以前は、洗面台やお風呂場周りの髪の毛を捨てる時に、何も考えずにティッシュペーパーにくるんで捨てていました(私の髪は剛毛のくせ毛なので、そのまま捨てるとゴミ箱周りが大変なことになります(笑))。
が、コロナ禍でトイレットペーパーなど紙類が店頭から消えた時(オイルショック時からの日本の悪しき伝統が海外にまで輸出されてしまいました)、「貴重なティッシュがもったいない」というのに加えて「あれ、私今まですごく無駄なことしていた?」と気が付きました。
それ以降、「包んで捨てる」目的の時は、新聞チラシを適当なサイズに切ってストックしておいて使うようになりました。爪を切った時とかもそういう風にしています。

あと、梱包用のクッション材も、本来は古新聞が最適なんだけどなぁと常々思います。
通販の配送も、プチプチか無地の紙をくしゃっと丸めたものとか使っているし、
BOOKOFFとかホームセンターとかで食器などの梱包用にも新品のクッション紙が用意されていて、まぁきれいだけど、エコではないよな、と思います。

私のネットショップでももう少し売れるようになってきたら、「エコロジー包装」みたいなオプションを選べるようにして、クッション材を新聞紙にするとか、再利用段ボールを使うとか選べるようにしようと思ったりしています(私の作る商品はイメージ重視の高額商品でもあるので、そういうのを嫌がる方もいるかなぁと思ったりしているのですが)。

逆に、通販で梱包材に使われていた無地の紙をきれいにしてとっておいて、裁縫用の型紙とかに使ったりしています(笑)
サザエさんの漫画では、サザエさんは新聞紙で型紙作ったりしています。
裁縫作家さんはともかく、ホームソーイングでは再利用品でいいんじゃね?と思ったりします。

ただ、こういう新聞チラシだの古新聞だの、梱包材の紙とか、
あるところにはあるけど、ないところにはない。
私も一人暮らしの時は新聞取っていませんでした。
「いらない人」と「使いたい人」の間をうまくつなげられたら、
私たちの社会はもう少し生きやすくて、もう少し優しい社会になるんじゃないかなと思っています。

2021年5月5日水曜日

座布団を編んでみた

編み物をタイトルにしているブログなんですが、
ずっと編み物の記事を書いていませんでした。
というか、ちょっと感情の許容量をオーバーしてしまって、
時事を記事にするのが辛くなってきました。
少し、編み物のこと書いてみたいと思います。


編み物はずっと何かしら編んでいたのですけども、
商品の試作品とか、古糸使った家庭用品とか編んでいたので、
ブログ向きのものがあまりありませんでした。

今回編んでみたのはこちらの座布団。青と紫、各2枚ずつ。



学校の提出課題とか販売用商品は、必ず仕上げアイロンするのですが
(商品の場合は洗いも)、
古糸使った家庭用品なので仕上げアイロンしておらず、
あっちこっちゆがんでおります。
見苦しくてすみません。

レシピはこちら。
『決定版 人気の手編みざぶとん』(著:橋本真由子、朝日新聞出版、2018)の
「バスケット編みのざぶとん」。



編み物学校の課題で、とにかく期限内に提出してハンコもらうためだけに作ったものが
少なからずありまして、
そういう「この先ぜってぇ着ない&使わねぇな」っていうものをほどいて、
糸再生して編んだものです。

まぁ資格取得を目的とした学校通いだと、
どうしても時間的&能力的な限界からくる妥協作品って発生するとは思うんですけどね。
そういうのほどきました。
試し編み用の半端糸とかは、つないで家用の靴下編んだりもしました。

で、この座布団の本、本屋さんでたまたま見かけて、
あんまりかわいいんで買っちゃったんですが、なんか今流行っているみたいですね。
「花座布団」とか言って、お花畑か花束かみたいな、バラやらカーネーションやらの
麗しいお座布団がたくさん掲載されています。
花座布団は見ている分には心ときめくのですが、私が家で使うにはちょっと主張が強すぎ(笑)
ま、お若い方が、ごくごくシンプルな家具に花座布団をメインにしてお部屋作りをなさるには、素敵だと思いますよ。
私は残り糸で実家のダイニング用にと思ったので、一番シンプルなものを選びました。


で、今回、この座布団編んでみていろいろ気づいたことがあります。
まず、この本に掲載されている麗しのお座布団、
みんなアクリルの極太糸で編まれています。
まぁこの手の編み物本は、毛糸メーカーの協賛というか宣伝でもあるので、
「うちのこの糸で可愛いもの作ってください」みたいなことになるんでしょうがないんですけどね。
あと、アクリル糸は、ウール100%よりもはるかにお安いし、発色も良いので、
特に若い方に需要があるのは致し方ないのかな、と思ったりはするんです。

ただ、なんかもう、アクリルとか化繊をあえてわざわざ生産するのって、どうなの?と
私は思っちゃうんです。
環境汚染のマイクロプラスチックとかって、化繊のもの洗濯しても出るんだそうで、
今まで作っちゃったものは仕方ないにしても、これから生産するのは減らしていこうよ、
と私は思います。
(もちろん靴下とか強度が必要なものには少し化繊が入っていた方がいいとか、
ラメとかモヘアとか特殊なデザイン上の都合で発生するものは、あまり否定しませんが。)

私は毛糸の中古サイトで、すごく高品質な工業用糸を仕入れていますが、
そういうサイトでは、アパレルメーカーの残り糸のほかにも、
個人の方の古糸なんかも大量に扱われています。
海外のレア糸買ったけど編まなかったから出品します、とかもありますが、
編み物好きだった母や祖母が持っていたもの、みたいな感じで、
すごい年代物の糸がゴソッと出てきたりします。
あと店じまいする手芸店の在庫品とか。

