私の実家は、比較的緑が残っている地域です。
学生の時や社会人になりたての頃は
東京が遠くて嫌でした。
ドロップアウトしてから気づいたのですが、
そういう東京のはずれの住宅街の中に、
たくさんの恵みがありました。
例えばヨモギ。
河原とか、山の近くとか、公園の周りに
にょきにょき生えています。
私は中野区の下町で一人暮らしをしていた時、
お風呂用のヨモギをネットで買っていました。
ヨモギは、昔から身近な薬草として
重用されてきました。
韓国のヨモギ蒸しとか若い女性にも人気です。
私は自分でお灸をするのですが、
お灸の原料でもあります。
それが今では、年に数回業者さんに
除草されてゴミとして処分されています。
晴れが続く時期に、ヨモギを切ってきて、
洗って陰干しにすると、
お風呂用ぐらいなら十分使えます。
それから、実がなっている街路樹にも
気が付きました。
実がたくさん落ちて腐るに任せています。
父に聞いたら、ヤマモモとのことでした。
ネットでヤマモモの食べ方を調べたところ、
ジャムとかヤマモモ酒とかいろいろ
出てきました。
試しに採ってきて作ってみるか、と思ったら
豪雨が続いて、今年は採ることが
できませんでした。
似たような感じで銀杏も長年気になっています。
銀杏並木は素晴らしく美しいのですが、
銀杏が落ちるとどうにも臭いですよね(笑)
でも、銀杏をスーパーで買うと結構お高い。
料理学校の先生が仰っていたのですが、
上野公園でホームレスの方が
公園内の銀杏を拾って売っているのだとか。
それってめっちゃ良くないですか!!
銀杏って栄養価の高い貴重な食品なのに、
道や公園では誰にも活用されずに、
ただ臭くて汚いものとして
清掃業者さんに処分されるだけ。
本当にもったいないし、間違っている。
山の近くの道路を歩いていると、
山に自生している栗の実がゴロゴロ落ちている
ことがあります。
試しに拾ってネットでゆで方を調べて
食べてみましたが、美味しかったです。
栗くらいメジャーな山の恵みは、
拾っていく人も多いようです。
あと微妙にモヤモヤするのが、どんぐり。
公園の中とか、古くからある地域には
どんぐりのなる立派な木があって、
すごい量のどんぐりが落ちています。
公園や公道に落ちたものは、
結局は業者さんが処分してゴミになってしまうと
思うのですが、あれ何とかなりませんかね。
無性にもったいない。
多分すごい栄養価があると思う。
ネットで見たら生で食べられるものもある
ようですが、どんぐり料理ってあるんだろうか。
いや、人間が無理して食べなくても、
例えば動物園とかのリスのエサにしたりとか、
イベリコ豚よろしく
養豚場で食べてもらったりとか
資源として役に立つものだと思う。
誰が集めるんだ、費用は、収益は、
という世の中だから、ゴミとして
処分しているとは思うのです。
でも、なんかそれで今の世の中
うまく回っているとは思えないのです。
実家のある住宅街やその周辺も、世代交代で
新しいご家族がたくさん入っていますが、
新しい家は、庭を造らないところ多いです。
私も懸命に仕事して
何度かドロップアウトしたので、
家を買えるほど仕事頑張り子育てもしたら、
庭いじり無理なの本当によくわかります。
だからその家族一つ一つがどうとかじゃなく、
社会全体の問題です。
長距離通勤して、長時間勤務しないと
生きていけない世の中。
なんかスピリチュアル的なことじゃなくて、
私が政治を動かさなきゃどうにもならんわ、
と思うのは、こういうことです。
ただ、そういう方向に政治を動かす動機は、
人間らしい生活とか、
自然と調和した生き方が必要だと
気が付くことだと思います。
多分古くからいらっしゃるんだなぁと思う
お家では、建物は新しくても、
干し柿を干していらっしゃったりします。
おばあ様がいらっしゃって、
庭の柿の実を干していらっしゃるのかな、
と思って眺めています。
柿の木があっても、鳥に食べさせて終わり、
のお家も多いです。
実家には柚子の木があって、小さな木なのに
たくさん実をつけます。
ネットで柚子茶の作り方を調べて作りましたが、
ずいぶん重宝しました。
肥料をやるわけでもないのに、
毎年実をつけてくれます。
*******
海外の情報を見ていると、庭でとれたものを
シェアする地域があるようです。
ビッグイシューの記事でも、
料理を多めに作った人が必要な人にシェアする
仕組みが生まれたという記事を読みました
(スマホのアプリを使っているみたいです)。
そういうのを見ると、食べ物を食べ物として
活かすことを真剣に考えていて、
いいなぁと思います。
日本でそういう活動をするときの壁になるのが、
愉快犯的な悪意の存在だなぁといつも思います。
一時日本でも、レストランでの食べ残しの
持ち帰りができるようになりましたが、
最近はもうお店が持ち帰らせてくれません。
何かあった時に店がつぶれるからでしょう。
食べ物や生き物の命が何よりも重要である
という共通認識と、信頼関係を作ることが
最重要だなぁと思います。
生命を尊重し、信頼し合っている社会で、
庭にも街路樹にも実のなる木がたくさん
植えられていて、その実が社会の中で
循環している……
公園や道端のどんぐりを集めて、
養豚場や動物園に届けて、
季節の果物をジャムにして保存して、
お互いの採れたものをシェアして……
そういうことをよく夢想します。
そういう循環があれば、海外に食料を
依存する率も、かなり減ると思うのです。
小さな信頼関係のできているところから、
始めるといいのかもしれません。
2020年7月26日日曜日
2020年7月25日土曜日
おすすめの編み物道具 ①棒針編
最近重い記事が続いたので、
今日は軽めの話題を。
あ、ブログタイトルがKnitなので、
編み物記事だけ読みたい方は、
ラベルの「編み物」をクリックして
ソートしてください。
*******
私のおすすめの編み物道具です。
まずは基本中の基本、
棒針。
結論から言ってしまえば、
私のおすすめの棒針は
以下2点の併用。
①チューリップ㈱ キャリーC
切り替え式輪針のシリーズ
②ハマナカ㈱ アミアミくつした針
くつした用短針5本組のシリーズ
(もう少し長い短針の5本組もあり)
このおすすめは、
これから編み物を始めたい方向けです。
編み針は、いろいろなタイプが出ていて、
値段もいろいろです。
上記のシリーズは、
ばら売りされていて、
お値段も安め(!)
