2020年7月16日木曜日

もだえ神様

もだえ神
って、聞きなれない神様ですね。

この言葉、
私が尊敬する二人の作家さんを通して
知りました。
石牟礼道子さんと、
石牟礼道子さんの言葉として紹介した
三砂ちづるさん。

石牟礼道子さんの地元では、
他の人の悲しみや苦しみを、
我がことのように受け止めて
身悶えして悲しんだり苦しんだりする
心優しい人を、
「もだえ神様」と言うのだそうです。

何にもできずに、
ただ自分を苦しめて
泣くことしかできないような人を、
それでも、
「あの人は神様だ」とありがたく思うような、
そういう土地柄なのでしょう。

三砂ちづるさんのエッセイの中で
(何の本だったか忘れてしまいました)、
育児に悩むお母さんたちの集まりで、
若いお母さんが
不安や悩みを打ち明けていた時に、
その場にいた知的障害の男性が、
「苦しいね、苦しいね、」と言って
おいおい声をあげて泣いた、
というエピソードがありました。
(記憶で書いているので、
 言葉や表現が違っているかもしれません。)

一方その場に男性の大学教授もいて、
女性的な感情を吐露する場が
居心地悪かったのか、
知的なアドバイスや批判をする。

でも、その場にいた人たちは、
知的障害の男性が声をあげて泣いたことに、
何か、慰められたような、
あたたかい空気を感じた、
ということでした。
この男性のような人を
「もだえ神様」と称するのだろう、
と紹介されていました。
(記憶で書いているので、以下同)


*******

なんか最近、自分のことを、
もだえ神様だな、と思うのです。
いや、偉いとか立派とか言う意味じゃなくて。

世の中のいろんなことが苦しくて、
でも、自分には何もできない。
だから、鬱になって寝込む
(最近は減りました)。
こんな無力な自分じゃいけないと責めたりする。

でも、たぶん、
「私はそのことを知っている」と言うだけで、
きっとそれは大きな違いなのだと思う。

東日本大震災の後、
私は鬱病になって自宅療養しました。
いろいろな事情が重なっていました。

闘病生活はお金がかかるので、
親からお金をもらうようになります。
今日〇〇のために1000円ください、
みたいなことになります。

病院に行くために通る地元の駅では、
ある時から私と同年代の男性が
『ビッグイシュー』の販売を
するようになりました。

私には当時350円のビッグイシューを買うお金が
ありませんでした。
そして私は、
その男性の前を素通りすることが
できませんでした。
それは、
「あなたなんて知らない」
=「あなたなんて何の価値もない」
というメッセージを発することになるから。

私は見栄っ張りなので、
無収入で親から少額の小遣いをもらっていても、
働いていた時に買った
かっちりしたトレンチコートを着て
歩いていました。
そういう
「お金を持っているように見える私」が、
ビッグイシューを買わないのは、
「あなたに興味がないから」
としか見えないだろう。

だから私は、
その男性の前を通ることができなくて、
遠回りして別の道を歩いていました。

震災や、長年の経済・政治の過りによって、
職を失って、
私はたまたま親に頼ることができただけ、
それだけの違いでしかないものを。

数年していくらか回復した時、
私は、社会貢献を熱心にしている会社に
就職しました。
私のような元鬱病患者や
(まだ完治していませんでしたが)、
ホームレスの人、障害のある人、
犯罪歴のある人も
積極的に採用することを掲げている会社でした。

1年くらい働いて少し慣れた頃に、
気安く話をさせてもらっている
採用担当の若い人に、
このビッグイシューを売っている男性の話を
しました。
年がたつごとに体調が悪化しているように見え、
不安でした。

ホームレスも採用すると言っているけど、
住む場所がない、スーツがない、
保証人がいない状況で、
この会社は採用する可能性があるのか、と。
その若い担当者は、
「正直たぶん難しいと思います」と答えました。

その会社は、日報の中で、
会社に対する改善案なども
提案する決まりになっていました。
それで、こういう事例があるので、
古いスーツを社内で集めたり、
保証人の制度を作ったりしてはどうかなどの
提案をしました。

そしたら上司が速攻ですっ飛んできて
(上司は準役員くらいでした)、
「かわいそうだから、という理由で
 採用はできない」と言われました。
ただ、能力のある人は以前採用したことがある、
とのことでした。