私が見ている分には、そういう大量の中古糸にも結構買い手がついているので、
まったく売れないっていうこともないのだろうけど、
多分、「中古サイトで売ればいいよ!」という発想のないご家庭とかで、
いまだに死蔵されている毛糸もたくさんあるんじゃないかと推測します。

いやまぁ何が言いたいのかというと、
座布団とか家用靴下とかそういう「余所行きアウター」じゃないものって、
こういう中古の糸で作ったらいいんじゃないの、という話です。

長年の間違った政治によって、日本は本当に貧しくなってしまって、
何でもかんでも100均で売っています。
椅子用の座布団とかも売っているんですが、
そういうのってもっと貧しい国からの搾取なので、
そうじゃないやり方をできないかなぁと、常々思っていました。
まぁお金持ちの方は、きちんとしたもの作って売っているところで、
きちんとしたお値段のものを購入していただければいいと思いますが。

お座布団に限った話じゃないんですけど、
日本が貧しくなったとは言え、日本国内にまだ過去のストックってすごくあるのね。
私が仕入れている工業用糸の半端品とかも、
「うひょ~!!!」と思うほどのとんでもねぇ高級品出てきます(血圧上がりますわ、そういうの見ると(笑))。
このコロナ&オリンピックの失敗で今後日本がどうなるのかわかりませんが(この手の高級品扱っている一流ブランドが日本から手を引いてしまう可能性もあります)、
なんかそういうのを国内でうまく回していくと、
私たちが貧しいからと言って、さらに貧しい国を搾取することを減らしていけるのではないかと思ったりします。
貧困の輸出という言い方したりしますね。

ただこれって時々ネットで炎上する案件でもあるのですが、
本当の貧困とは創意工夫するための土台がないということである、という部分に触れます。
つまり、私の言う「中古糸をみんなで活用しよう!」みたいな話も、
「編み物を習って何かを作れるようになる教育を受ける余裕がない」のが本当の貧困なんだ、ということです。
「コンビニ飯食ってないで、自炊して節約しろよ」というマウントに対して、
「実際の貧困とは、料理を学んだり、調理器具を用意したりする経済力がなく、
最低賃金で働きどおしのため、自炊するための時間や体力を確保することもできない状態である」ということです。

私もそれはわかっているので、
あくまでも、自民党政権を倒した後、社会を根本から作り変える段階で、
どういう方向に社会を構築していくかという青写真の話として
こういったことを書いています。


あとこれも似たような話なのですが、
先日、ネル生地を使ってパジャマ用ズボンを何本か作りました。
私は冷え性&汗っかきで腹圧が弱い(女性に多いです。虚弱体質だとそうなりやすいです)ので、固くて吸収性のない生地やゴムのズボンが苦手。
スカートも冷えが入るし掃除とかの作業がしにくいので、結果的に家で作業をするときは、パジャマのズボンにウィンブレパンツを重ねてすごすことが多くなりました。
で、パジャマのズボンだけ傷みが早いので、じゃぁズボンだけ作ればいいんじゃね?というわけで、すんごい久々に裁縫をやりました(笑)

で、布を裁つところからやってみて思い出しました。大量に端切れがでることを。
まぁ今回のパジャマズボンは、端切れ最低限にすべく、だいぶギリギリの裁断をしましたけど。
思い起こしてみれば、子供の頃、母の足踏み式ミシン(今も現役のブラザーミシン。結構レアもの(笑))を開けるたびに、母がビニール袋いっぱいに端切れを保管していて、
子ども心に「こういうの捨てればいいのに…」と思っていました。
コロナ前は和裁を習いたいと思っていろいろ検討していたのですけど、
洋裁はとにかく端切れ出ますね。
型がどうしても曲線というか、体やデザインに合わせて複雑な断ち方をするので。

私はキルト(パッチワーク)はやらないんですが、本来はこういう端切れ使ってキルトやるといいのになぁと、常々思います。
キルトってもともとは布が貴重品だった時に、古布や端切れを再利用するために生まれたものと聞いているのですが、今の日本のキルトは、あくまでも芸術的なというか、趣味のキルトが主流。
手芸屋さんでキルト用のカット生地がわざわざ売られているわけですよ。リバティとかの高級プリント生地が、キルト用に数十センチ四方にカットされて売られています。
見ている分には可愛くて「わぁ~この布使ってなんか作りた~い」みたいな気持ちにはなりますけどね。
まぁ、芸術性を追求するとか、好きなことを好きなものを使ってやる、というのは、
文化的活動として自由を保障されるべきだと思っていますが、
それとはまた別の、生活のレベルとしては、そういう「いろんなレベルで出る端切れ」を、
流通させて再利用するというのが根付くといいなぁという気持ちがあります。

「カオハガン・キルト」と呼ばれるものがありまして、
カオハガン島という島を買った日本人の関係者が、現地の女性たちにキルトを教えたのが始まりで、自然をモチーフにした独特な伸びやかさを持った作風のキルトとして人気があります。
私も大昔本で読んだのですが、賭け事くらいしか娯楽がなかった女性たちが、
古着をほどいたりしてキルトを作るようになって、みんなで木陰に集まって、
「これは〇〇ちゃんが着ていたTシャツだね」みたいな話をしながら、銘々キルトを作っている…みたいな美しい情景でした。
編み物学校(というか手芸学校)にも飾ってありました。
一昨年、あるイベントでカオハガンキルトが展示販売されているのを直接見る機会があったのですが、使っている布地がリバティ生地になっていて、「あれ…?」と思いました。
まぁ私と同じで「販売用の商品には新品の材料を使う」なのか、
たくさん作られているので「島民の古布使っていたのでは材料が足りない」なのか、
はたまた違う理由なのかはわかりませんが。

カオハガン島にはカオハガン島の事情があると思いますのでそちらは触れませんが、
これからの日本という意味では、新品のカットクロス使ったキルトだけではなく、
様々な形で発生する端切れを使ったキルト文化が、定着するといいなぁと思います。