ずっと続けるかもしれないし、
マフラー1枚編んでやめちゃうかもしれない。
そういうわからない状態の時に、
やめちゃっても大損しないし、
続けたければ買い足して揃えて
一生ものにできるシリーズです。
ケースも後から買えます。
*******
編み針の針先っていうのは、
各社工夫をこらして作っていて、
メーカーによって微妙に違います。
自分にとっての使いやすい形を
見つけていただければいいのかな、と
思います。
私が一番好きな針先は、
ダイヤ毛糸㈱の棒針だったのですが、
もう編み針の製造を
やめてしまっているようです。
そのダイヤ毛糸㈱の
針先のニュアンスに近いのが、
近畿編針㈱のSeeknitシリーズ。
が、こちらは揃え方が
ちょっとめんどくさい。
長く続ける決意をして、
良い道具が欲しい、と思った方に
おすすめ。
編み物学校の最初の担任の先生は、
クロバー㈱の匠シリーズ
おすすめみたいです。
こちらはお高いので
(たぶん最高品質)、
諸々余裕のある方は、どうぞ。
*******
で、ちょっと原点に戻って、
そもそも棒針って何さ?って話と、
いや、輪針って何さ?って話。
一番オーソドックスなのが、
2本の玉付棒針と呼ばれるもの。
普通の人が編み針と聞いて
思い浮かべるものはこれかと。
これは平面しか編めません。
それに対して、
4本の棒針は、
輪にしてグルグル編みができます。
これが本来の形で、
2本の玉付棒針は
利便性から生まれたものと聞いています。
輪っかのグルグル編みもできるし、
2本だけ使えば平面も編めます
(輪ゴムや専用器具で留めると良い)。
昔のやり方が好き、
道具の本来のあり方が好き、という
玄人好みの方は、
ぜひ4本針をお使いください。
私も本来は4本針派なのですが
(何しろ見栄っ張りの格好つけなので
玄人っぽいものに弱い(笑))、
現代生活の中で
無理なく編み物を続けていくには、
輪針が便利です。
4本針のように
輪のグルグル編みもできるし、
2本針のように平面も編めます。
それでいて、
場所を取らないので、
電車の座席や、待合室などでも、
自分のスペースの中で
編み物ができます。
4本針・2本針は長くて
隣の人の席まで届いてしまうのと、
先端恐怖症の人もいるので、
人が多い場所ではおすすめしません。
(小さいお子さんがいる場所では
輪針でもやめた方が良いと思います。)
昔はこの輪針、
針先とコードが一体型になっていて、
針先の号数と
コードの長さによって、
無限のコレクションが生まれてしまう
困ったさんでした。
が、コードを切り替えられるタイプができて、
状況が変わりました。
匠のケース入りの
豪華切り替え式輪針セットとか、
まぁ、お金持ちの方は
どんと行っちゃってくださいって
感じなのですが、
私はうつ病で寝たきりだった時に
編み物再開して
細々と道具を買い足していったので、
私のおすすめは
そういう感じです(笑)
で、編み物学校に入った時に、
担任の先生が
ケース入りの短針のセットを使っていらして、
なんで短針なんか
フルセットで持っているんだろうと
思っていたのですが、
だんだんわかってきました(笑)
輪針は輪編みも平面編みもできて、
セーターとか作っている分には
充分なのですが、
靴下や手袋、帽子など、
最後にしまって終わるもの、
4本針じゃないと編めないんです。
しかも、長いとめっちゃイライラする!
ので、結論。
切り替え式輪針と、
短針の併用。
で、短針も各社いろいろ出ていますが、
ハマナカ㈱さん、お安いですよ~。
匠シリーズと比べると、
えっ!と思うと思います(笑)
ハマナカ㈱の靴下用5本針のシリーズ、
実はチューリップ㈱の
エティモ(かぎ針)のケースが
ジャストフィットでした(笑)
この靴下用5本針おすすめの理由は、
このケースに入ることもその一つ。
針増えてくると、
ケースないとほんと
扱いがめんどくさいんです。
まぁかなりの独断&偏見のおすすめなので、
ご参考までに。
あと、クロバー㈱の匠シリーズは
わりとどこの手芸店でも扱っていますが、
私のおすすめ品が確実に買えるのは、
新宿のオカダヤさんです。
新宿のオカダヤさんまで
交通費かけて行くか、
通販で送料払うか、
だったら近くの手芸店で
匠シリーズ買った方が
安いんじゃねぇの、とか、
あるかもしれません(笑)
編み物学校に行って本格的にやろう!と
思っている方は、
その学校のおすすめに従ってください。
今日は軽めの話題を。
あ、ブログタイトルがKnitなので、
編み物記事だけ読みたい方は、
ラベルの「編み物」をクリックして
ソートしてください。
*******
私のおすすめの編み物道具です。
まずは基本中の基本、
棒針。
結論から言ってしまえば、
私のおすすめの棒針は
以下2点の併用。
①チューリップ㈱ キャリーC
切り替え式輪針のシリーズ
キャリーCロングのケースにキャリーCを収納しています。 |
②ハマナカ㈱ アミアミくつした針
くつした用短針5本組のシリーズ
(もう少し長い短針の5本組もあり)
このおすすめは、
これから編み物を始めたい方向けです。
編み針は、いろいろなタイプが出ていて、
値段もいろいろです。
上記のシリーズは、
ばら売りされていて、
お値段も安め(!)