まぁ、営利企業なので、
それならそれで仕方ないな、と思ったのです。
本来は政府がやることなのだから。
社会貢献や慈善事業のために
経営が破たんするのは
営利企業としては間違っている、と
さんざん社長も言っていたので。
この会社はこういう方針で、
できるだけのことをやっているのだから、
今の私にできることはここまでだろう、と。

そうして社会復帰しようと必死で働いている間、
その販売員がいる駅を使っていませんでした。
そして、ある時その駅を通ったら、
その人はもういませんでした。

おそらくは、死を選んだのだろう、と思います。

他の駅で、ビッグイシューを売っている方で、
しばらくいなくなって、
でもまた販売をして、という方がいました。
その方は、すごくエネルギーのある感じで、
仕事を得ることができたら仕事をして、
職を失ったら販売員をして
がんばっているのだなという印象を受けました。

でも、私の地元の駅にいたその人は、
だんだんにビッグイシューを売る気力も
失っているようでした。

もしかしたら、誰か助けてくれる人がいて、
どこか別の場所で元気でいるかもしれません。

でも私は、きっとあの人は死を選んだのだろう、
と感じました。

別に、あの会社が彼を殺したとも思わないし、
私が彼を殺したとも思いません。
鬱病上がりで再就職したばかりの私に
できることは限られていたし、
あの会社は営利企業として
できる範囲のことをしていた。

ただ、私は、
あの人があの場所に立っていたことを
覚えています。
もう何年も経ったけど、私は覚えています。
私は、「あの人を知らない」とは言いません。
同じ場所を通る時、
私は神様に
「私はあの人がここにいたことを知っています」
と言います。

私は今までに何もできていません。
でも、いつも、
「どうしたらあの人のような苦しみ方をする人が
 いない世の中を作れるだろう」
と思っています。

多分その思いがあるとないとでは、
いくつかの選択肢が目の前に現れた時に、
何を選ぶのかが違ってくるのだろうと思います。
例えば選挙の時に。
例えば何を言うか言わないか、
という判断の時に。

*******

森友学園に関して文書改竄をさせられ自殺した
近畿財務局の赤木さんの裁判が始まりました。

私は何もできないけど、
それでも、「それを知らない」とは言いません。
私はこのことを知っていて、見ていると、
私は言います。

誰も見ていないと思うなよ、と思います。

宇都宮けんじさん応援のフリーバナーでも、
素敵な言葉がありました。
「私たちは微力だけど無力じゃない」。

2020年7月15日水曜日

#GoToキャンペーンを中止してください

#GoToキャンペーンを中止してください
#GoTo予算を医療に回せ


いつもながら、ツイッターで時間をそろえて
やるべき時にできない私が、
またしても遅ればせながら
しかもブログで(笑)。
今回もフリーのバナーお借りしました。

正直、
いろいろなことに一つ一つ怒っていくことって、
すごくエネルギーいるし、疲れるのだけど、
間違っていることは間違っているよ、
と言わないといけないと思う。

誰も何も言わないと、
それでいいと思ってしまうから。

*******

ここからちょっと話変わりますが、

今に始まったことじゃないけど、
世の中のいろいろなおかしいことが
どうにもこうにも苦しくて、
身動きが取れなくなってしまっていた時に、
瞑想か何かしたのです。
(あるいは朝目が覚めてぼんやりしているときに
 思い浮かんだのか。)

怒らなくていい。
怒らずに正しいことをやりなさい。

と、いう言葉が浮かびました。

人がたくさん死ぬじゃないか~!
苦しむじゃないか~!!
ということに怒るなって、
それむずかしいんですけど(笑)、
でもたとえば旅館みたいなところで、
脱ぎ散らかされたスリッパや靴をみかけたら
機械的にきれいにそろえる、とか、
それで、スリッパや靴をきれいに脱ぎましょうと
淡々と伝え続ける、とか、
そういう感覚に近いのかな、
思い浮かんだイメージは。

正しい状態はこうだよ、
それは間違っているよ、
だからそれはやめようね、と、
継続して伝え続けるみたいな感覚でやれ、と。

まぁ、それは私みたいに感情が強くて
悲しみや怒りで鬱になって寝込むような人間向けの
アドバイスなんだろうけど。

怒るだけのエネルギーがあって、
それを有効な方向に発信したり行動できる人は、
その能力やエネルギーを
社会が大きく進歩するように生かしてほしいなぁと
思うけど。

私は自分の怒りでつぶれてしまうので、
「その怒りの部分だけ手放しなさいよ」
ということなのかな、と思いました。

なので、今回も、淡々と、
そして無視せずに発信しました。
(というか、怒っている時間は
 PC開けなかった(笑))