私が大学卒業後初めて就職したのはぬいぐるみメーカーでした。
私は事務職でしたが、最初に国内工場での研修があって、生産の現場を見学しました。
その時生地を裁つ裁断機のことも説明を受けたのですが、
生地を無駄にしないために、たくさんの金型を複雑に組み合わせて並べ、一気に布を裁つというやり方をしていました。
それでも端の方とかは、捨てなきゃいけない生地はどうしても出ます。

ぬいぐるみはパーツが複雑なのでアパレルとはまた違うのかもしれませんが、
アパレルだとどういう形のどういう量の端切れが出るんでしょうね。
私が今回作ったネルのズボンは部屋着なので、柄を気にする必要もなく限界いっぱい布地使いましたが、それでも多少出た残り布で布ナプキン作りましたし、布ナプキンにすらならない端切れも残ります。

以前見たNHKの番組「新日本風土記」では、北前船の航路についての回で、
関東から古着としても売れない古布が北前船で東北に運ばれ、
その古布を裂いて織る「裂き織り」というものが紹介されていました。
そうやって古布を裂いた長い端切れを織機で織って分厚い布地にして、
半纏のような防寒着を作るというもので、現在もその文化を保存している会が活動しているということです。
その会の方々は「裂き織りは究極の『ボロ着』です」と仰っていました。
まぁ現代人は「ボロ」とか「ボロ着」とか言う言い方もあまりなじみがないかもしれませんが、かつて人々が野良着としていたもの、ほつれたり破けたりしたものを真っ赤な糸で補修したりして着ていたものを、文化的に検証した本とかあります(『木綿口伝』という本で実家の物置のどこかにあるんでそのうち発掘したいのですが…)。
補修に使った赤い糸のステッチとか、庶民の生活の中の工夫や文化が垣間見えるものであるそうです。
惜しむらくは、ボロ着を着ていた方が「こんなものを他人様に見せるのは恥ずかしい」と、調べに行く前に軒先で焼いてしまったりすることが少なからずあった、ということです。

キルトしかり、布が貴重品だった時代に、こうやって最後の最後まで大切に使っていたということでしょう。

さすがに現代は、もっと手軽に布地を入手することはできますし、
私も破れてしまったような古布は、台所の油拭きや掃除に使ってしまいますが、
それでも、今日本で布が安く手に入るからと言って、新品のものまで無駄にするのはどうなんだろう、と常々思います。

無印良品やユニクロでも新疆綿(ウイグル綿)を使っているようですが、
じゃぁほかの地域で生産された綿が、搾取が発生しない状態で作られたものかというとそうとも限らない、というツイートも流れていました。
その昔、ゾマホンさんも著書の中で、ベナンの綿花の収穫風景の写真を紹介し、綿花は1kg 100円だと「でも本当は1000円ね、1万円ね」と語っていました。
無印が悪い、ユニクロが悪い、ということではないのだけど、今の私たちの生活は、こういうことに支えられているのだと、常々思います。

じゃぁ今私たちが綿花を栽培して日本人が着るものすべてをまかなえるのかと言ったら
不可能なのは目に見えている。
だからせめて、ほかの国から分けていただいた資源を、無駄にしない使い方ができないかと、思うわけです。
私たちが「無駄なく使い切る」ことができれば、もっと高い値段で原料を買っても、
国内で十分使いまわせるのではないかと、私は思います。
端切れだからと捨ててしまえば、その分ほかの布地を仕入れなければならず、その分安く買いたたくことになる。
でも端切れを流通させて、工業製品じゃない形で、個々人が趣味のレベルででも生活用品として活用すれば、その分余計な材料をほかの国から買い入れなくて済むようになる。

別にキルトに限ったものではなく、端切れを使って何か使えるものを作る文化、
もっと発達してもいいんじゃないかなと思います。

私は裁縫やらないんで布地とかの中古サイトは見ていないんですが、
アパレル向けの工業用糸扱っている業者さんで、布地も扱っているところもあるようで、
レース地とかも工業用の残りを中古サイトに出している業者さんもいます。
もっと一般的には、オカダヤさんとか普通の手芸材料店で、布地の切り売りしているところでは、もうメーターで取れなくなったような残り地を、端切れとしてワゴンセールしていたりします。
裁縫方面あんまりわからないのでアレですけど、そういう端切れの組み合わせのテディベアとかも可愛いと思いますし、ぜひ芸術的センスの高い方に、そのあたりのジャンルを開拓していただきたいなぁと思ったりします。
(ぬいぐるみのメーカーにいたので、テディベアについては、私はいろいろ思うところあります(笑))

カオハガンキルトにしても、もともとは島民の女性が賭け事しか娯楽がないところへ、
キルトを教えたらみんなが楽しんで作って、それが高い評価を受けた、というものなので、
別に端から売り物にしようとか、人から絶賛されるものを作ろうとか思う必要ないと思うんですよ(現代のSNS文化の弊害です)。
「テレビを観るしかない」とか「スマホを見るしかない」状態が、
「手を動かして何か作るの楽しいよね」になれば、充分意味があるんじゃないかと私は思います。
以前新聞で読んだのですが、貧困家庭の児童向けに手作りのプレゼントを贈る活動をしている方が、「パチンコしかやることがなかった母が、活動を知ってプレゼントを手作りするようになってから、見違えるように活き活きして元気になりました」というお礼状を頂いたこともあったそうです。
共働きで子育て真っただ中(シングルマザーはもちろん)な方はのんびり手作りを楽しむ余裕なんかないとは思いますが、リタイヤした時、ドロップアウトした時、それぞれにできることを楽しんでやることができるというのは、生きがいにもつながるのではないかと思います。