ずっと続けるかもしれないし、
マフラー1枚編んでやめちゃうかもしれない。
そういうわからない状態の時に、
やめちゃっても大損しないし、
続けたければ買い足して揃えて
一生ものにできるシリーズです。
ケースも後から買えます。
*******
編み針の針先っていうのは、
各社工夫をこらして作っていて、
メーカーによって微妙に違います。
自分にとっての使いやすい形を
見つけていただければいいのかな、と
思います。
私が一番好きな針先は、
ダイヤ毛糸㈱の棒針だったのですが、
もう編み針の製造を
やめてしまっているようです。
そのダイヤ毛糸㈱の
針先のニュアンスに近いのが、
近畿編針㈱のSeeknitシリーズ。
が、こちらは揃え方が
ちょっとめんどくさい。
長く続ける決意をして、
良い道具が欲しい、と思った方に
おすすめ。
編み物学校の最初の担任の先生は、
クロバー㈱の匠シリーズ
おすすめみたいです。
こちらはお高いので
(たぶん最高品質)、
諸々余裕のある方は、どうぞ。
*******
で、ちょっと原点に戻って、
そもそも棒針って何さ?って話と、
いや、輪針って何さ?って話。
一番オーソドックスなのが、
2本の玉付棒針と呼ばれるもの。
普通の人が編み針と聞いて
思い浮かべるものはこれかと。
これは平面しか編めません。
それに対して、
4本の棒針は、
輪にしてグルグル編みができます。
これが本来の形で、
2本の玉付棒針は
利便性から生まれたものと聞いています。
輪っかのグルグル編みもできるし、
2本だけ使えば平面も編めます
(輪ゴムや専用器具で留めると良い)。
昔のやり方が好き、
道具の本来のあり方が好き、という
玄人好みの方は、
ぜひ4本針をお使いください。
私も本来は4本針派なのですが
(何しろ見栄っ張りの格好つけなので
玄人っぽいものに弱い(笑))、
現代生活の中で
無理なく編み物を続けていくには、
輪針が便利です。
4本針のように
輪のグルグル編みもできるし、
2本針のように平面も編めます。
それでいて、
場所を取らないので、
電車の座席や、待合室などでも、
自分のスペースの中で
編み物ができます。
4本針・2本針は長くて
隣の人の席まで届いてしまうのと、
先端恐怖症の人もいるので、
人が多い場所ではおすすめしません。
(小さいお子さんがいる場所では
輪針でもやめた方が良いと思います。)
昔はこの輪針、
針先とコードが一体型になっていて、
針先の号数と
コードの長さによって、
無限のコレクションが生まれてしまう
困ったさんでした。
が、コードを切り替えられるタイプができて、
状況が変わりました。
匠のケース入りの
豪華切り替え式輪針セットとか、
まぁ、お金持ちの方は
どんと行っちゃってくださいって
感じなのですが、
私はうつ病で寝たきりだった時に
編み物再開して
細々と道具を買い足していったので、
私のおすすめは
そういう感じです(笑)
で、編み物学校に入った時に、
担任の先生が
ケース入りの短針のセットを使っていらして、
なんで短針なんか
フルセットで持っているんだろうと
思っていたのですが、
だんだんわかってきました(笑)
輪針は輪編みも平面編みもできて、
セーターとか作っている分には
充分なのですが、
靴下や手袋、帽子など、
最後にしまって終わるもの、
4本針じゃないと編めないんです。
しかも、長いとめっちゃイライラする!
ので、結論。
切り替え式輪針と、
短針の併用。
で、短針も各社いろいろ出ていますが、
ハマナカ㈱さん、お安いですよ~。
匠シリーズと比べると、
えっ!と思うと思います(笑)
ハマナカ㈱の靴下用5本針のシリーズ、
実はチューリップ㈱の
エティモ(かぎ針)のケースが
ジャストフィットでした(笑)
チューリップ㈱さんのグッズはかわいい! |
このケースに入ることもその一つ。
針増えてくると、
ケースないとほんと
扱いがめんどくさいんです。
ご参考までに。
あと、クロバー㈱の匠シリーズは
わりとどこの手芸店でも扱っていますが、
私のおすすめ品が確実に買えるのは、
新宿のオカダヤさんです。
新宿のオカダヤさんまで
交通費かけて行くか、
通販で送料払うか、
だったら近くの手芸店で
匠シリーズ買った方が
安いんじゃねぇの、とか、
あるかもしれません(笑)
編み物学校に行って本格的にやろう!と
思っている方は、
その学校のおすすめに従ってください。
2020年7月16日木曜日
もだえ神様
もだえ神
って、聞きなれない神様ですね。
この言葉、
私が尊敬する二人の作家さんを通して
知りました。
石牟礼道子さんと、
石牟礼道子さんの言葉として紹介した
三砂ちづるさん。
石牟礼道子さんの地元では、
他の人の悲しみや苦しみを、
我がことのように受け止めて
身悶えして悲しんだり苦しんだりする
心優しい人を、
「もだえ神様」と言うのだそうです。
何にもできずに、
ただ自分を苦しめて
泣くことしかできないような人を、
それでも、
「あの人は神様だ」とありがたく思うような、
そういう土地柄なのでしょう。
三砂ちづるさんのエッセイの中で
(何の本だったか忘れてしまいました)、
育児に悩むお母さんたちの集まりで、
若いお母さんが
不安や悩みを打ち明けていた時に、
その場にいた知的障害の男性が、
「苦しいね、苦しいね、」と言って
おいおい声をあげて泣いた、
というエピソードがありました。
(記憶で書いているので、
言葉や表現が違っているかもしれません。)
一方その場に男性の大学教授もいて、
女性的な感情を吐露する場が
居心地悪かったのか、
知的なアドバイスや批判をする。
でも、その場にいた人たちは、
知的障害の男性が声をあげて泣いたことに、
何か、慰められたような、
あたたかい空気を感じた、
ということでした。
この男性のような人を
「もだえ神様」と称するのだろう、
と紹介されていました。
(記憶で書いているので、以下同)
*******
なんか最近、自分のことを、
もだえ神様だな、と思うのです。
いや、偉いとか立派とか言う意味じゃなくて。
世の中のいろんなことが苦しくて、
でも、自分には何もできない。
だから、鬱になって寝込む
(最近は減りました)。
こんな無力な自分じゃいけないと責めたりする。
でも、たぶん、
「私はそのことを知っている」と言うだけで、
きっとそれは大きな違いなのだと思う。
東日本大震災の後、
私は鬱病になって自宅療養しました。
いろいろな事情が重なっていました。
闘病生活はお金がかかるので、
親からお金をもらうようになります。
今日〇〇のために1000円ください、
みたいなことになります。
病院に行くために通る地元の駅では、
ある時から私と同年代の男性が
『ビッグイシュー』の販売を
するようになりました。
私には当時350円のビッグイシューを買うお金が
ありませんでした。
そして私は、
その男性の前を素通りすることが
できませんでした。
それは、
「あなたなんて知らない」
=「あなたなんて何の価値もない」
というメッセージを発することになるから。
私は見栄っ張りなので、
無収入で親から少額の小遣いをもらっていても、
働いていた時に買った
かっちりしたトレンチコートを着て