2020年6月29日月曜日

編み物を通して私が伝えたかったこと

私は編み物が好きで、
手作りの作品を作って売るための宣伝として、
そして、編み物をする人が
もっと増えたらいいな、と思って、
このブログを始めました。

でも、私が編み物を通して
本当に伝えたいことは、
「ものを愛して大切にする生き方」です。

今私は、商品として、
あるいは学校の課題として、
新品の毛糸を使って一から作品を作る、
ということをしています。
まずは売り物を作って売らなければ
収入がない(笑)のと、
学校を卒業できないから。

でも、本当にやっていきたいのは、
もう使わなくなった
古いセーターやマフラーをほどいて、
毛糸を再生して、別な作品を作ること。

私が子供の頃、両親が共働きだったために、
祖母が手伝いにきてくれていました。
祖母はよく、古いものをほどいて
水につけて干した毛糸で、
また違うものを編んでいました。
私が小学校時代のセーターも、
何枚かそういうふうにして編んでもらいました。

私は、祖母からその生き方を教えてもらって、
本当に良かった。
ぎりぎり、昭和の文化を受け継ぐことが
できたことを、本当に感謝しています。

今時の小学校が
どういう雰囲気なのかわかりませんが、
編み直したセーターを着ていたら
バカにされてしまうのかな、
と心配したりもしています。

でも、汚れてしまったり、
サイズやデザインが合わなくなってしまった
古いセーターやマフラーにも、
それを使っていた時の思いは
たくさん詰まってます。
それをほどいて、かせにして、
一晩水につけて、干して、丁寧に手巻して、
そうやってまた違うものに再生していく。
その毛糸が、毛糸として生きている限り、
一緒に生きて行く。

本当はそんなことがしたいと
編み物学校で言った時、
当時の担任の先生も、
ほどいた糸で編み込みをして、
作り直すたびにその色の模様が
だんだん小さくなっていくんだよね、
と仰っていました。
次々と本や雑誌に新しい作品を発表する
プロの先生でも、編み物をする人は
そういう思いを持っているんだなぁと
思いました。

今は、安いニット製品が、
どこでもいくらでも売っています。
毎年毎年違うデザインで、
大量に売られています。
確かに若くて自分に自信がない人は、
「今年のニット」を着ていれば、
堂々としていられたり、
モテるような気がするのかもしれません。
でも、そんな風に使い捨てするニットに
愛着は持てません。
自分が持っているものを愛せないって、
実は全然自分を愛していないってことだなぁと、
年を取った私は思います。

他の人から見たら、
ただの古いニットかもしれない。
でも、自分がそれを着ていた時の
いろいろな思いを、大切にすること。
その毛糸が生きている限り、
愛おしんで、大切にすること。
最後まで使い切ること。

そういうことを、私は伝えたいのです。
本当は、そういうワークショップを
やりたいのです。
(知人にそう言ったら
 「それ工数大変だね~」と言われました。
 まぁ2時間のお気楽ワークショップでは
 ありませんがね。)

そうやって、ものを愛して大切にすることが、
本当は、生きているすべてを
愛して大切にすることと、
イコールなんじゃないかな、と思います。

セーターとして使えなくなったって、
ほどいて編みこみ模様にすればいいじゃない。
帽子にすればいいじゃない。
手袋にすればいいじゃない。
毛糸の下着や、靴下や、ひざかけや、小物や、
いろんなものにできるじゃない。

そうやって、あなたがあなたである限り、
一緒に生きていこうよ。
あなたを愛しているのだから。

すべてのものに、そういう愛を持って、
生きて行きたいのです。
そういう愛に気付き、
実行するための技術を持った人が、
増えてほしいな、と思うのです。

別に、そのための技術が編み物だけだとは
思っていません。
裁縫の世界ではダーニングもはやっていますし、
料理でも、大工仕事でも、
いろいろなやり方があります。

経済は、停滞するでしょう。
物が売れなくなるので。
でも、物が売れることが
イコール幸せなのではないと、
感じている人はたくさんいる。

そして、ものに対してこういう愛情を抱く人が、
「人」を粗末にするわけはない、と思うのです。

ものを愛し、人を愛し、
どんなものも、どんな人も、
その時その在り方で、
最大限に大切にして生かしていく。
そういう世の中であってほしいのです。

私にとって、それを伝えるツールが、
編み物なのではないかな、と思っています。

*******

そして、そういう心根で
東京都を生き返らせてくれるのは、
#宇都宮けんじ さんだと私は思います。
誰も見捨てない、
みんなで生きて行く東京を作るために。
#宇都宮けんじさんを都知事にしよう