私も子供の頃にやっていた編み物を再開したのは、うつ病で寝たきりになったからでした。
私はたまたま編み物が性に合っていたようで、生きる気力もなかったのが(というか自殺する気力がなかった)、どんどん面白くなっていって、より複雑なものを作っているうちに、少しずつ元気になっていました。


だいぶ長くなってしまったので、いったん終わりにしようと思いますが、
こういう生産現場で廃棄されるもの、各家庭で死蔵されているもの、
そういった「その人・その現場にとっては廃棄物」であるものが、
ほかの人にとっては「資源であり原料である」ということが往々にしてあります。
それらを生かす知恵や、廃棄物・デッドストックをみんながアクセスできるデータにして、
社会の中で生かす仕組みを作りたいなぁと以前から思っていました。
そういったこともまた別途、記事にしたいと思います。

2021年4月25日日曜日

自分よりも大きなものに寄りかかること

入管法改悪の件、数か所署名しました。
私は感情が揺れすぎるので文章化できないのですが、
端的に要点をまとめている方のツイート引用させていただきます。
(感情の揺れが収まったら、少しずつ文章にしていきたいと思います。)

mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.19)

「コロナ対策大失敗、ジェンダー不平等による人的リソースの持ち腐れ、軍隊的教育で抑圧され個性と自尊心を潰される子供たち、貧困な育児環境、小金持ち高齢者の不安と自衛による低消費、外国人の奴隷労働と殺人入管による海外からの不信と嫌悪。この辺て「人権」が守られてたらだいぶ解決するのでは。」


mipokoさんは、最近よく拝見させていただいているツイッター発信者ですが、
私が感情がこんがらがってわけがわからなくなっているような時にでも、
冷静に、端的に、要点を指摘してくださっているので、
とても尊敬しています。

私は感情の振れ幅が大きいので、辛いこと・苦しいこと・悲しいこと・怒りにも
ものすごく共振してしまい、自分が体調崩したりするので、
こういう風に的確に問題点を指摘してくださる方がいるととても助かります。
(私のこの共振・共鳴の性質は、喜びや楽しさでも起こります。
舞台芸術には必須の性質である反面、日常生活や世の中に問題があるようなときは、
非常に難しいものでもあります。)

*******

ネガティブな感情に負けてしまうので、少し時事からそれたことを記事にします。
時事からそれてはいますが、今起こっていることの根本的な原因でもあると思っていることを書きたいと思います。

「自分より大きなものに寄りかかること」、つまり「依存」についてです。

オリンピックがなければ、日本はここまで壊れなかったのではないか、
自民党が政権を取っていなければ、日本はここまで壊れていなかったのではないか、
あるいは日本の高度経済成長が、「男社会」によってなされていなければ…
といったこと、
なぜこうまで「間違いを認めて立ち止まることができないのか」ということについてです。

私が一番最初に「依存」という問題を意識することになった職場のお話です。

私が大学卒業後、初めて就職した会社はぬいぐるみ製造の会社でした。
私は専攻が文化人類学だったこともあり、現代社会や現代の文化に懐疑的で、
なんか人間の本質的なことに近い仕事を選びたいみたいな気持ちがありました。
今思うと、単に若くて世間知らずだったな、というだけですが。

当時は大学の就職課にあった会社案内と四季報だけが就活ツールだったので、
会社の実態を知ったのは入社後。
私の大嫌いなディ〇ニーのぬいぐるみが9割くらいを占めている会社でした。
入社直後は株式の店頭公開の準備をする部署に配属になりましたが、
その後あれよあれよという間に傾いて、店頭公開はお蔵入り。
私は入社2年目に一人暮らしを始めて、最初は家賃手当が出ていましたがそれもカット。
中国に生産の本拠地を移して国内工場はどんどん閉鎖。

しばらく私の持ちネタでもありましたが、
しまいにはボーナスが「ぬいぐるみの現物支給」になりました。
それも最新版の人気商品ではなく長期不良在庫品。
「7人の〇人」6人とか、同じのが2人いる7人とか、
そういうのがぎゅう詰めで段ボールひと箱。
挙句、「これは原価で2万円分の価値があります」ということで、
7月分の給与から、ボーナス分の源泉徴収として2千円引かれました。
実話です。
何年も後になって、新聞で現物支給は違法という記事読みましたけど、
当時は公認会計士がこれをやらせたみたいです。
ちなみにその現物支給品は、私の出身の保育園に、バザー出品用として送りました。

店頭公開準備の部署の上司も、「ぬいぐるみは利益率が高い」「作っても作っても間に合わない」と言っていましたが、
長く勤めていた先輩も、バブルの頃は「ディ〇ニーのぬいぐるみがおしゃれ」だったと言っていまいた。なんかソファーや出窓には〇ッキーのぬいぐるみが置いてあるもの、みたいな時代だったようです。
私はディ〇ニー苦手なのでそういう感覚わかりませんでしたが。
それでとにかく売れる、生産が追い付かない、どうやって生産量を増やすかだけを考えればよかった、と。

私が大学生くらいの時にはバブルはじけていましたし(厳密にはいつだか知らない)、
日本の流行も変わり始めて売り上げが下降線の一途をたどり、
ディ〇ニーからは「マーケティング部」を作って市場調査をし、売れるぬいぐるみを作るように、という指示が出ました。
それで部署は作ったけど、手法はわからず。売り上げも上がらず。
その当時まで長年独占契約を結んでいましたが、解除になり、ほかの勢いのあるぬいぐるみメーカーもディ〇ニー商品を作るようになりました。
このあたりで私が本格的に体調を崩して脱落。