歩いていました。
そういう
「お金を持っているように見える私」が、
ビッグイシューを買わないのは、
「あなたに興味がないから」
としか見えないだろう。
だから私は、
その男性の前を通ることができなくて、
遠回りして別の道を歩いていました。
震災や、長年の経済・政治の過りによって、
職を失って、
私はたまたま親に頼ることができただけ、
それだけの違いでしかないものを。
数年していくらか回復した時、
私は、社会貢献を熱心にしている会社に
就職しました。
私のような元鬱病患者や
(まだ完治していませんでしたが)、
ホームレスの人、障害のある人、
犯罪歴のある人も
積極的に採用することを掲げている会社でした。
1年くらい働いて少し慣れた頃に、
気安く話をさせてもらっている
採用担当の若い人に、
このビッグイシューを売っている男性の話を
しました。
年がたつごとに体調が悪化しているように見え、
不安でした。
ホームレスも採用すると言っているけど、
住む場所がない、スーツがない、
保証人がいない状況で、
この会社は採用する可能性があるのか、と。
その若い担当者は、
「正直たぶん難しいと思います」と答えました。
その会社は、日報の中で、
会社に対する改善案なども
提案する決まりになっていました。
それで、こういう事例があるので、
古いスーツを社内で集めたり、
保証人の制度を作ったりしてはどうかなどの
提案をしました。
そしたら上司が速攻ですっ飛んできて
(上司は準役員くらいでした)、
「かわいそうだから、という理由で
採用はできない」と言われました。
ただ、能力のある人は以前採用したことがある、
とのことでした。
まぁ、営利企業なので、
それならそれで仕方ないな、と思ったのです。
本来は政府がやることなのだから。
社会貢献や慈善事業のために
経営が破たんするのは
営利企業としては間違っている、と
さんざん社長も言っていたので。
この会社はこういう方針で、
できるだけのことをやっているのだから、
今の私にできることはここまでだろう、と。
そうして社会復帰しようと必死で働いている間、
その販売員がいる駅を使っていませんでした。
そして、ある時その駅を通ったら、
その人はもういませんでした。
おそらくは、死を選んだのだろう、と思います。
他の駅で、ビッグイシューを売っている方で、
しばらくいなくなって、
でもまた販売をして、という方がいました。
その方は、すごくエネルギーのある感じで、
仕事を得ることができたら仕事をして、
職を失ったら販売員をして
がんばっているのだなという印象を受けました。
でも、私の地元の駅にいたその人は、
だんだんにビッグイシューを売る気力も
失っているようでした。
もしかしたら、誰か助けてくれる人がいて、
どこか別の場所で元気でいるかもしれません。
でも私は、きっとあの人は死を選んだのだろう、
と感じました。
別に、あの会社が彼を殺したとも思わないし、
私が彼を殺したとも思いません。
鬱病上がりで再就職したばかりの私に
できることは限られていたし、
あの会社は営利企業として
できる範囲のことをしていた。
ただ、私は、
あの人があの場所に立っていたことを
覚えています。
もう何年も経ったけど、私は覚えています。
私は、「あの人を知らない」とは言いません。
同じ場所を通る時、
私は神様に
「私はあの人がここにいたことを知っています」
と言います。
私は今までに何もできていません。
でも、いつも、
「どうしたらあの人のような苦しみ方をする人が
いない世の中を作れるだろう」
と思っています。
多分その思いがあるとないとでは、
いくつかの選択肢が目の前に現れた時に、
何を選ぶのかが違ってくるのだろうと思います。
例えば選挙の時に。
例えば何を言うか言わないか、
という判断の時に。
*******
森友学園に関して文書改竄をさせられ自殺した
近畿財務局の赤木さんの裁判が始まりました。
私は何もできないけど、
それでも、「それを知らない」とは言いません。
私はこのことを知っていて、見ていると、
私は言います。
誰も見ていないと思うなよ、と思います。
宇都宮けんじさん応援のフリーバナーでも、
素敵な言葉がありました。
「私たちは微力だけど無力じゃない」。
って、聞きなれない神様ですね。
この言葉、
私が尊敬する二人の作家さんを通して
知りました。
石牟礼道子さんと、
石牟礼道子さんの言葉として紹介した
三砂ちづるさん。
石牟礼道子さんの地元では、
他の人の悲しみや苦しみを、
我がことのように受け止めて
身悶えして悲しんだり苦しんだりする
心優しい人を、
「もだえ神様」と言うのだそうです。
何にもできずに、
ただ自分を苦しめて
泣くことしかできないような人を、
それでも、
「あの人は神様だ」とありがたく思うような、
そういう土地柄なのでしょう。
三砂ちづるさんのエッセイの中で
(何の本だったか忘れてしまいました)、
育児に悩むお母さんたちの集まりで、
若いお母さんが
不安や悩みを打ち明けていた時に、
その場にいた知的障害の男性が、
「苦しいね、苦しいね、」と言って
おいおい声をあげて泣いた、
というエピソードがありました。
(記憶で書いているので、
言葉や表現が違っているかもしれません。)
一方その場に男性の大学教授もいて、
女性的な感情を吐露する場が
居心地悪かったのか、
知的なアドバイスや批判をする。
でも、その場にいた人たちは、
知的障害の男性が声をあげて泣いたことに、
何か、慰められたような、
あたたかい空気を感じた、
ということでした。
この男性のような人を
「もだえ神様」と称するのだろう、
と紹介されていました。
(記憶で書いているので、以下同)
*******
なんか最近、自分のことを、
もだえ神様だな、と思うのです。
いや、偉いとか立派とか言う意味じゃなくて。
世の中のいろんなことが苦しくて、
でも、自分には何もできない。
だから、鬱になって寝込む
(最近は減りました)。
こんな無力な自分じゃいけないと責めたりする。
でも、たぶん、
「私はそのことを知っている」と言うだけで、
きっとそれは大きな違いなのだと思う。
東日本大震災の後、
私は鬱病になって自宅療養しました。
いろいろな事情が重なっていました。
闘病生活はお金がかかるので、
親からお金をもらうようになります。
今日〇〇のために1000円ください、
みたいなことになります。
病院に行くために通る地元の駅では、
ある時から私と同年代の男性が
『ビッグイシュー』の販売を
するようになりました。
私には当時350円のビッグイシューを買うお金が
ありませんでした。
そして私は、
その男性の前を素通りすることが
できませんでした。
それは、
「あなたなんて知らない」
=「あなたなんて何の価値もない」
というメッセージを発することになるから。
私は見栄っ張りなので、
無収入で親から少額の小遣いをもらっていても、
働いていた時に買った
かっちりしたトレンチコートを着て
歩いていました。
そういう
「お金を持っているように見える私」が、
ビッグイシューを買わないのは、
「あなたに興味がないから」
としか見えないだろう。
だから私は、