2020年6月26日金曜日

#宇都宮けんじさんを都知事にしよう

先日、東京都知事選挙の期日前投票に行き、
#宇都宮けんじ さんに投票してきました。


もう、嘘も見栄えも何もいりません。
ただ、本当にひとりひとりが生きていける世の中を作るために、
私は宇都宮けんじさんを応援します。


バナーとか、どうやって使うのかわからなくて
触ったことなかったのですが、
今回、宇都宮けんじさんを応援するたくさんの人たちが、
素晴らしいバナーをフリーで提供してくださっているので、
使わせていただきました。

多分、本来はツイッターでやるべきなのでしょうけど。
「#」もですが。。

私は感情が強く振れるタイプなので、
ツイッターのように即発信するタイプのものは苦手です。

間違ったことを書いていないか、
誰かを傷つけていないか、
確信が持てないので、
書いたものをしばらく寝かせて、
時間をおいて読み直してからUPしています。

#BLACK LIVES MATTER の記事も、
ニュースをキャッチした時に感情のままに書きましたが、
ずいぶん長い時間寝かせました。

多分、選挙の応援を有効的にするためには、
良いと思った情報をどんどん発信するツイッターが
良いのだろうと思うのですが、
私にはどうにも向いていないようなので、
ブログに地道に書いていこうと思います。
(たぶん自己満足にしかならないのだろうけど。。)

選挙前日まで、社会や心についての記事を書くときに、
うつけんバナーを使わせていただこうかな、と思っています。

2020年6月25日木曜日

かぎ針編のサマーワンピース

編み物学校の課題で作ったものシリーズ。

夏だっていうのに(日本は梅雨ですが)、
もっさりとした冬物ニットばっかり掲載していたので、
たまには夏物を。


ごくごくシンプルな形のワンピース。
シンプルだけど、スタイル良く見えるための小技はいっぱい詰まっています。
もっとも、このトルソー自体が、
女の私が見てもうっとりするようなナイスバディなんですが。


シルバーグレーの夏糸で、しっかりめに編みました。

まだ編み物学校に通う前、
本を見て夏物のレースのスカートを編んだことがあります。
ところが、出来上がったスカートをはいて歩いていると、
いつの間にか、スカートが伸びている。。。
朝は膝丈、午後はセミロングな感じ。

で、編み物学校に行ったら、
このことについても先生が教えてくださいました。
ゲージの取り方についてですね。

ゲージというのは、ある編み方を自分が編んだ場合、
10㎝×10㎝のサイズが何目・何段で編めるか、
という数値を出すための試し編みです。
この数字をもとに、
作ろうとしている形に対しての目数や段数を決めていきます。

で、通常はゲージは10㎝四方で取ることが多いのですが
(10㎝四方内を均等にするため、15㎝四方で編んで、
 目のそろった場所で10㎝を測ります)、
スカートやワンピースのように縦に長いものを作る場合は縦長の、
襟のように横に長いものを作る場合は、横長のゲージをとる必要があります。
編地は、長さのある方向に延びる性質があるそうです。

それに加え、スカートやワンピースのように、
長くて重さがかかるものについては、
縦長のゲージ(例えば10㎝×25㎝くらい)を編んで、アイロンをして、
さらに、一晩ぶら下げて(!)自然に伸びた状態にしたものを測る。

こうすると、前述の私のように、
午前と午後でスカートの長さが違う、
ということにならずに作れるということです。

というわけで、このワンピースも、
一晩ぶら下げたゲージで、
しかも重さで伸びないようにきっちりめのゲージで編みました。
確かに伸びません。


本当はこのワンピースの課題の時、
もっとグリグリに昭和な夏ワンピにしたかったのですが、
その時の課題のテーマに合わずに先生に却下されました。
それで、テキスト掲載作品に近いごくごくシンプルなラインにまとめたのですが、
それでも結構「昭和感」が出ていたようです。
作品お披露目の時に、たまたま後頭部ででっかいお団子巻いていたら、
先生に「50年代風の髪とワンピースでかわいいねぇ。。」とほめていただきました。
50年代ってピーナッツとかだっけ?と思ったら、
もう一時代前みたいですね。