生理痛についての記事でも書きましたが、私は大学時代から病院通いをしていて、
一人暮らしの通常の生活費の他に医療費もかさんでいたので、
本当にやりくりには苦労しました。
ただ、私は人生の一番最初にこの経験ができて良かったと思っています。
手取りがいくらだとどの程度の生活になるか、というのが、この経験のおかげでぱっとわかるようになりました。
その後実家に戻って渋谷に勤めるようになった時も、深夜残業が続く職場だったのですが、
当時の手取りで一人暮らしをすると職場に着ていく服が買えないのが目に見えていたので、最後まで実家から通いました。

まぁ、昭和感が色濃く残っていた会社でした。
私は水が合わず、体が腐っていくような辛さがありました。
良い時代のことを覚えているおじさんたちが、今の問題点も解決策も見いだせない。
上司は積極的にリストラをすることで銀行からほめられたと喜んでいましたが、
国内の工場を閉鎖したり、自社製品に思い入れを持っている配送部門が廃止になって外注したりすることについて、いろいろなことを見聞きしました。
あの時代どこの会社でも、遅かれ早かれ、大なり小なりそういうことはあったと思います。

ただ、あの会社について当時私が感じたのは、
ディ〇ニーという大きなものに、喰われてしまったな、ということです。
創業者のぬいぐるみにかける情熱によって、ディ〇ニーからの絶大な信頼を得たところから始まった関係でも、「ディ〇ニーさえ作っていれば売れる」ということを経験してしまうと、よほど強い人でない限り、寄りかかってしまうんだな、と。
そして「ひとたび」寄りかかってしまうと、「ぬいぐるみの現物支給」をするところまで落ちぶれるんだな、と。
私は苦労しました。家計のやりくりに苦労し、体調もさらに悪化し、自信もなくし、辛い思いをしました。
でも、社会に出て一番初めに、この、人間の弱さやずるさを見て、それがどんな結果を引き起こすかを身をもって経験できて本当に良かったと思いました。

その後いろいろ経て、渋谷にある舞台公演の企画制作の会社で、プロデューサーの下で制作として働くことになりました。
通常の演劇公演やコンサートなどの他に、日本舞踊や邦楽(お三味線やお琴など、人間国宝の先生方もいらっしゃる現場)のお仕事もさせていただき、本当に貴重な勉強をさせていただきました。

で、演劇公演などで俳優さんやアーティストの方などと接していていろいろ気が付いたことがありました。
大物の俳優・アーティストについているマネージャーさんなどのもちろんごく一部なんですけど、一定数、「何にもできない人」がいました。
大物の身近にいて、大物から必要とされていることだけが存在理由になってしまっている人。もちろん全員じゃなくて、一部です。
すごく独特な雰囲気なんですよ。すぐわかります。
舞台の現場は俳優・アーティストだけでなくスタッフも実力がすべてなので、
「ものすごく」異質です。
私は自分の中でそういう人たちを「腰巾着」と呼んでいました。
(会社にも厄介なお局様がいて、取締役の腰巾着で大変でしたが。)

そういう人たちも、本当に初めから自分の力が何にもなかったのではなく、
大物の近くにいて必要とされているうちに、必死で切磋琢磨しなくても生きられるようになってしまった。
そして自分の力を見失ってしまった。

ぬいぐるみの会社と同じだな、と思いました。

その数年後にも、私の人生の非常に大切な事柄において、
集団で腰巾着状態になってしまった人たちが、
私の止めるのを聞かずに誤った道にまっしぐらに突き進み、
壊滅状態になったこともありました。
(その時私は重度のうつ病になり、数年間自宅療養することになりました。)


自分よりも、大きな存在と、何かをする時。仕事でも、なんでも。
美徳とされている謙虚さとはまた違う意味で、
自分がその大きな存在を乗り越えてやる、というくらいの気概がないと、
人は必ず喰われてしまうんだな、と、私は何度も思いました。

向こう見ずとか無茶とも違うし、ネトウヨのイキリみたいなことでもないんです。
ただ、「大手と組んだから大丈夫」と思ってしまったら最後、喰われて終わります。
それは大手に悪意があるとかじゃないんです。
私はディ〇ニーが嫌いだけど、ディ〇ニーが悪意であの会社を喰い潰したとは思いません。
あの会社が、自分で自分をダメにしたのです。

私は何度もそういうのを見て、その被害を身をもって受けることも何度もありました。


今回のオリンピックについて、よく先の大戦と同じだということが言われていて、
「インパール2020(もう2021!)」などと揶揄されていました。

自民党はオリンピックを開催しさえすれば支持率を確保し、
今年の選挙で大勝できると考え、それ以外の道を考えることができませんでした。
安倍政権という醜悪な政権が8年も続いたのも、オリンピックによる利権が支えたからです。
そして政治にあまり関心のない日本人の多くも、
「オリンピックがうまくいけば自分も何となくうまくいくだろう」みたいな感覚だったのだろうな、と思います。
もっとも、政治に懐疑的な人たち、あるいは社会的に底辺にいる人たち(私)は、
「この政権のままオリンピックやったら日本終わるよね」と思い続けてきました。

そしてよく「肉屋を支持する豚」と揶揄されるネトウヨの人たち、
ネトウヨバイトの人もいるとの情報もありますが、
自分は一介の貧乏人でしかないのに、自民党の威を借るキツネになって、
政権を批判する人にことごとく暴論をふっかけています。
私は何年も前は、ネトウヨの人たちの考え方がまったく理解できませんでした。
自分が貧乏で不幸せで社会に怒りを抱えている人たちが、極左やアナーキズムに走るなら理解できるんです。
何故、現政権・自民党を支持するのか、まったく理解できなかった。
ただ単に勝ち馬に乗りたいだけ、優越感に浸りたいだけなんだということを理解するのに、
すごく時間がかかりました。
今この時の優越感のために自分の首を絞めているのに、そういうことは考えたくないんだろうなぁと今は思います。