その男性の前を通ることができなくて、
遠回りして別の道を歩いていました。
震災や、長年の経済・政治の過りによって、
職を失って、
私はたまたま親に頼ることができただけ、
それだけの違いでしかないものを。
数年していくらか回復した時、
私は、社会貢献を熱心にしている会社に
就職しました。
私のような元鬱病患者や
(まだ完治していませんでしたが)、
ホームレスの人、障害のある人、
犯罪歴のある人も
積極的に採用することを掲げている会社でした。
1年くらい働いて少し慣れた頃に、
気安く話をさせてもらっている
採用担当の若い人に、
このビッグイシューを売っている男性の話を
しました。
年がたつごとに体調が悪化しているように見え、
不安でした。
ホームレスも採用すると言っているけど、
住む場所がない、スーツがない、
保証人がいない状況で、
この会社は採用する可能性があるのか、と。
その若い担当者は、
「正直たぶん難しいと思います」と答えました。
その会社は、日報の中で、
会社に対する改善案なども
提案する決まりになっていました。
それで、こういう事例があるので、
古いスーツを社内で集めたり、
保証人の制度を作ったりしてはどうかなどの
提案をしました。
そしたら上司が速攻ですっ飛んできて
(上司は準役員くらいでした)、
「かわいそうだから、という理由で
採用はできない」と言われました。
ただ、能力のある人は以前採用したことがある、
とのことでした。
まぁ、営利企業なので、
それならそれで仕方ないな、と思ったのです。
本来は政府がやることなのだから。
社会貢献や慈善事業のために
経営が破たんするのは
営利企業としては間違っている、と
さんざん社長も言っていたので。
この会社はこういう方針で、
できるだけのことをやっているのだから、
今の私にできることはここまでだろう、と。
そうして社会復帰しようと必死で働いている間、
その販売員がいる駅を使っていませんでした。
そして、ある時その駅を通ったら、
その人はもういませんでした。
おそらくは、死を選んだのだろう、と思います。
他の駅で、ビッグイシューを売っている方で、
しばらくいなくなって、
でもまた販売をして、という方がいました。
その方は、すごくエネルギーのある感じで、
仕事を得ることができたら仕事をして、
職を失ったら販売員をして
がんばっているのだなという印象を受けました。
でも、私の地元の駅にいたその人は、
だんだんにビッグイシューを売る気力も
失っているようでした。
もしかしたら、誰か助けてくれる人がいて、
どこか別の場所で元気でいるかもしれません。
でも私は、きっとあの人は死を選んだのだろう、
と感じました。
別に、あの会社が彼を殺したとも思わないし、
私が彼を殺したとも思いません。
鬱病上がりで再就職したばかりの私に
できることは限られていたし、
あの会社は営利企業として
できる範囲のことをしていた。
ただ、私は、
あの人があの場所に立っていたことを
覚えています。
もう何年も経ったけど、私は覚えています。
私は、「あの人を知らない」とは言いません。
同じ場所を通る時、
私は神様に
「私はあの人がここにいたことを知っています」
と言います。
私は今までに何もできていません。
でも、いつも、
「どうしたらあの人のような苦しみ方をする人が
いない世の中を作れるだろう」
と思っています。
多分その思いがあるとないとでは、
いくつかの選択肢が目の前に現れた時に、
何を選ぶのかが違ってくるのだろうと思います。
例えば選挙の時に。
例えば何を言うか言わないか、
という判断の時に。
*******
森友学園に関して文書改竄をさせられ自殺した
近畿財務局の赤木さんの裁判が始まりました。
私は何もできないけど、
それでも、「それを知らない」とは言いません。
私はこのことを知っていて、見ていると、
私は言います。
誰も見ていないと思うなよ、と思います。
宇都宮けんじさん応援のフリーバナーでも、
素敵な言葉がありました。
「私たちは微力だけど無力じゃない」。
2020年7月15日水曜日
#GoToキャンペーンを中止してください
#GoToキャンペーンを中止してください
#GoTo予算を医療に回せ
いつもながら、ツイッターで時間をそろえて
やるべき時にできない私が、
またしても遅ればせながら
しかもブログで(笑)。
今回もフリーのバナーお借りしました。
正直、
いろいろなことに一つ一つ怒っていくことって、
すごくエネルギーいるし、疲れるのだけど、
間違っていることは間違っているよ、
と言わないといけないと思う。
誰も何も言わないと、
それでいいと思ってしまうから。
*******
ここからちょっと話変わりますが、
今に始まったことじゃないけど、
世の中のいろいろなおかしいことが
どうにもこうにも苦しくて、
身動きが取れなくなってしまっていた時に、
瞑想か何かしたのです。
(あるいは朝目が覚めてぼんやりしているときに
思い浮かんだのか。)
怒らなくていい。
怒らずに正しいことをやりなさい。
と、いう言葉が浮かびました。
人がたくさん死ぬじゃないか~!
苦しむじゃないか~!!
ということに怒るなって、
それむずかしいんですけど(笑)、
でもたとえば旅館みたいなところで、
脱ぎ散らかされたスリッパや靴をみかけたら
機械的にきれいにそろえる、とか、
それで、スリッパや靴をきれいに脱ぎましょうと
淡々と伝え続ける、とか、
そういう感覚に近いのかな、
思い浮かんだイメージは。
正しい状態はこうだよ、
それは間違っているよ、
だからそれはやめようね、と、
継続して伝え続けるみたいな感覚でやれ、と。
まぁ、それは私みたいに感情が強くて
悲しみや怒りで鬱になって寝込むような人間向けの
アドバイスなんだろうけど。
怒るだけのエネルギーがあって、
それを有効な方向に発信したり行動できる人は、
その能力やエネルギーを
社会が大きく進歩するように生かしてほしいなぁと
思うけど。
私は自分の怒りでつぶれてしまうので、
「その怒りの部分だけ手放しなさいよ」
ということなのかな、と思いました。
なので、今回も、淡々と、
そして無視せずに発信しました。
(というか、怒っている時間は
PC開けなかった(笑))
#GoTo予算を医療に回せ
いつもながら、ツイッターで時間をそろえて
やるべき時にできない私が、
またしても遅ればせながら
しかもブログで(笑)。
今回もフリーのバナーお借りしました。
正直、
いろいろなことに一つ一つ怒っていくことって、
すごくエネルギーいるし、疲れるのだけど、
間違っていることは間違っているよ、
と言わないといけないと思う。
誰も何も言わないと、
それでいいと思ってしまうから。
*******
ここからちょっと話変わりますが、
今に始まったことじゃないけど、
世の中のいろいろなおかしいことが
どうにもこうにも苦しくて、
身動きが取れなくなってしまっていた時に、
瞑想か何かしたのです。
(あるいは朝目が覚めてぼんやりしているときに
思い浮かんだのか。)
怒らなくていい。
怒らずに正しいことをやりなさい。
と、いう言葉が浮かびました。
人がたくさん死ぬじゃないか~!