BLACK LIVES MATTER

たくさんの犠牲を経て、
今なお解決できていないたくさんのことを、
苦しく思います。

すべての人の生命が尊重されるように。
すべての人の尊厳が尊重されるように。
人が、人を苦しめては、いけない。

私たちはまだ肉や魚を食べなければ生きていけないから、
動物や魚を殺すし、
植物も殺して食べる。

けれども、人が人を殺さなくても生きていけるはず。
人が人の大切なものを奪ったり傷つけたりしなくても生きていけるはず。

ヒエラルキーの下にいる人が
押しつぶされる苦しみに悲鳴をあげるのを、
押さえつけてどうするのだ。

その人が悲鳴をあげなければならなくなるまで
放っておいたのは私たちなのに。
そんなヒエラルキーを存続させて利益を得ていたのは
私たちなのに。

ツイッターで見た写真で、
黒人の少女が掲げているボードに
的確で素晴らしい言葉が書かれていたので、
シェアさせてください。


WE SAID       → BLACK LIVES MATTER
NEVER SAID  → ONLY BLACK LIVES MATTER
WE KNOW   → ALL LIVES MATTER

WE JUST NEED YOUR HELP
WITH #BLACK LIVES MATTER
FOR BLACK LIVES are IN DANGER!

@sarahwillsphoto

2020年6月11日木曜日

大きなタートルネックのラグランスリーブセーター②

前回の続きです。
今回は色のお話。


学校の課題でこの作品を作ったのですが、
糸がその年の限定カラーで、廃番になってしまう色だったので、
少し多めに買い足しました。

で、このグラデーション糸、
複雑な模様を編まなくても素敵なニュアンスが生まれるスグレモノなのですが、
毛糸玉をつなぐ時が最悪です。
せっかくのグラデーションのニュアンスがぶち壊しにならないように、
できるだけ同じ色合いのところでつなごうとすると、
近い色が出てくるまで糸を引っ張り出したりするわけです。

そんなわけで、大量に半端な長さの切れ糸が発生します。

今回のこの糸、ほんとにお高い糸なので、
勿体ないやらなんとやらで、
半端糸つなげて、ベレー帽を編みました。


糸の有効活用が目的で、色合わせそんなにこだわらなかったので、
色の変化不自然なところがあります。

デザインは、リッチモアの販促チラシ(?)に載っていたレシピ。
「アルパカレジェーロのベレー帽」です。
糸は「アルパカレジェーロ(毛糸の商品名)」ではなく
「カウニス(毛糸の商品名)」ですが。

*******

で、こんなめんどくさいところもあるグラデーション糸ですが、
前の担任の先生から、面白い話を聞きました。

カラーグラデーションを作るには、
グラデーション糸を使う以外にも、
細い糸を何本か引きそろえて、少しずつ色を変えていくという方法があります。
最初は細い青い糸4本で編み始めて、途中から1本を白に変え、
次に2本を白にして…という風に、調整していきます。
この方法だと、前身頃と後ろ身頃、袖など、
色が出るタイミングを自分で決められる利点があります。
(私はこの技法をまだ使ったことがありません。)

で、この編み物学校は海外でも人気の先生がいらして、
その授業の時には海外から飛行機でいらっしゃるという
熱烈なお金持ちの生徒さんがいたそうです。

その卒業制作展を、私の担任の先生が見に行った時に、
あるグラデーションカラーの作品で、
前身頃と後ろ身頃の色合いがぴったり合っているものがあったので、
その先生に、前述の引きそろえ技法で色を調整したのかと聞いたそうです。

そしたら、その作品は海外から来ているお金持ちの生徒さんの作品で、
なんと、自分のゲージに合わせて、前身頃・後ろ身頃・袖など、
色がぴったりに出るように、職人さんに糸を染めさせたのだそうです。

金持ちすげぇ~と思いました。
その発想、私に無いわ。

前身頃と後ろ身頃って形が違うので、
同じグラデーション糸で、同じ色のところからスタートしても、
色が合わなくなるんですわ。

まぁしかし、こういうお金持ちとか絶対権力者というのは、
社会的に問題がないわけではないのだけど、
技術の進歩とかの部分で、大きな役割を果たすことがあるなぁというのは、
思わざるを得ないことです。

以前、ジャニーズの舞台装置の技術がすごいという話を聞いたことがあるのですが、
それはジャニー喜多川さんが「やって」と言えば、
誰も「No」と言うことができず、
どんなに難しい技術でも実現せざるを得ないからだ、ということでした。

ま、お金持ち云々を抜きにしても、
グラデーション糸、
同じところからスタートする毛糸玉作ってほしいなぁ。