自民党も同じで、オリンピックをしさえすればどうにでもなると思って、
真っ当なことを何もしないできたら結果的にオリンピックの開催さえも危うくなり、
無理やり開催したところであてにしていた収入はなく(税金で穴埋めしようとしているとは思いますが)、それでも止まれない。
止まったら責任を問われて「自分が終わる」から。


コロナ禍があるということを予測していたとかそういうことは全然ないけど、
自民党にこのままやらせていたら「絶対こういうことになる」と、
長い間たくさんの人たちが言い続けていたのに。
もう「だから言ったじゃん」と肩を落とし続けています。

海外の方々に対する非人道的なやり方、
日本人に対するひどいやり方、
自民党にやらせていたらこういう結果になると、わかっていたのに。

金と権力に喰われてしまって、人間であることを捨ててしまったんだなと思います。

私が、この人生で何度も何度も見たもの。
何度も何度も止めたのに、誰も聞かなかった。
そして、わかっていた結果になった。
その結果を目の当たりにして、私は身動きが取れなくなる。
心が固まってどうしていいのかわからなくなる。

今このひどい状況が、どこまでひどくなるのか、私は予測がつきません。
今ここで終わってほしいけど、
オリンピックをやってしまってさらにひどいことになるのか、
自民党でさえオリンピックをあきらめるほどのさらにひどいことが起こるのか、
あるいは人々の反対の声が何らかの形で届いて理性的にやめることができるのか、
今の私にはわかりません。

ただいずれにせよ、この後、壊滅的な状態から、社会を立て直す時間が必要になります。
私が一つ、希望を見いだせるとしたら、ルワンダが先例としてあることです。

ルワンダの虐殺の生存者であるイマキュレー・イリバギザ氏の『生かされて。』(著:イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン、翻訳:堤江実、PHP研究所、2006)を読んだ当時、
イマキュレー氏が生き残ったこと、そしてアメリカに渡り新たな人生を見出したことに、
心からの安堵を感じた反面、こんなことが起こってしまったルワンダは、
もう100年くらい壊滅的な状態が続くのだろう、と私は思いました。
ところが、数年前から、ルワンダがこの惨劇から復興を遂げているという情報を見るようになりました。住民総出でゴミ拾いをして地域を健全に保っている、というような。
昨年あたりにも、ルワンダの虐殺によって男性が減ったために女性の議員が増え、
結果的に進歩的な政治が行われるようになった、というツイートもありました
(ツイートした方は、「虐殺」そのものではなく「女性の議員が増えたこと」が大事なポイントだと注意書きしていました。私が『生かされて。』を読んだ印象だと、男性だけが特にたくさん殺されたという意味ではなく、虐殺の実行犯に男性が多く、たくさんの男性が刑に服したからではないかと推測します。)

そして非常に印象的だったのは、このコロナ禍において、イギリスから「安全国」として評価された国の中にニュージーランドや台湾など明らかに優等生な国々とともに、
ルワンダの名前もあったことです。

あの惨劇から、あの絶望から、復興することができるんだ、しかも、こんなに素晴らしい形で、と、本当に涙が出ました。

私達日本も、今、日本人だけでなく、日本に期待を抱いていくださっていた海外の方々に本当にひどいことをしていて、それが今まだ立ち止まることもできずにいる。
そして何とか立ち止まったその先に、本当に、壊滅状態からの復興、一からのすべての立て直しが待っている。
私の心が弱っている時、もう立ち止まることもやり直すこともできないのではないか、という気持ちに負ける時もある(そういう時は記事を書きません)。
でも、ルワンダは復興したんだ。こうやって、「コロナ安全国」と評価されるほどに。
私達にも、きっとできる。
お手本は世界にあるし、私たちの心の奥底にも、きっとある。

2021年4月15日木曜日

#汚染水の海洋放出に反対します 【追記】

#汚染水の海洋放出に反対します
#汚染水の海洋放出決定に反対します


一応、ツイッター上で気になる事柄を拾っておきます。


mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.13)

「スガに最後っ屁をさせて支持率下げさせて五輪中止になっても理由はこっちみたいに見せかけてスガを下ろしたいナニモノかの下手な謀略のような気がしてしょうがない。」


mipoko(@mipoko611)さんのツイートより引用。(2021.4.15)

「二階氏、五輪中止も選択肢 | 2021/4/15 - 共同通信 
汚染水海洋投棄といい、この人は手前勝手にどういう絵を描いてるんだろ。民主主義国家としてあるべき手続きを全部ぶっ飛ばして。」


一方で以前、文春砲について流れていた
大濱﨑 卓真(@oohamazaki)さんのツイート引用。(2021.3.19)

「なぜ文春砲が今年政界でこんなに炸裂しているか、そしてその砲弾の飛ぶ先が与党ばかりなのか、今日聞かれた。難しいことはなく、今年は総裁選(本戦)。昔は実弾飛び交う総裁選といえば、「実弾」の意味は札束だったが、今は文春砲という実弾に変わっただけ。着弾した議員を派閥で整理すればわかること。」


このツイートに対して、麻生派がリークしているんじゃないかというコメントも入っています。


いや、この手の政党内の内ゲバでなかったとしても、先日の福島近辺での地震で、
何か危ないんじゃないか、また隠ぺいしているんじゃないかという声はずっとツイッターで流れていました。

いや、内ゲバであったとしても、〇〇派が勝ったとか負けたとかじゃなくて、
「自民党 丸ごと」終了にしたいです。


で、前から図にして記事書きたいと思っていたのですが、
いまだにできていないのでもう文章だけで書いちゃいますけど、
福島沖というか、東北沖って、黒潮と親潮がぶつかるところで、
この二つの潮流がぶつかることで、たくさんの魚が集まる特殊な漁場になっている。
小学校の社会科で習ったんですけど。
何年か前の「ブラタモリ」で銚子についての回でもやっていて思い出しまいた。
福島から流した汚染水、潮流に乗って、この漁場を直撃。
銚子港がそうであるように、この漁場、日本各地から漁船が漁に来ていて、
ここで獲った魚を、各地の港で水揚げしている。
「〇〇港で水揚げ」と言っても、この漁場の魚であることもあるわけです。
というか、日本にここ以上の漁場ってないそうです(だから小学校で習うわけですが)。
なんか政府が話付けようとしているのって東北の漁業組合だけみたいな報道なんですが、
日本中全部影響しますよね。
あと海外の動画で、福島からの汚染水がこの潮流に乗って地球規模で広がっていく様を示したものもありました。