苦しむじゃないか~!!
ということに怒るなって、
それむずかしいんですけど(笑)、
でもたとえば旅館みたいなところで、
脱ぎ散らかされたスリッパや靴をみかけたら
機械的にきれいにそろえる、とか、
それで、スリッパや靴をきれいに脱ぎましょうと
淡々と伝え続ける、とか、
そういう感覚に近いのかな、
思い浮かんだイメージは。
正しい状態はこうだよ、
それは間違っているよ、
だからそれはやめようね、と、
継続して伝え続けるみたいな感覚でやれ、と。
まぁ、それは私みたいに感情が強くて
悲しみや怒りで鬱になって寝込むような人間向けの
アドバイスなんだろうけど。
怒るだけのエネルギーがあって、
それを有効な方向に発信したり行動できる人は、
その能力やエネルギーを
社会が大きく進歩するように生かしてほしいなぁと
思うけど。
私は自分の怒りでつぶれてしまうので、
「その怒りの部分だけ手放しなさいよ」
ということなのかな、と思いました。
なので、今回も、淡々と、
そして無視せずに発信しました。
(というか、怒っている時間は
PC開けなかった(笑))
2020年6月29日月曜日
編み物を通して私が伝えたかったこと
私は編み物が好きで、
手作りの作品を作って売るための宣伝として、
そして、編み物をする人が
もっと増えたらいいな、と思って、
このブログを始めました。
でも、私が編み物を通して
本当に伝えたいことは、
「ものを愛して大切にする生き方」です。
今私は、商品として、
あるいは学校の課題として、
新品の毛糸を使って一から作品を作る、
ということをしています。
まずは売り物を作って売らなければ
収入がない(笑)のと、
学校を卒業できないから。
でも、本当にやっていきたいのは、
もう使わなくなった
古いセーターやマフラーをほどいて、
毛糸を再生して、別な作品を作ること。
私が子供の頃、両親が共働きだったために、
祖母が手伝いにきてくれていました。
祖母はよく、古いものをほどいて
水につけて干した毛糸で、
また違うものを編んでいました。
私が小学校時代のセーターも、
何枚かそういうふうにして編んでもらいました。
私は、祖母からその生き方を教えてもらって、
本当に良かった。
ぎりぎり、昭和の文化を受け継ぐことが
できたことを、本当に感謝しています。
今時の小学校が
どういう雰囲気なのかわかりませんが、
編み直したセーターを着ていたら
バカにされてしまうのかな、
と心配したりもしています。
でも、汚れてしまったり、
サイズやデザインが合わなくなってしまった
古いセーターやマフラーにも、
それを使っていた時の思いは
たくさん詰まってます。
それをほどいて、かせにして、
一晩水につけて、干して、丁寧に手巻して、
そうやってまた違うものに再生していく。
その毛糸が、毛糸として生きている限り、
一緒に生きて行く。
本当はそんなことがしたいと
編み物学校で言った時、
当時の担任の先生も、
ほどいた糸で編み込みをして、
作り直すたびにその色の模様が
だんだん小さくなっていくんだよね、
と仰っていました。
次々と本や雑誌に新しい作品を発表する
プロの先生でも、編み物をする人は
そういう思いを持っているんだなぁと
思いました。
今は、安いニット製品が、
どこでもいくらでも売っています。
毎年毎年違うデザインで、
大量に売られています。
確かに若くて自分に自信がない人は、
「今年のニット」を着ていれば、
堂々としていられたり、
モテるような気がするのかもしれません。
でも、そんな風に使い捨てするニットに
愛着は持てません。
自分が持っているものを愛せないって、
実は全然自分を愛していないってことだなぁと、
年を取った私は思います。
他の人から見たら、
ただの古いニットかもしれない。
でも、自分がそれを着ていた時の
いろいろな思いを、大切にすること。
その毛糸が生きている限り、
愛おしんで、大切にすること。
最後まで使い切ること。
そういうことを、私は伝えたいのです。
本当は、そういうワークショップを
やりたいのです。
(知人にそう言ったら
「それ工数大変だね~」と言われました。
まぁ2時間のお気楽ワークショップでは
ありませんがね。)
そうやって、ものを愛して大切にすることが、
本当は、生きているすべてを
愛して大切にすることと、
イコールなんじゃないかな、と思います。
セーターとして使えなくなったって、
ほどいて編みこみ模様にすればいいじゃない。
帽子にすればいいじゃない。
手袋にすればいいじゃない。
毛糸の下着や、靴下や、ひざかけや、小物や、
いろんなものにできるじゃない。
そうやって、あなたがあなたである限り、
一緒に生きていこうよ。
あなたを愛しているのだから。
すべてのものに、そういう愛を持って、
生きて行きたいのです。
そういう愛に気付き、
実行するための技術を持った人が、
増えてほしいな、と思うのです。
別に、そのための技術が編み物だけだとは
思っていません。
裁縫の世界ではダーニングもはやっていますし、
料理でも、大工仕事でも、
いろいろなやり方があります。
経済は、停滞するでしょう。
物が売れなくなるので。
でも、物が売れることが
イコール幸せなのではないと、
感じている人はたくさんいる。
そして、ものに対してこういう愛情を抱く人が、
「人」を粗末にするわけはない、と思うのです。
ものを愛し、人を愛し、
どんなものも、どんな人も、
その時その在り方で、
最大限に大切にして生かしていく。
そういう世の中であってほしいのです。
私にとって、それを伝えるツールが、
編み物なのではないかな、と思っています。
*******
そして、そういう心根で
東京都を生き返らせてくれるのは、
#宇都宮けんじ さんだと私は思います。
誰も見捨てない、
みんなで生きて行く東京を作るために。
#宇都宮けんじさんを都知事にしよう
手作りの作品を作って売るための宣伝として、
そして、編み物をする人が
もっと増えたらいいな、と思って、
このブログを始めました。
でも、私が編み物を通して
本当に伝えたいことは、
「ものを愛して大切にする生き方」です。
今私は、商品として、
あるいは学校の課題として、
新品の毛糸を使って一から作品を作る、
ということをしています。
まずは売り物を作って売らなければ
収入がない(笑)のと、
学校を卒業できないから。
でも、本当にやっていきたいのは、
もう使わなくなった
古いセーターやマフラーをほどいて、
毛糸を再生して、別な作品を作ること。
私が子供の頃、両親が共働きだったために、
祖母が手伝いにきてくれていました。
祖母はよく、古いものをほどいて
水につけて干した毛糸で、
また違うものを編んでいました。
私が小学校時代のセーターも、
何枚かそういうふうにして編んでもらいました。
私は、祖母からその生き方を教えてもらって、
本当に良かった。
ぎりぎり、昭和の文化を受け継ぐことが
できたことを、本当に感謝しています。
今時の小学校が
どういう雰囲気なのかわかりませんが、
編み直したセーターを着ていたら
バカにされてしまうのかな、
と心配したりもしています。
でも、汚れてしまったり、
サイズやデザインが合わなくなってしまった
古いセーターやマフラーにも、
それを使っていた時の思いは
たくさん詰まってます。
それをほどいて、かせにして、
一晩水につけて、干して、丁寧に手巻して、
そうやってまた違うものに再生していく。
その毛糸が、毛糸として生きている限り、
一緒に生きて行く。
本当はそんなことがしたいと
編み物学校で言った時、
当時の担任の先生も、
ほどいた糸で編み込みをして、
作り直すたびにその色の模様が
だんだん小さくなっていくんだよね、
と仰っていました。
次々と本や雑誌に新しい作品を発表する
プロの先生でも、編み物をする人は
そういう思いを持っているんだなぁと
思いました。
今は、安いニット製品が、
どこでもいくらでも売っています。
毎年毎年違うデザインで、
大量に売られています。
確かに若くて自分に自信がない人は、
「今年のニット」を着ていれば、
堂々としていられたり、
モテるような気がするのかもしれません。
でも、そんな風に使い捨てするニットに
愛着は持てません。
自分が持っているものを愛せないって、
実は全然自分を愛していないってことだなぁと、
年を取った私は思います。
他の人から見たら、
ただの古いニットかもしれない。
でも、自分がそれを着ていた時の
いろいろな思いを、大切にすること。
その毛糸が生きている限り、
愛おしんで、大切にすること。
最後まで使い切ること。
そういうことを、私は伝えたいのです。
本当は、そういうワークショップを
やりたいのです。
(知人にそう言ったら
「それ工数大変だね~」と言われました。
まぁ2時間のお気楽ワークショップでは
ありませんがね。)
そうやって、ものを愛して大切にすることが、
本当は、生きているすべてを
愛して大切にすることと、
イコールなんじゃないかな、と思います。
セーターとして使えなくなったって、
ほどいて編みこみ模様にすればいいじゃない。
帽子にすればいいじゃない。
手袋にすればいいじゃない。
毛糸の下着や、靴下や、ひざかけや、小物や、
いろんなものにできるじゃない。
そうやって、あなたがあなたである限り、
一緒に生きていこうよ。
あなたを愛しているのだから。
すべてのものに、そういう愛を持って、
生きて行きたいのです。
そういう愛に気付き、
実行するための技術を持った人が、
増えてほしいな、と思うのです。
別に、そのための技術が編み物だけだとは
思っていません。
裁縫の世界ではダーニングもはやっていますし、
料理でも、大工仕事でも、
いろいろなやり方があります。
経済は、停滞するでしょう。
物が売れなくなるので。
でも、物が売れることが
イコール幸せなのではないと、
感じている人はたくさんいる。
そして、ものに対してこういう愛情を抱く人が、
「人」を粗末にするわけはない、と思うのです。
ものを愛し、人を愛し、
どんなものも、どんな人も、
その時その在り方で、
最大限に大切にして生かしていく。
そういう世の中であってほしいのです。
私にとって、それを伝えるツールが、
編み物なのではないかな、と思っています。
*******
そして、そういう心根で
東京都を生き返らせてくれるのは、
#宇都宮けんじ さんだと私は思います。
誰も見捨てない、
みんなで生きて行く東京を作るために。
#宇都宮けんじさんを都知事にしよう
2020年6月26日金曜日
#宇都宮けんじさんを都知事にしよう
先日、東京都知事選挙の期日前投票に行き、
#宇都宮けんじ さんに投票してきました。
もう、嘘も見栄えも何もいりません。
ただ、本当にひとりひとりが生きていける世の中を作るために、
私は宇都宮けんじさんを応援します。
バナーとか、どうやって使うのかわからなくて
触ったことなかったのですが、
今回、宇都宮けんじさんを応援するたくさんの人たちが、
素晴らしいバナーをフリーで提供してくださっているので、
使わせていただきました。
多分、本来はツイッターでやるべきなのでしょうけど。
「#」もですが。。
私は感情が強く振れるタイプなので、
ツイッターのように即発信するタイプのものは苦手です。
間違ったことを書いていないか、
誰かを傷つけていないか、
確信が持てないので、
書いたものをしばらく寝かせて、
時間をおいて読み直してからUPしています。
#BLACK LIVES MATTER の記事も、
ニュースをキャッチした時に感情のままに書きましたが、
ずいぶん長い時間寝かせました。
多分、選挙の応援を有効的にするためには、
良いと思った情報をどんどん発信するツイッターが
良いのだろうと思うのですが、
私にはどうにも向いていないようなので、
ブログに地道に書いていこうと思います。
(たぶん自己満足にしかならないのだろうけど。。)
選挙前日まで、社会や心についての記事を書くときに、
うつけんバナーを使わせていただこうかな、と思っています。
#宇都宮けんじ さんに投票してきました。
もう、嘘も見栄えも何もいりません。
ただ、本当にひとりひとりが生きていける世の中を作るために、
私は宇都宮けんじさんを応援します。
バナーとか、どうやって使うのかわからなくて
触ったことなかったのですが、
今回、宇都宮けんじさんを応援するたくさんの人たちが、
素晴らしいバナーをフリーで提供してくださっているので、