で、デジャヴュとしか言いようがないけど、
水俣病もこうして汚染された魚が山間部まで運ばれ、山間部でも水俣病患者が発生した。
で、チッソ側の人間は、工場排水飲んで見せたりしてました。
いや、麻生氏の発言出る前に、
小泉進次郎環境大臣が「汚染土を事務所の鉢植えの土にします~」とか言っていた時に、
「こいつは環境大臣のくせに、水俣で何が起きたかも知らないんだろうなぁ」と思いました。悪党はいつも同じことを言うということを、自分がまったく同じことをしていることを、知らないんだろうなぁと。
小泉進次郎は超のつくバカですが、自民党は、本当にこんなのばっかり。
(ていうかもう自民党の人に氏とか大臣とかつけて表記するのも嫌なレベル。やめよかな)


もうこんな社会は嫌です。
個々人の努力や、小さな願いがことごとく踏みつぶされていく、こんな社会は嫌です。
倫理観の欠片もない人たちに、一般庶民の生活が、人生が、踏みにじられる、こんな社会は嫌です。

私は、自分の国に誇りを持ちたい。
それはネトウヨが言うようなまやかしの誇りではない。
私たちの国は、道理的に間違ったことはしない、自分たちに対しても、世界に対しても、
そして地球上のほかの生き物たちに対しても、神様に対しても、
恥ずかしいことはしていない、と、そう思える国でありたい。
私がこれまで生きてきた中で、そう思える状態だったことは一度もない。
これからそういう状態に変えていきたいと努力してきたのが、私のこれまでの時間だった。

今の、貧しくて人々の心まですさんでしまった日本を見て、
もっと一般の庶民が豊かになる社会でなければ、と常々思っていますが、
それでもバブルの頃の雰囲気を見聞きして何となく知っている世代である私は、
あの状態に戻るようなことも嫌です。
世界中の名だたる芸術品などを価値もわからないのに金にあかせて買い占めていた日本、
カーネギーホールでカラオケをしてしまう日本(なんかバブル当時の悪評だけかと思ったら、2010年にもカラオケ大会があったようで、ちょっと理解が追い付きません……)、
国際社会から「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、金を持っているだけの野蛮人と笑われていた日本、
もうそんな恥ずかしい思いはしたくない。

名だたる経済大国でなくても、「真っ当な国」として認識してもらえる国でありたい。

もう何年もずっと思い続けていることではありますが、
本当に自民党政権を終わりにしよう。
自民党そのものを終わりにしよう。

先日肉球新党さんの缶バッジがセールになっていたので注文してみました。
バッグにつけています。

私個人は今、ここ5~10年くらいの間は、日本共産党に政権を取ってもらいたいと思っています。
私は震災以前から、菅直人(かんなおと)元総理を応援していましたし、
一つも誤りがなかったとは思っていませんが、少なくとも菅直人元総理が震災後も総理を続けていたのなら、あの天災を機に、日本は原発を完全に廃止し、もっと文化的で一般庶民が幸せである社会を築けていたのに、と今でも思っています。
ただ、現在の立憲民主党は、政権交代を第一目標にするあまり(それももちろん大切ですが)、変な要素が入りこみすぎている。
私は自分自身の経験から、この内側に入り込んだ変な要素を、制御できないことがどれほど危ないことかを身に染みて経験しています。
ちょっと危なすぎるなと感じています。
今現在の日本で一番真っ当な政党は、日本共産党であると私は思っているので、
今後の選挙は当面の間、日本共産党一択にするだろうと思います。
もちろん宇都宮けんじさんとか、「この人」という人が出る場合は、例外ですが。


今回のコロナ禍を見て、私はキリスト教徒ではありませんが、
「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。」といのはこういうことか、
と思わずにはいられませんでした。
まぁ私が感じたことは、正統なキリスト教徒の方々の解釈とは違うかもしれないので、
間違いであればこの記述は削除したいと思いますが。
ニュージーランドにしろ、台湾にしろ、人命を尊重し、知性を尊重した国は、コロナを制圧しています。
日本にしろ、アメリカにしろ、ブラジルにしろ、なんというか、金と権力と腕力でどうにでもなると高をくくっていた国は、総じて敗北。(アメリカは今後変わるかも)
女性が男性がとは一概に言えませんが、女性をリーダーにし、この危機に際して女性のリーダーの「言うことを聞くことができる」国は、それだけ文化レベルが高いんだなぁと思わざるを得ません。
日本では、女性男性というレベルではなく、震災当時の菅直人(かんなおと)元総理に対する態度、あれがそのまま同じです。責任を取って頭を下げる人を、叩く。
しばらく前に、ツイッターで流れてきたツイートで、イケてるタイプの男性が、
俺たちが菅直人を引きずりおろしてあざ笑っていたからこうなったんだ、みたいなこと言っているのがあって、「あ~この人はあざ笑っていたんだぁ」と思いましたよ。私は泣いていましたがね。
そういうとこね。本当に。ここまで来ないとわからんのか、と。
(何度も言いますが、菅直人総理がすべてにおいて完璧だったとは思いません。
ただ諸々の軌道修正も含め、私たちの側にもっと良いやり方があったはずだと思います。
あの当時のマスコミの意図的な報道の仕方は本当に気持ち悪かったです。
裏で何かが動いていて「こういう報道をすれば庶民を操れるだろう」という意図が見え見えでした。本当に気持ちが悪かった。後々、この点も解明してほしいと思っています。
多分それは、今の維新と大阪の関係と似たようなものではないかと推察します。)