使わせていただきました。
多分、本来はツイッターでやるべきなのでしょうけど。
「#」もですが。。
私は感情が強く振れるタイプなので、
ツイッターのように即発信するタイプのものは苦手です。
間違ったことを書いていないか、
誰かを傷つけていないか、
確信が持てないので、
書いたものをしばらく寝かせて、
時間をおいて読み直してからUPしています。
#BLACK LIVES MATTER の記事も、
ニュースをキャッチした時に感情のままに書きましたが、
ずいぶん長い時間寝かせました。
多分、選挙の応援を有効的にするためには、
良いと思った情報をどんどん発信するツイッターが
良いのだろうと思うのですが、
私にはどうにも向いていないようなので、
ブログに地道に書いていこうと思います。
(たぶん自己満足にしかならないのだろうけど。。)
選挙前日まで、社会や心についての記事を書くときに、
うつけんバナーを使わせていただこうかな、と思っています。
2020年6月25日木曜日
かぎ針編のサマーワンピース
編み物学校の課題で作ったものシリーズ。
夏だっていうのに(日本は梅雨ですが)、
もっさりとした冬物ニットばっかり掲載していたので、
たまには夏物を。
ごくごくシンプルな形のワンピース。
シンプルだけど、スタイル良く見えるための小技はいっぱい詰まっています。
もっとも、このトルソー自体が、
女の私が見てもうっとりするようなナイスバディなんですが。
シルバーグレーの夏糸で、しっかりめに編みました。
まだ編み物学校に通う前、
本を見て夏物のレースのスカートを編んだことがあります。
ところが、出来上がったスカートをはいて歩いていると、
いつの間にか、スカートが伸びている。。。
朝は膝丈、午後はセミロングな感じ。
で、編み物学校に行ったら、
このことについても先生が教えてくださいました。
ゲージの取り方についてですね。
ゲージというのは、ある編み方を自分が編んだ場合、
10㎝×10㎝のサイズが何目・何段で編めるか、
という数値を出すための試し編みです。
この数字をもとに、
作ろうとしている形に対しての目数や段数を決めていきます。
で、通常はゲージは10㎝四方で取ることが多いのですが
(10㎝四方内を均等にするため、15㎝四方で編んで、
目のそろった場所で10㎝を測ります)、
スカートやワンピースのように縦に長いものを作る場合は縦長の、
襟のように横に長いものを作る場合は、横長のゲージをとる必要があります。
編地は、長さのある方向に延びる性質があるそうです。
それに加え、スカートやワンピースのように、
長くて重さがかかるものについては、
縦長のゲージ(例えば10㎝×25㎝くらい)を編んで、アイロンをして、
さらに、一晩ぶら下げて(!)自然に伸びた状態にしたものを測る。
こうすると、前述の私のように、
午前と午後でスカートの長さが違う、
ということにならずに作れるということです。
というわけで、このワンピースも、
一晩ぶら下げたゲージで、
しかも重さで伸びないようにきっちりめのゲージで編みました。
確かに伸びません。
本当はこのワンピースの課題の時、
もっとグリグリに昭和な夏ワンピにしたかったのですが、
その時の課題のテーマに合わずに先生に却下されました。
それで、テキスト掲載作品に近いごくごくシンプルなラインにまとめたのですが、
それでも結構「昭和感」が出ていたようです。
作品お披露目の時に、たまたま後頭部ででっかいお団子巻いていたら、
先生に「50年代風の髪とワンピースでかわいいねぇ。。」とほめていただきました。
50年代ってピーナッツとかだっけ?と思ったら、
もう一時代前みたいですね。
夏だっていうのに(日本は梅雨ですが)、
もっさりとした冬物ニットばっかり掲載していたので、
たまには夏物を。
ごくごくシンプルな形のワンピース。
シンプルだけど、スタイル良く見えるための小技はいっぱい詰まっています。
もっとも、このトルソー自体が、
女の私が見てもうっとりするようなナイスバディなんですが。
シルバーグレーの夏糸で、しっかりめに編みました。
まだ編み物学校に通う前、
本を見て夏物のレースのスカートを編んだことがあります。
ところが、出来上がったスカートをはいて歩いていると、
いつの間にか、スカートが伸びている。。。
朝は膝丈、午後はセミロングな感じ。
で、編み物学校に行ったら、
このことについても先生が教えてくださいました。
ゲージの取り方についてですね。
ゲージというのは、ある編み方を自分が編んだ場合、
10㎝×10㎝のサイズが何目・何段で編めるか、
という数値を出すための試し編みです。
この数字をもとに、
作ろうとしている形に対しての目数や段数を決めていきます。
で、通常はゲージは10㎝四方で取ることが多いのですが
(10㎝四方内を均等にするため、15㎝四方で編んで、
目のそろった場所で10㎝を測ります)、
スカートやワンピースのように縦に長いものを作る場合は縦長の、
襟のように横に長いものを作る場合は、横長のゲージをとる必要があります。
編地は、長さのある方向に延びる性質があるそうです。
それに加え、スカートやワンピースのように、
長くて重さがかかるものについては、
縦長のゲージ(例えば10㎝×25㎝くらい)を編んで、アイロンをして、
さらに、一晩ぶら下げて(!)自然に伸びた状態にしたものを測る。
こうすると、前述の私のように、
午前と午後でスカートの長さが違う、
ということにならずに作れるということです。
というわけで、このワンピースも、
一晩ぶら下げたゲージで、
しかも重さで伸びないようにきっちりめのゲージで編みました。
確かに伸びません。
本当はこのワンピースの課題の時、
もっとグリグリに昭和な夏ワンピにしたかったのですが、
その時の課題のテーマに合わずに先生に却下されました。
それで、テキスト掲載作品に近いごくごくシンプルなラインにまとめたのですが、
それでも結構「昭和感」が出ていたようです。
作品お披露目の時に、たまたま後頭部ででっかいお団子巻いていたら、
先生に「50年代風の髪とワンピースでかわいいねぇ。。」とほめていただきました。
50年代ってピーナッツとかだっけ?と思ったら、
もう一時代前みたいですね。