私は政治家ではないので、政治については、自分が信を置く政党・政治家に投票する形で委託しますが(こういったブログや署名などでの政治運動はしますが)、
日常の社会の文化的なところは、自分にできる形で発信や役に立っていきたいと思っています。

別な文脈でブログ記事にしようと思っていましたが、
私は編み物を通して、女性の衣類を、もっと女性の健康に適したものに変えていきたいと思っています。体を冷やさず、不快感をなくし、動きやすく、安全なもの。
女性が心身共に健康になり、活動し、自分に誇りを持てるような衣料を作っていきたいと思っています。(冬物で考えています。)

また、家庭で加害に合い、居場所をなくした若い女性のシェルターなどで、編み物を教えるボランティア活動もしたいと考えています。
編み物が直接収入に結びつくことは難しいとは思いますが、編み物は自分自身と向き合う時間になりますし、スマホを眺めるしかやることがないという状態を解消します。
以前アメリカの刑務所で受刑者の男性に編み物を教えた方々がいて、素晴らしい効果があったという記事を読みました。ベルンド・ケストラーさんの本によれば、ドイツでは男性も編み物を楽しむそうで、本来は男性が編み物をして心身を鎮めるべきだと私は思います。
少数ながら男性のニット講師もいるので、活動が広がることを期待しています。

また、ここ数年料理の勉強をしていたので、いただいた生命を無駄にしない食べかた、共同体の中での廃棄を減らす仕組みづくりも考えていきたい。
調理師免許を持っていないのですぐには実行できませんが、いろいろ調べながら、少し時間がかかってもできることを広げていきたいと思っています。

私は私のできることを通して、この「昭和のオッサン文化」を駆逐し、
金と権力を振りかざして自分が強ければ何をしてもいいと思っている社会を終わりにしたいと思っています。
新しい日本を作るために「こんな仕組みを作れたらいいな」というものを、少しずつ記事にしていきたいと思います。

2021年4月14日水曜日

#汚染水の海洋放出に反対します

 #汚染水の海洋放出に反対します

もう本当にやめてほしい。
ありとあらゆることについて。
生命や自然を、環境を、地球を、踏みにじることを続けさせてはいけない。
沖縄の辺野古埋め立ても、根っこは全部同じ。
女性を踏みにじるのも、根っこは全部同じ。
コロナの対応も、根っこは全部同じ。
障がいのある人、社会的なマイノリティ、今懸命に生きようとしている人たちを
踏みにじるのも、根っこは全部同じ。
生命を踏みにじっている。

生命、自然、というだけで、説明はいらないはずなのに、
それがわからない人がこんなにたくさんいて、
私は長い間どうしていいかわからなくなって、何度も倒れた。

今、たとえ生命とか自然とか、存在するものの尊厳とか、
そういったことがわからない人でも、
お金のことしか考えられない人でも、わかるはず。
日本が福島第一原発の汚染水を海洋投棄したら、
もう国際社会の中で日本が存在する場所がなくなることを。


ono hiroshi(@hiroshimilano)さんのツイートから引用。(2021.4.23.)

「日本人は今後10万年全人類から忌み嫌われる対象になるよ。与党とか野党とかの次元の問題ではないですよ。」


Yojiro Iwaya(@yohjiroh)さんのツイートから引用。(2021.4.23.)

「ドイツ語メディアでも一斉に報じています。「全世界に対する宣戦布告だ」とのコメントもあります。」


もう本当にこれですよ。
日本関連製品の不買運動なんか普通に起こるでしょうし、
日本に食料を輸出してくれなくなるかもしれないし、
こんなに災害の多い日本で何かあった時に、国際社会は助けてくれなくなるでしょう。

お金のことしか考えられない人にだって、不利益しかないんですよ。
自分はお金持ちだから日本を捨てて海外に逃げ出せばいいとか考える人でも、
行った先のコミュニティで針の筵だと思います。


なんかもう、こういうお金の損得勘定の話じゃなくて、
生命、自然、地球、そういうことですべて、何をやめるべきか、何をするべきかが判断できる世の中であってほしい、本当に。
長い間ずっとそれを訴えてきたのだけど、何も実を結ばなくて、何度も自分が倒れてただ周りに迷惑をかけるだけの病人になってしまったことが、本当に苦しい。

でも、1か月先の話ではないので、
自民党政権を倒し、自民党がこれまでに決定してきたすべてのことを無効にすることで、
日本を作り直したいし、そうするしかないと思う。
自民党内のトップが変われば、なんて話ではない(以前からずっとそう言っているけど)。
自民党そのものが、もう解体されなければ。
自民党や公明党、維新だけでなく、「自民党的なるもの」すべてが解体されて威力を失わなければ。
私はこの「自民党的なるもの」を「昭和のオッサン文化」と言っていて、
この言い回しについて、昭和生まれの男性の中でもきちんとした倫理観と知性を持っている方が、嫌がる向きがあることも知っていますが、でもねぇ、「昭和のオッサン文化」というくらいに社会に浸透していて身近なものと認識しないと、変えられないものだと私は思っています。
自分は「自民党に投票しない」という男性でも、自分はほかの人よりも優れている、当然のことながら女性よりも優れていると、「信じる」よりももっと深く、規定の設定として認識すらしていない人が普通にいるから、こういうことが起きている。

本当に日本を根本から作り直さないと、もう私達が存在することができなくなる。

ちょっと今、悲しすぎて混乱している。
でも、今年、本当に自民党を終わらせよう。
こんな日本であることをやめよう。
今年の衆議院選で。その前に終わらせられるなら、その前に。